第26話 生身の人間 ~聖女視点~

 ようやく呪いが落ち着いて、目に見える枝のアザはもちろんのこと、濃すぎるほど染みついていた魔女の気配も薄くなってから。苦しそうだった公爵が、安らかな寝息をたてはじめる。

 ひとまずはこれで安心できたと、肩の力を抜いたのと同時に。くらりと体が傾いて、その場に膝をついてしまうサーン。

 聖女といえど、生身の人間だ。巡礼の旅の疲れも抜けぬまま、宿から急いで公爵邸へと向かったその足で、今度は何時間もの治療となれば。さすがに体力の限界もくる。


「あぁ、でも……」


 公爵が目覚めた途端、呪いが発動する可能性も残っているので、この場を離れるわけにはいかない。だがその前に一度、なにがあったのかの詳細も聞いておきたかった。

 多少足元がふらつくが、それでも自力で扉まで歩いたサーンは。その向こうに控えていた、常に公爵の側に侍っていた従者へと、声をかける。


「少し、よろしいでしょうか?」

「もちろんです。ですが」


 確か、サヴィターと呼ばれていた人物だったと。少し働きが鈍くなっている頭で、サーンが思い出している間に。扉の横に立っていたのであろう護衛へと、彼がスッと目配せすると。


「失礼いたします」


 サーンがわずかに開いていただけの扉を、一度完全に開け放って。一脚の椅子を、中へと運び込むと。


「これは……?」

「どうぞ、おかけください。本来であれば、先にお渡しするべきだったのですが……」


 緊急事態であったため、椅子の用意よりも治療を優先してしまったのだと、サヴィターに頭を下げられてしまう。


「申し訳ございませんでした。聖女様に膝をつかせてしまうなど、後ほどあるじにご報告申し上げて、お叱りを受けなければなりません」

「まぁ! そのようなこと、お気になさらないでください。わたくしが、一刻を争う事態だと判断したのですから。皆様は、わたくしの指示に従ってくださっただけですもの」


 実際、かなり危ない状態だったのは事実だ。あのまま高熱と苦痛にさいなまれ、儚くなってしまっていた可能性も、ないわけではなかったのだから。

 だがサヴィターにとって、ここは譲れないことのようで。


「それでも、至らなかったことに変わりはございません」


 緩く首を振るその姿は、逆にこちらが申し訳なくなってしまうくらい。

 なので折衷案せっちゅうあんとして、サーンは提案するのだ。


「でしたら、今からでも使わせていただきますね。公爵様も、だいぶ落ち着かれたご様子ですから。まだ、わたくしはここから離れられませんし、とても助かります」

「聖女様にそう言っていただけるなど、恐悦至極に存じます」


 ただし、椅子は一脚のみ。つまりこの場でそれを使用するのは、聖女であるサーンのみであるということ。

 それに対する罪悪感を、初めから持たれないようにするためだったのか。それとも本当に、叱責を受けてしまうからだったのか。真実は、分からないが。


(ありがたいのは、確かですね)


 疲れ切ったこの状態で、長時間立ち話となると。おそらく途中で耐えきれなくなって、倒れるか座り込むかしてしまいそうだったから。

 あるいは、長時間の治療だったことをかんがみて、用意してくれていたのか。


(ありそうですね)


 ここは、ブッセアー公爵邸。この屋敷の主は、元王子殿下なのだから。彼に仕える人々が、一流でないはずがないのだ。

 しかもどうやら国王陛下は、末の弟である公爵様のことを、それはそれは大切にしていらっしゃるのだとか。だとすれば、当時の使用人の選定には特に気を遣ったことでしょう。

 そんな風に思うサーンだが。

 考えてみれば、話を聞いた上でこちらから提案する形になっていたのだから。そらすら、誘導されていた可能性だってある、と。ようやくそのことに気づいて。


(わたくしも、まだまだですね)


 教会という場所も、かなり特殊ではあるが。

 表面上はそう見えないが、実は王侯貴族の使用人というのも、かなり特殊な人々なのかもしれない。


「デューキ様は……」

「ご安心ください。今は、眠っていらっしゃるだけですので」


 とはいえ、どんな人物であったとしても、聖女であるサーンのやることに変わりはない。

 今は落ち着いて眠っているが、目覚めた時にもう一度呪いが発動する可能性があるので、聖女である自分はここから離れられないこと。そして彼が目覚めるまで、基本的には誰もこの部屋の中に入ってこないことを約束して欲しいと、サヴィターに伝える。


「承知いたしました。そのように、屋敷内の者たちに通達いたします」

「それから、どうして公爵様がこのような状態になってしまったのか。分かる範囲で構いませんので、詳しく教えていただけますか?」

「もちろんでございます」


 そうして、ようやく聞き出した情報に。サーンは公爵に対して以上に、国王に対しての怒りが湧いてくるのを感じていた。

 もちろん事の元凶は、全て魔女にある。

 公爵を気に入ったからと、自分勝手に呪いを施し。さらには結界が消える隙をついて、エテルネル王国に侵入してくるほどの、恐ろしい執着を見せているせいだ。

 だが、あくまで公爵は、夜会に参加しない予定でいたというのに。それを強制参加させたというのだから、怒りを覚えるなというほうが無理な話だ。


「なるほど。お話、よく分かりました。ありがとうございます」


 ひとまず、その夜会で何事かがあったというのは、よく分かった。抱き着いてきたという令嬢も、おそらく魔女に操られていたのであろうことも。

 そして同時に、その令嬢から公爵へと、意識なのか魔力なのか呪いなのかを移して、元々の呪いを強化したのだということも。話を聞いただけで、理解はできたのだが。


(これ以上は、公爵様がお目覚めになった時に、直接お話を聞かせていただくべきですね)


 そう結論づけた聖女は、公爵がいつ目覚めてもいいようにと、再び全員に部屋の外で待機してもらい。自分はじっくりと、その寝顔を眺めていたのだが。

 どうやら、体力的な限界が訪れたらしいサーンは。自分でも気がつかない間に、深い眠りへと落ちてしまっていた。





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