雨と私と明日の君

はぴ2580

雨と私と明日の君

 雨が好きだ。


 池に落ちる雨が跳ねるのが好きだ。

 物を忘れさせてくれる雨が好きだ。

 代わりに泣いてくれる雨が好きだ。






「ルイは、雨が好き?」










 物心が付いて直ぐに別れた彼女。何度もいじめっ子から守られ、不思議といつの間にか背中を追ってた。

 連絡先も分からずじまいで十年がたった今、ようやく2人になることが出来た。何度も願ったことが現実になった。これ程嬉しいことは無かった。

 昔からの恋に花を咲かせるタイミングだった。




「ルイ。来月は空いてる?」

「あぁ、空いてるよ。またあの海岸で」

















 空気が枯れる近頃。緑は視界に映らない。

 私と君は優しい潮風が吹く場所で待ち合わせた。君は暖かそうなコートを着ている。砂浜を踏む音も柔らかい。大人の歩き方を気取っている。



「ごめんね。遅れちゃった」

「……確かにちょっと待ったかもね」

「道に迷っちゃって」


 大きくなった2人の初めての会合から早数ヶ月。

 海岸へ来る道は少し険しい。獣道が変わることもあるかも知れない。

 


「ルイは元気?家族は?」

「……うん。元気。元気すぎるくらい」

「そう。よかった」


 キリッとした横顔に似合わない可愛らしいえくぼ。

 大人と子供の中間点を見れることが、なんだか嬉しかった。




「今日は晴れだね」

「シオンは晴れが好き?」

「……私はどちらかといえば、雨が好き」

「そっか。俺も雨が好きだ」


「?」

「どうして?」


「……あの煩い音が、昔を忘れさせてくれるから、かな」


「……」



 私として別れてからの数十年。想像もつかないことがあったのか。私にはよく分からなかった。

 それよりより分かりやすく思い出せたのは、あの喧嘩だった。何年も引き摺るように見られたくなかった。

 もっとも、君に聞くことが怖くて聞けなかった。

 ただ今の関係が好きだった。














「ルイ、今日はありがとう」

「いいんだよ。今日は俺から誘ったし」

「そうだね」



 再び会う時は半年が経った。今日は誕生日だからと君からもらった夏用の服を身につけてみている。

 君は私の服装に気づいた時、それなりの反応をくれた。それこそ男子高校生には刺激が強かったみたいだけど。頬を赤らめる姿もまだ子供っぽい。





「今日はどうしたの?」

「話さなきゃいけ……いや、話したいことがあったんだ」


 少し重荷かも知れないと注意を添えて君は喋り出す。少し物寂しそうな横顔は見覚えがあった。最後に別れる時の君だ。




「雨が好きだ。いや好きだったのかな」

「言ってたね」

「でも嫌いになりそうだ」

「……? どうして?」






「……また今度かな。やっぱり」


 先生はその話を濁して、君は学校での私生活を話し始めた。夏休みのことや課題、進路のことも話していた気がする。

 ただ、君が使う言葉はどこか抽象的で、どれだけ説明を聞いても理解ができなかった。

 そもそも、忘れている話を無理やりしている。そう感じた。




















 次に会えたのは秋雨の日だった。

 この時期の雨はさらさらしている。雨粒が落ちる速度も速い。君はいつもの待ち合わせから数時間遅れてやってきた。



「……ごめん」

「いいよ。どうしたの」




「話さなきゃいけないことがあるってこと。まだ覚えてる?」

「うん」


「今日はいうよ」



 君は私との距離数メートルのところで立ち止まり、自分の傘を差すのをやめた。

 ぶらんと腕をさげている。服がびしょ濡れになるのを厭わないその姿に困惑する。雨は強くなる。

 立ち寄って傘を刺してあげようとする前に、君は喋り出した。



「俺さ、記憶がなくなっていくみたい」


 雨は昔を忘れさせてくれる。そう言ったのは君だ。私の歩みは止まる。傘を差す手がピタッと止まる。



「雨の降る必要は、なくなったみたい。…もう、…」






「……ううん。それだけ」








 物忘れ。いや、存在自体を忘れる。

 段々と記憶の繋がりが薄くなる。


 そう言ったのは君だ。いつか記憶を忘れていることすら忘れるのかも知れない。そうも言った

