あなたと生きるための呪い

宵埜白猫

プロローグ

「あなたは皆と違うから、お外には出ちゃダメよ」

「どうして?」

 私が聞くと、お母さんは私の頭をそっと撫でてくれました。

「……みんなと違うとね、魔女と間違われていじめられちゃうの。リラだって、それは嫌でしょ?」

 いつも優しいお母さんの声が、という時だけ怖かったのを覚えています。怖いのも痛いのも嫌です。

 だから、私は。

「うん。私はお外に出なくても、お母さんと一緒にいれたら幸せだよ」

 お母さんの言うことを聞いたのです。お外に出ない毎日でも、お母さんがいろんなことを教えてくれたので、退屈はしませんでした。本の読み方、ザッハトルテの作り方、お部屋を綺麗にする方法。窓から見える丘に咲いているのは、サクラという花だということ。それに、魔女が村を襲った昔話。 全部お母さんが教えてくれました。窓の外で遊ぶ子ども達の声なんて気になりません。笑顔で走り回る姿も、日常の風景です。

 だけど、茶色の髪のお母さんと、金色の髪の子どもが手を繋いで、笑いながら歩いていく姿を見ていると、胸の奥がぎゅっと苦しくなりました。

「……私も、お母さんとおんなじだったら」

 自分でも、なんでそんなことを言ったのかは分かりません。けれど、本当は。

「リラ」

 名前を呼ばれて振り返ると、お母さんが苦しそうに胸を押さえていました。

「お母さん? だいじょうぶ?」

「……リ、ラ。……約、束」

 言いながら、お母さんは床に崩れました。

「お母さん!」

 慌てて駆け寄ると、お母さんの体は暖炉の火みたいに熱くなっていました。

「リラ、何が、あっても、……お外には、出ちゃダメよ」

 かすれた声で言うと、お母さんは血を吐きました。

「っ!? お母さん!」

 私が声をかけても、お母さんは言葉を返してくれません。小さく上下する胸だけが、お母さんがまだ生きていることを教えてくれました。

「お母さん……」

 私はこぼれる涙を袖でぬぐって、お母さんをベッドに運んで、濡れたタオルでお母さんの頭を冷やしました。それは私がちょうど、十五歳になった日のことでした。


 お母さんの体調が回復しないまま、時間だけが過ぎていきました。ベッドで横になったお母さんは、たまに目を覚ますと「絶対にお外に出ちゃいけない」と呟いて咳を繰り返し、また目を閉じてしまいます。何日も、何日も、同じ光景が続きました。

  それから一年、お母さんは体を起こす力もなくなってしまいました。もっと早くこうしていればよかったと、私は思いました。

「お母さん、……お医者さん呼んでくるね」

 私を見るお母さんの目からは、あの言葉が聞こえてきます。でももう決めたのです。お母さんを助けられるのは私だけなのです。思えば、これは初めて私が自分で決めたことでした。

「ごめんなさい」

 咳き込むお母さんの口元の血をそっと拭って、私は初めて言いつけを破ります。

「…………リ、ラ」

「行ってきます」

 テーブルの上の銀貨を三枚掴み、ドアノブに手をかけて、私は初めてそれを回しました。月が照らす村の姿は、窓から見ていたよりもずっと味気ないものでした。一面に広がる灰色の建物。夜の村では子どもたちの声も聞こえません。

「お医者さん、どこだろう……」

 お母さんから文字を習っていたので、建物の看板に書かれた名前を読んで探します。

「……パン屋さん、本屋さん、洋服屋さん……あれは、お花屋さん?」

 初めて見るお店も今はほとんど閉まっていて、それを見ても何も感じませんでした。たまに歩いている人がすれ違っても、みんな気味悪そうな目で私を見て、早足になってしまいます。小さい頃に、お母さんが言っていた言葉が頭を過ぎりました。 

『みんなと違うとね、魔女と間違われていじめられちゃうの』

 次第に大きくなってくるその声を無職して、私は足を進めます。胸が痛くなるほど、その声が頭の中で大きくなった時、やっとお医者さんを見つけました。急いでドアを押して中に飛び込みました。

