第1話 呪われ公爵

 エテルネル王国の王城では、たびたび夜会が開かれているが。今夜に関しては、誰にとっても特別だった。

 国王陛下の腹違いの末の弟である、デューキ・ブッセアー公爵。滅多に姿を現さない彼が、陛下に説得され、久々に参加するという噂が出回っていたのだから。


「公爵閣下」

「おや、マダム。お久しぶりですね」


 呼びかけられて振り向いた彼こそが、デューキ・ブッセアー公爵。本人がこの場に姿を現したことで、噂は本当だったのだと認識した会場内は、にわかに色めき立つ。

 シャンパンゴールドの髪とターコイズブルーの瞳に、短く切りそろえた顎ヒゲ。余裕のあるその仕草からは、生まれ持った気品と同時に色気まで感じさせる、本物のジェントルマン。

 周囲の男性陣よりも高い身長も相まって、あちらこちらから注目を浴びるその姿は、まるで今夜の主役のようだった。


 誤解なきよう先に説明しておくと、彼は決して、目立ちたがりではない。単純に、その容姿と人柄に人々が惹かれ、自然と周りに人が集まって、注目を浴びているだけなのだ。

 事実、彼だけではなく。先代の国王陛下に最後に嫁いだ、彼の母親である先代第三王妃も、目立つことどころか権力にすら、一切興味がない人物で。生まれた子供に王位継承権はいらない、とまで言い切ったことがある。

 その影響を多分に受けて、なのだろう。一番上の兄である現国王が玉座につくと同時に、デューキ・ブッセアー公爵は早々に臣下しんかくだった。

 おかげで現在でも兄弟仲が良好だということは、この国に住む貴族であれば、誰もが知る事実になっている。


「コムトゥ伯爵も。相も変わらず仲睦なかむつまじいご様子で、大変羨ましいですね」


 三十歳をとうに過ぎた今でも、物腰柔らかな口調は王子であった頃から、何も変わっていない。

 そのことに、少なからず安心感を覚えている人物も、存在しているのだが。かくいうコムトゥ伯爵も、その内の一人だった。


「ありがとうございます。公爵閣下も、先日の大会での優勝、お見事でした」

「いえいえ。最終戦など一瞬でも気を抜けば、即座に膝をつかされていたであろう人物が相手でしたから。運がよかっただけですよ」


 今でこそ、ヒゲを生やし武勇にも優れていることが知られている、デューキ・ブッセアー公爵だが。実は彼は十代半ばまでは、大変見目麗しい王子として有名だった。

 その名残が、人によってはまだあるようで。あまりの変わりように、どうしても別人のように思えて緊張してしまうという人物も、中にはいるようだが。

 とはいえ、さすが見目麗しいと言われていただけはあって、三十二歳になった今でも独身のままの彼は、その優れた容姿を衰えさせることもなく。むしろ大人の色気が加わって、今も大勢の女性から、秋波しゅうはを送られている。


「ご謙遜けんそんを。まだまだ、公爵閣下から勝利をもぎ取れるような人物は、しばらくは現れそうにないと伺っていますから」

「それはそれで、若手にはしっかりと励んでいただかないと困りますね」


 ハハハと楽しそうに会話を続ける二人と、その様子を微笑ましそうに見つめている夫人。それを遠巻きに眺めていた人々の波の中から、そっと抜け出したのは、一人の若い女性。

 派手すぎない着飾り方には気品を感じさせながらも、最近流行りの、大胆に胸元のいたドレスを着こなして。

 優雅に、けれどしっかりとした足取りで、真っ直ぐ目的の人物を目指すその姿に。気づいた周りの人々も、そっと彼女の動向を見守る。

 その理由は、二つ。


「公爵閣下、お久しぶりでございます」

「君は……」


 男性は女性に比べて、結婚年齢が高くなるのが通常ではあるのだが。それでも、世間的な結婚適齢期を過ぎたデューキ・ブッセアー公爵が、婚約者すら存在せず。今もまだ独身であるというのが、一つ目。

 つまり、誰かそのお相手になれないかと、密かに周りは期待しているのだ。

 そして同時に。


「ヴイコントゥ子爵家の、ルミエでございます」

「子爵家の。なるほど、大きくなりましたね」

「以前お目にかかった際には、まだ幼い子供でしたから」


 和やかに進む会話の途中。ふとルミエが、デューキの肘あたりに視線を向けて。


「あら? 閣下、失礼いたします。こちらに――」


 服と同じ色なので目立たなかったが、小さな糸くずがついているのを発見して、そっと手を伸ばす。

 その行為は、完全に善意からきたものだった。ルミエは密かにデューキに思いを寄せてはいたが、決して、邪な気持ちを抱いていたわけではない。

 だが。


「まっ……!」


 焦った様子でデューキが制止しようとするが、間に合わず。その指先が、ほんのわずかに彼に触れた、その瞬間。


「うぐっ……!」


 胸元を押さえて、膝をついてうずくまってしまうデューキ。その表情は苦悶くもんに満ちていて、明らかに普通ではなかった。


「閣下!?」


 当然、ルミエは焦る。目の前で憧れの人物が苦しそうにしていたら、誰もがそうなるだろう。

 だが、彼女は知らなかったのだ。なにせ、最後に彼と会ったのは、小さな子供の頃。少し前までならば、この国の貴族であれば知っていて当然のような事実を、わざわざ彼女に教える人物も存在していなかった。

 それ以前に、デューキ自身が社交界から遠ざかっていたというのも、大きな一因ではあるのだが。


「――ッ!!」


 ルミエが彼を支えようと、その肩に触れたのと同時に。声にならない悲鳴を上げてデューキは意識を失い、その場に倒れ込んだ。

 その、左顔面には。トゲの生えた薔薇ばらの枝のような、黒く禍々しい模様が。襟元えりもとの下から、まるでうように伸びているのが見えて。

 思わず息を飲んだのは、ルミエだけだったのか。それとも、見守っていた大勢の中の誰かもだったのか。


 『黒薔薇の呪い』


 彼が異性と身体的な接触をすると発動する、まだ十代の頃に魔女にかけられた呪い。

 それが、デューキ・ブッセアー公爵が社交界から遠のいていた理由であり、いまだに婚約者がいない理由でもあった。

 心臓のあたりにある、一輪の黒い薔薇のアザのような呪いから、急激に伸びるその枝は。見た目通りトゲに突き刺されているような、激しい痛みを伴うのだそうだ。

 そしてそれは、肌だけにとどまらず。その内側にまでも及ぶのだという。


 これがこそが、ルミエの言動を遠巻きに見守る人物が多かった、最大の理由と言っても過言ではないだろう。

 今もまだ、国王陛下の最愛の弟が、魔女の呪いに侵されているのかどうか。本人の口から、直接聞く以外で知る方法はないのだから、仕方のないことではあるが。

 今回のことで、誰もが思ったことだろう。彼はまだ『呪われ公爵』のままなのだ、と。


 だが。


「ブッセアー公爵を医務室へ! 急げ!」

「誰か! 至急、教会へ聖女を呼びに行ってくれ!」


 意識を失ってしまったデューキは、まだ知らなかった。

 この出来事が、忌まわしい呪いから解放してくれるかもしれない人物と出会う、きっかけになることを。

 そして、に振り回されながらも。これから、運命を変えていけるかもしれないのだということを。

 この時はまだ、なにも知らずにいたのだ。





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