 海のシケが増す。海岸線から離れた場所に移動しても、相変わらず君は傘も差さず話した。潮風は髪を痛めた。




「どの医者に行っても何もわからなかった。なんの異常もみられなかった。」

「最後に辿り着いたのは、自分の心だった」

「忘れていることを忘れないように、そうしてたのは俺だった。」



「……」





 なんとなく話がつかめてしまうことが怖かった。顔が歪むのが自分でもわかる。もう思い出話なんてできないんだと妙な安心感と、寂しさがあった。

 二人をまたがる傘を差している手に力が入らない。プルプルと震えて足元に傘が落ちる。



「…ごめん。ここから先のことも、言おうとしたはずなんだ。でも、もう思い出せない」


「みんなの名前も、もう…」


「…ルイは、雨が嫌いな理由は覚えてる?」



「…ごめん。なんの話か、理由も思い出せない」

















 再びの冬。




 あれからは何も考えていない。これ以上ルイに肩入れすることが自分の不幸になることを知っていた。自分勝手だとも思った。


 きっと、忘れられた時を、忘れられなくなるから。

 きっと、忘れようとすることが、嫌になるから。



 だからこそか、私は孤立を選んだ。連絡もすべて断ち、今までの会話を忘れようとしていた時だった。

 無意識にいつもの海岸線にいる。離れようとも、離れられない。


 結局、ルイと離れ離れになった時と同じ。私は進めていなかったんだ。喧嘩別れをしたことを今でも悔やんでいることすら、もう伝わりやしない。


 大人の私と高校生の君の距離、ずっと開いたまま。



……私は気づいた。

 本当に子供だったのはきっと私だった。見た目だけの大人だった。

 好意を見ず知らずのフリをして、自然に薄まるかった去の罪悪感が無くなるまで一緒にいようとした。物事を進める速さは、ゆっくりでもいいと思った。

 でも君は急いで大人の振りをして、本当の大人になっちゃったんだ。


もう謝ることすら、ルイは首を傾げるでしょ?






「(もっと、近くにいたかった。)」






「あぁ(……今日も、雨なんだ)」

「私も雨が嫌いになりそう、ルイ……」




 その名前を発することで溢れ出す記憶の数々が、言葉の数々が申し訳なかった。

 溢れ出してしまうことの罪悪感が押し潰してくる。

 なぜ私はここまで思い出せるのだ。思いを出せるのか。

 一言一言が、その時その時が、鮮明に何もかも。


 あの冬、似合ったコートを羽織ったあなた

 あの夏、いつもとは違う私に驚いたあなた

 あの時、罵って悲しそうな顔をしたあなた





「あぁ、なんで、なんで」

「ルイは、いままでのこと」

「何もかも忘れるなんて」



 一人海岸線に座り込む。砂の色が大きく黒く湿る。

 雨にも負けないシミが砂浜に生まれる。




 やっぱり忘れられないんだよ。

 ねぇルイお願いだよ。

 思いを、戻してよ。

 思いを、だしてよ。



 私にごめんって言わせてよ。

 大人ぶって苦しさを1人のものにしないでよ。

 寂しいって、言ってよ。









「……ねぇ。大丈夫?」

「……! ……」


「大丈夫。大丈夫。なんでもない」

「そっか」

「傘、一緒に入ろう?」



 隣に座ってくる。見慣れた傘に、見慣れた横顔。

 無責任に傘を差し出す様は、小学生の君と私と同じ。



「なんかさ、なんもわかんなくて、でも無意識のうちにここにいたんだ。こんな雨の日だけど」


「多分、何か忘れてる気がするんだけど、思いだせなくて」

「そしたら君がいて、その、泣いてたから……」



「……」



 涙を止めようと必死にしたが、やはりその声とその言葉がどうにもダメだった。

 静かに涙を流す。君を心配させないように。







「俺の名前はさ、…わかんないや、君の名前は?」


「……雨森、シオンだよ。ルイ」


「そっか、その、しばらくこうしていようか」










 雨が嫌いだ。

 音を立てずにすっと消えるから。

 何もかも思い出させてくるから。

 雨はむしろ涙を大きくするから。

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