乙女な悪役令嬢には溺愛ルートしかない
緋色の雨
エピソード 1ー1
私は生まれたときから心臓に穴が空いていた。
激しい運動は言語道断で、みんなが当たりまえにしていることが私には出来い。それに、命を繋ぐには高額な薬を飲み続けることを強いられる。
それが家計を圧迫していて、両親はいつも喧嘩ばかりしていた。私を産まなければよかったと、夫婦喧嘩で叫んでいるのを聞いたこともある。
それでも、私は勉強をがんばった。
身体が弱くても、努力をすれば立派な仕事に就くことが出来るはずだ。そうしてお給料をもらって、こんな私を必死に育ててくれた両親に報いたい。そうしたら、いつか子供のころのように、両親も私に笑いかけてくれるはずだって思ったから。
そして、私はある企業の面接を受けた。福祉もしっかりしている一流企業で、採用されれば私の人生は一変することになるだろう。
私はその企業から採用通知が届くことを願いながら日々を過ごしていた。
そんなある日。信号待ちで横にいた子供が、青になった瞬間に横断歩道に飛び出す瞬間を目撃した。それと同時、横断歩道に突っ込んでくる乗用車の姿も目に入った。
子供が轢かれると思った刹那、私は逡巡した。
非力な私じゃ子供を救えないかも知れない。救えたとしても、自分は無事じゃ済まないだろう。せっかくここまで夢を追いかけてきたのに、志半ばですべてを投げ出すのか――と。
だけど、足は勝手に動いていた。
産まれて初めて全力で足を踏み出して、子供の腕を掴んで引っ張った。私は踏みとどまることが出来なかったけれど、子供は歩道に放り投げることが出来た。目前に迫る乗用車の運転席に座る男の驚く顔が目に入り――私の意識はそこで途絶えた。
次に目覚めたのは、どこかのベッドの上だった。
身体が上手く動かないし、口にマスクかなにかがつけられていて息苦しい。視線を巡らせれば、止まり掛けの心電図が目に入った。続けて、喧嘩するような声が聞こえてくる。視線を頑張って動かすと、入り口のまえで言い争う両親の姿があった。
……こんなときにも喧嘩を止めないんだね。
私のせい、なのかな? 私が生まれてきたから、そんなふうに喧嘩をするようになったのかな? 私がいなくなれば、もう喧嘩をしないようになるのかな……?
ごめんね。
これからは二人で仲良くね。
そんな想いを込めて必死に身を起こそうとする。それに気付いたお母さんが駆け寄ってくると、私の手をギュッと握った。お父さんも私の下に駆け寄ると、手紙のような紙を広げる。
もしかして、採用通知、かな? あと少し頑張ったら、夢が叶っていたのかな? もしそうなら、惜しかったなぁ……
私、頑張ったよね。精一杯生きて、最後は夢半ばで終わってしまったけれど、私が助けた子供が、きっと私の分まで生きてくれるはずだ。
だから、私は神様に感謝する。
最後に、私に死ぬ意味を与えてくれて――ありがとう。
私はそう呟いて、ゆっくりと目を閉じた。
『本当にそれで満足なの?』
真っ黒に塗りつぶされていく意識に、小さな波紋が浮かんだ。
……満足、なんかじゃ、ないよ。
お父さんとお母さんに愛されたかった。みんなと同じように走ってみたかったし、胸がドキドキするような恋だってしてみたかった。
だけど、仕方ないじゃない。私はもう、死んじゃったんだから。
『――だったら、貴女に機会をあげる』
……どういうこと? というか、誰?
