エピソード 1ー4

 翌日の早朝、私が客間で寝ていると、そこにお兄様が乗り込んできた。


「お兄様、いくら兄妹とはいえ、早朝から女性の寝室に乗り込んでくるのは不謹慎ですよ」


 寝間着姿の私は寝ぼけ眼を擦りながらベッドから起き上がる。アルノルトお兄様は「大丈夫だ、ソフィアは寝起きでも可愛い」と笑った。


 そういう問題じゃないと突っ込もうと思ったけれど、お兄様の顔に安堵が滲んでいることに気付いて止める。


「……そういう問題ではないんですが、お兄様は顔がいいので許します」

「そうか、おまえは俺の顔が好みなのか。妹の特権だ、好きなだけ鑑賞するといい」


 兄が茶目っ気たっぷりに笑う。

 私はそれをはいはいとあしらいつつ「こんな朝早くから、一体どうなさったんですか?」と尋ねた。私はベッドから足を下ろし、クラウディアにカーディガンを掛けてもらう。


 カーテンを開けば、窓から差し込む淡い朝の光が柔らかく私を包み込み、外の鳥のさえずりが微かに聞こえてくる。まだ静かな早朝であることが感じられた。


「どうしたはこっちのセリフだ。おまえが溺れたと聞いて飛んできたんだ」

「それは……驚かせてしまって申し訳ありません。ちょっと足を滑らせただけです。シリル様に救っていただいたので、大事には至りませんでしたよ」


 シリル様のおかげであることを強調しておく。

 なのに――


「なるほど、あの王太子が原因か」


 アルノルトお兄様はぼそりと呟いた。ちょっとどす黒いオーラが零れている。


「違います。原因は私で、救ってくださったのがシリル様です」

「なにを言っている。おまえの側に立つつもりなら、万難からおまえを守る気概くらい見せられなくてどうする。湖に落ちるのを未然に防げないなど言語道断だ」

「判定が厳しすぎますよ。そんな条件では、私、友達を一人も持てません」


 私が片腕を腰に手を当てて怒ってみせると、アルノルトお兄様は目を瞬いた。そして、「友達? なるほど、ならば許そう」といきなり態度を変えた。


「……なんですか?」

「いや、なんでもない。うちの妹が思ったよりも純真で感動しているだけだ」

「……はあ」


 よく分からないけれど、お兄様が過保護なのはよく分かったと苦笑する。というか、こんな風に甘やかすから、原作のソフィアは調子に乗っちゃったんじゃないかな?

 ソフィアが悪いのは事実だけど、お兄様にも原因はある気がする。


「お兄様、この際だから言わせていただきます」

「……うん?」

「私、お兄様にはとても感謝しています。いつも心配してくださって、周りの問題を排除して、私が傷付かないようにしてくれている。そんなお兄様のことが大好きです」

「急になんだ? なにか買って欲しい店でもあるのか?」

「違います。というか、さらっと店を買おうとしないでください」


 私は甘やかしすぎだと溜め息を吐く。


「お兄様にはとても感謝しています。ただ、最近のお兄様は私を甘やかしすぎです。そんなふうに甘やかして、私が調子に乗ったらどうするのですか?」


 お兄様は私のセリフを聞いて苦笑した。


「そんなふうに俺に忠告しておいて、おまえが調子に乗ることなどあるのか?」

「ありますよ」

「はは、ソフィアは可愛いな」


 笑われた。ついでに頭を撫で撫でされた。このお兄様、優しすぎる。それに、アルノルトお兄様は笑っているけれど、原作を知る私としては笑い事じゃない。原作のソフィアは調子に乗って悪女に育ち、お兄様は甘やかしすぎたことを後悔するからだ。


「いいですか、お兄様。たしかに、私はお兄様の優しさに感謝しています。ですが、ほかの方もそうだとは限りません。その辺りをちゃんと考えてください」

「なんだ? もしかして、兄を独占したいと言っているのか?」

「違います!」


 唇を尖らせるけれど、再び頭を撫でられた。これ以上はなにを言っても無駄そうだ。私は増長したソフィアの末路を知っているし、とりあえず自分で気を付けよう。


「仕方ありません。この話はおしまいです。それと、心配掛けてごめんなさい」


 ぺこりと頭を下げれば、軽く抱き寄せられた。


「心配を掛けたことは気にするな。兄に心配されるのは妹の特権だからな。ただ、自分が危ない目に遭わないようには気を付けなさい」

「……はい、そうします」


 私がしおらしく答えると、お兄様は「ならいい」と笑った。


「それより、朝食はまだだろう? よかったら一緒にどうだ?」

「もちろん、よろこんで」

「なら、食堂で待っている。急がずともいいのでゆっくり用意をするといい」


 私が笑顔で応じると、お兄様は踵を返した。だけど、部屋を出るまえに振り返る。


「そう言えば、今日は湖上で魔術発表会があるんだろう? 調子は大丈夫なのかい?」

「……うぇぁ」


 思わず呻き声を上げた。


「……ソフィア?」

「い、いえ、もちろん大丈夫ですわ!」


 慌てて取り繕うけれど、内心では思いっきり焦っていた。

 私はソフィアの記憶を持っているけれど、感覚的にはソフィアの身体に入った別人だ。なので、精密な作業が要求される魔術は厳しいのでは? と思ったのだ。


 ……え? 使えなかったらどうしよう。公爵令嬢が魔術発表会に出場して魔術を使えないなんて、大恥を書くことになる。午後までに魔術の使い方を確認しておかないと!

 

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