「お母さんを助けてください!」

「……ひっ!?」

 机で何かを書いていたおじいさんが、私を見て目を丸くしました。そしてその大きな目のまま、じっと、私を睨みます。 

「ずっと咳が止まらなくて、体もすごく熱いんです! どうか一緒に来てください!」

 私の説明を聞きながら、おじいさんはゆっくりと立ち上がって、離れて行きます。

「で、出て行ってくれ! 魔女に関わったなんて村の奴らに知られたら、儂がどうなるか……」

「……え?」

 魔女だと間違われて、私がいじめられるのは仕方ありません。お母さんの言いつけを破った私が悪いのです。でも、このお医者さんまでひどい目に合うのは嫌でした。

「早く出て行ってくれ!」

 それでも、お母さんが居なくなるのはもっと嫌です。だから、私は手をぐっと握って、体に力を入れました。

「わ、私は魔女じゃありません! あなたと同じ人間です!」

「そんな気味の悪い髪、魔女しかいないだろ!」

 おじいさんは私の白い髪を指さして叫びました。

「私は」

 部屋の隅に置いてあったナイフに、おじいさんの手が伸びました。

「薬だけでもいいんです! お母さんを助けたいだけなんです! お願いします!」

 ただ、思いを伝えることしかできません。魔法が使えたら、きっとお母さんをよくしてあげられるけれど、私は魔女じゃないから、こんなことしかできないのです。

「……ちっ!」

 伸ばしていた手を棚に向け、そこから取り出したいくつかの薬を袋に入れて、おじいさんが投げてくれました。

「それを持って、とっとと消えてくれ」

 力の抜けたおじいさんの声を聞きながら、私は床に落ちた袋を拾いました。

「ありがとうございます!」

 物を買うときにはお金を払うものだと、お母さんに教わったので、家を出るときに掴んだ銀貨をそのまま全て床に置いて、私はお医者さんの家を後にしました。家に向かう体は来た時よりも軽く、気づくと頬がだらしなく緩んでしまいます。これでお母さんが助かります。元気になってくれたら、もうお外には出なくてもいいと思いました。お母さんとサクラを一緒に見たかったけど、お外は本当に怖いところなのでしかたありません。

「お母さん!」

 家に着くと、私はベッドに向かって走りました。言いつけを破ったことを怒っているのか、お母さんは目を開けてくれません。

「あの、言いつけを破ってごめんなさい。……でもね、お医者さんで薬をもらってきたの! これを飲めばお母さんも――」

 床に落ちた袋の音が、やけに大きく聞こえました。お母さんの、苦しそうに息をする音が聞こえなかったからです。

「……ごめんなさい」

 覆いかぶさって触れたお母さんの冷たさが、私に現実を突き付けてきました。目の奥がどんどん熱くなってきます。

「ごめんなさい! お外に出てごめんなさい!」

 胸の奥が締め付けられるような痛みでした。

「言いつけ破ってごめんなさい!」

 体の中から何か大切なものがこぼれていくような感覚でした。

「……間に合わなくて、ごめんなさい!」

 私が迷わずにお医者さんを見つけられていれば、もっとお母さんと……。

「っ!」

 喉が痛くて、それ以上声は出せなかったけど、私はずっと謝り続けました。


 窓から差す日の光が目に痛くて、長い夜が明けたんだと分かりました。

 それでも、私は何も感じませんでした。

「お母さん、これからどうしたらいいの?」

 お母さんの体を綺麗に拭いて聞いてみても、もう言葉は一つも返ってきません。

「……サクラ」

 窓の外を薄紅色の花びらが流れていきました。気づくと、私はお外に出ていました。この村にいても、私に居場所はないでしょう。ただ一人、私に居場所をくれたお母さんも、もういません。せめて誰かがお母さんに気づいてくれるように、ドアは開けておきました。

「お母さんと一緒に見たかったな」

 もう、胸の痛みはありません。だけど、目の痛みは引いてくれませんでした。まだ誰もいなくてよかったです。今は誰の声も聞きたくなかったから。

「……そういえば、あの丘の向こうには魔女が住んでるって、お母さん言ってた」

 魔女は人間をたくさん殺してしまうそうです。昔村に来た時には、村の人たちがみんなで追い払ったそうです。そんな話を思い出しても、怖くはありませんでした。だって、私も魔女なんだから。

「思ったより、大きい」

 こんなに歩いたのは初めてで、一晩寝ていなかったのでもうヘトヘトでした。私は大きな幹に背を預けて、そっと目を閉じます。風がそよぐ音を聞いていると、私はいつの間にか、眠ってしまいました。

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