それが知りたくて目を開ける。同時に、どぷんと水の音が聞こえた。私の視界に、ゆらゆらと揺れる水面が映り、その向こうに朝日が煌めいていた。
直後、自分の身体が冷たい水に包まれているのを感じた。
「――ごぼっ!?」
私、溺れてる!? と口にしようとして水を飲んだ。パニックに陥る私の視界に、とんでもなく格好いい男の子の姿が目に入った。
キャラメルブロンドの髪に、深く青い瞳。年は十代半ばくらいだろうか? あまりの素敵さに、私は溺れているのも忘れてその男の子に見蕩れる。
その次の瞬間、男の子が私を抱きしめ、そのまま光を目指して浮上を始めた。
わずかな時間のあと、私は水面から顔を出した。それを理解した瞬間、咳き込んだ。男の子はそんな私の身体を掴み、陸地へと引き上げてくれる。
必死の形相も格好いいなぁと、そんな不謹慎なことを考えながら私は意識を失った。
次に目覚めたのはまたもはベッドの上だった。だけど、前回の殺風景なベッドとはまるで違う、煌びやかな天蓋付きのベッドだった。
「……私、どうしたんだっけ?」
寝起きだからか上手く頭が回らない。
不意に花の香りがした。周囲を見回すと、立派な花瓶に鮮やかな花が飾られている。その花瓶が載せられたテーブルも豪華で、部屋のすべての調度品が上品に纏められている。
とても豪華な部屋にいるようだ。
なぜこんなところにいるんだろうと考える私の耳に、言い争うような声が聞こえてきて、また両親が喧嘩をしているのかなって思うと少し悲しくなった。けど、よく聞くと声が違う。
とても綺麗な声の女性が誰かを叱りつけているようだ。
私はベッドから降り立ち、声の聞こえる廊下を目指して一歩を踏み出した。
びっくりするくらいに身体が軽い。逆に足取りがおぼつかなくてふらついてしまうけれど、いままでの感覚とまるで違う。背中に羽が生えたかのような気分で廊下へと向かう。
「よそのご令嬢を溺れさせるなんて、貴方が付いていながらなにをやっているのですか!」
叱っているのはブロンドの髪の女性だった。どこかで見たことがある気がするけれど思い出せない。そして男の子の方は確実に見覚えがあった。溺れていた私を助けてくれた子だ。
――って、もしかして、私が溺れたことで男の子を叱ってる?
「待ってください!」
私はとっさに二人の間に割って入った、両手を一杯に広げ、男の子を背中に庇う。
「ソフィア? もう起きて大丈夫なのですか……?」
女性が目を見張り、それから安堵の表情を見せた。きっと、すごく私のことを心配してくれたのだろう。でも、それで男の子を叱るのは筋違いだ。
「――湖に落ちたのは私の不注意です。それに、彼は危険を顧みずに湖に飛び込んで、私を助けてくれました。だから、彼を責めないでください!」
自分の不注意という言葉が自然と口を突いて出た。私が湖に落ちたのは、彼に危ないと止められたのに無視して身を乗り出した結果だった。それを思い出した。だから、彼は悪くないと訴えれば、女性はグリーンの瞳を見開いた。
一瞬の間を置き、彼女はわずかに表情をほころばせる。
「貴女は優しいのね。私の息子の名誉を守ろうとしてくれてありがとう」
「いいえ、事実を申したまでですわ」
「……分かりました。では、この話はここまでにしましょう」
女性が柔らかな笑みを浮かべる。それを見た私も自然に微笑み返す。
「カルラ妃殿下、ご心配をおかけして申し訳ありません。そしてシリル様。あらためて、私を助けてくださってありがとうございます。とても、格好よかったですよ」
私の口から、二人の名前が無意識に口を突いた。
私は改めて男の子を眺める。やっぱり、とんでもなく格好いい男の子だ。柔らかそうなのキャラメルブロンドの髪に、対照的な深く青い瞳が知性と気品を感じさせる。まるで、乙女ゲームに登場しそうな格好いい男の子――そこまで考えた瞬間、頭がズキリと痛んだ。
「……もしかして、私はソフィア・ウィスタリアですか?」
「そうだけど……急に、どうしたんだい?」
思わず息を呑む。
ソフィア・ウィスタリアは、私がプレイしていた乙女ゲームに登場する、史上最低の悪役令嬢の名前だ。まさかと思っていくつか記憶を探ると、すべての符号が一致した。
どうやら、私は悪役令嬢のソフィアに転生してしまったらしい。
それを理解した瞬間、私はまたもや意識を失った。
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お読みいただきありがとうございます。
一章は11万字ほど、毎日投稿を予定しています。また、WEB同時連載の『三度目の皇女は孤児院で花開く』もよろしくお願いします。
『悪役令嬢のお気に入り』のコミック5巻が8月2日に発売で、25万部突破キャンペーンを開催予定となっています。
まだお読みでない方もこの期にご覧いただけたら幸いです。
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