大学教員の自己実現

暢気に博士課程の学生やポスドクをしていたとき、「まぁ大学業務は適当にやって楽にお金が貰えて、研究できる立場さえあれあればそれでいいよ」と嘯いていた。一応、私は学生を教えるのに絶対に向いていないことを自覚していて、それで心労を得るだろうと言うことは理解していた。

実際の所(自分は実験系でないので)、かなり仕事は楽だ、少なくとも肉体的には。もちろん、親に電話とか、理解力の低い学生の研究指導だったりということは相当な苦痛となるのだが我慢できる範疇だ。助教でPIという立場であるので授業さえなければ平気で昼から来たり身体つらいつらいなのだと仕事をサボることができる、身近に議論の相手がいないので頭が腐りそうだが、上がいて押さえつけられることなく自由に研究ができるので毎年主著の論文と他のところとの共同研究の論文を発表できている。

ただ、学生の相手と試験監督(これは私が発達だからつらいだけかもしれんが)以外に意外なところで嫌なことがあって別のところへの異動を考えていたりする。それは教える科目の相違だ、現職についたときは解析学の実習と物理の実験を担当していた、のちのちは統計物理か量子力学を持つように言われていた。しかし気づいたらプログラミングの演習を任されていた。

これは実は結構楽しい、数値計算のアルゴリズムの数学的な面の話をするのは結構好きだ。例えばNewtonの補完形式から数値積分法の誤差に関して議論したり、微分方程式の解法について解説したりするのは楽しい、尤も学生はつらそうだが。

そして情報処理とかそんな感じのパソコンのせんせいをする授業が回ってくる。気づくと何故かデータサイエンス部門に押し込まれる。これがつらいつらいなのだになっている。教える科目における理想の自己実現も大学教員には必要なのだ。ポスドクの頃は金銭と安定した立場を得ていなかったのでそんなことは考えもしなかった、とりあえず、ST比がよくて、近縁の分野の公募があれば工学部にも積極的に応募しようとかそんな感じだった。まだ、あの頃の二十九歳児だったころの私はやがてこの科目を教える教員じゃないとやだやだとごねて哺乳瓶で酒を飲む赤ちゃんになると思っていなかった。三十にして初めて立った博士は、四十にして不惑となれるだろうか。

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