第7話 狼の森と嘘

――狼の森


 森の中をジュジュと進んでいく。


 鳥や獣の鳴らす音、木々の梢のざわめきにまぎれて、


「きゃぁあ!」


 ――という絹を裂くような乙女の悲鳴が聞こえてくるかと思ったが、


「うぉりゃー!」

 

 ――森の奥から聞こえてきたのは獣のような咆哮だった。


「なあ、もしかして……いやもしかしなくてもだけどあれ……」


「……うちのお姫様ですわ」


 顔色を失ったジュジュがつぶやく。


 怪我をしたのではないかと気が気でないのだろう。なにせ、少しでも傷がつけば責任を取らされるのは付き人のジュジュなのだ。


「い、急いで行きますわよミレートさん!」


「あ、待って。そこには……」


「きゃあ!」


 少女らしい叫び声をあげ、ジュジュがずっこけた。


「苔が生えてて滑りやすいんだ。遠回りだけどこっちの道を行こう……って言おうと思ったんだけど」


「言うのが遅いですわ!」


 泥の中に顔を突っ込んでわめくジュジュだった。


「うへぇ、服が泥まみれですわ……」


「あ、ちょっと待って」


 そのまま立ち上がって進もうとしたジュジュを呼び止める。


「『修復』の回復をかけるから……」


「しゅ、『修復?』」


 俺は杖を持ち上げてジュジュに向ける。


 正確には、ジュジュの衣服に向ける。


 きらびやかな光が舞い、ジュジュの着衣や皮膚から泥が剥がれ落ちていく。


「はい、これで綺麗になった」


「わぁ! これはすごいですわね! どうやったんですの!?」


「『回復』の術をちょっと転用して、衣服や肌にかけたんだ。もとの状態に戻すという意味では、これも一種の回復だからね」


「ふうん……あなた、さすがにSSSクラスなだけはありますのね。最初からうちのパーティにあなたがいれば、旅の道中での洗濯にも困りませんでしたのに」


「ははは……SSSクラスの洗濯夫じゃないんだけどな」


「ヒーラーって、回復術や状態異常の回復ばかりが能力だと思っていましたわ」


「まあ、そのへんはひととおりできるよ」


「もしかして、攻撃系の魔法もできるんじゃなくって?」


 ちょっと期待のまなざしで見あげてくるジュジュだったが、


「ごめん……今までパーティのなかでそういう役割になったことないから、わからないな」


「そうですの?」


「うん。ギルドで組んだパーティの仲間にはSSSクラスであることは秘密だったから……ヒーラーは後ろで回復だけやってろって感じかな。でしゃばらないで、やれることだけやれって雰囲気が強かったよ。今みたいなのも、人前で披露したのは初めてだ」


「それはもったいないですわね。あなたほどの魔力や素質があれば、いろんなことができるでしょうに……ねえ、ミレートさん」


「?」


「あなたさえよければですが、この先――」


 その先をジュジュが言い終わることはなかった。

 

 大気を振動させるほどの轟音が森の奥から響き、周囲の木々を揺らした。


 鳥や小さな獣たちが、いっせいに森の奥から逃げてくる。


「なにが起こってる……?」


「ま、まさか……いけませんわ」


「ジュジュ、この先にお姫様がいるのか?」


「ロシナさまが危ないですわ!」


 足もとも見ずに駆けだすジュジュの背中を追った。


 その先には開けた土地があり、空から降り注ぐ陽光でほかとくらべてわずかに明るかった。


 倒木があちこちにある広い土地の中央に――ひとりの少女が横たわっていた。


「おねえさまっ――!」


 ジュジュが今までにないほどに切羽詰まった声で駆け寄る。


「おねえさま、おねえさま! しっかりしてください!」


 俺も近づき、様子を見る。


 炎と見間違えるほどに赤い髪をした乙女がそこにいた。ジュジュよりもだいぶ年上に見えるのは、体つきのせいもあるかもしれない。大人びた顔立ちの中にまだ少し幼さがあり、つぶったまぶたの上からでもその瞳の大きさが見て取れた。


 気を失っているが、その右手にはしっかりと剣が握られている。


 間違いない。この女性が、この王国の王女であり姫騎士であるロシナ・ガウラなのだ。


「ああ、おねえさま……!」


「ちょっとどいてくれるか、ジュジュ」


「ミレートさん、おねえさまが……わたし、どうしたら……!」


 取り乱すジュジュのあたまに手を置く。


「まずはきみが落ち着かないと、助けられるおねえさまも助けられない。いいか、俺の言うことを聴くんだ」


「は、はい……」


 まるで幼子と話しているみたいだと思ったが、そうなのだ。気取っているが、ジュジュはまだ実際に幼い。小さな呪術師は体をずらし、俺の入る隙間を開けてくれた。


 体に触れ、様子をうかがう。


「気を失っているだけだ。大きな外傷や皮膚下の出血もみられない」


「ほ、本当ですの……?」


「あとは頭だが……」


 俺は眠っている姫様の後頭部に触れる。大きなこぶのようなものはない。


「さっきまで『おりゃー!』とか『殺すぞー!』とか叫んでたのはこの姫様だよな?」


「え、ええ」


 ジュジュは涙目になって頷いた。


 ……いち国民としてあんまり頷いてほしくはなかったかもしれない。


「だとしたら、何かに驚いて一種のショック状態になり、気絶したんだろう。昏倒したときに柔らかい腐葉土の上に倒れたおかげで、傷やこぶもない。回復術を使うまでもないだろう」


「そ、そんなことまでお分かりになるのですね……?」


「まあ、長年後衛をやってるからな。いろいろと見てきたんだよ」


「では、おとなしいうちにおねえさ……ロシナさまを馬車まで運びましょう」


「……いや、それはあとにしたほうがよさそうだ」


「ど、どうしてですの?」


「『再現』」


 俺は中腰のまま杖を持ち上げ、周囲に振る。

 

 魔術の円(サークル)がふわりと広がり、そのまま視界全体を包む。


「こ、これは……」


「このあたりいったいの環境の『回復』をした。見ろ」


 いくつもの倒木がめきめきと立ち上がり、木に戻っていく。円が広がるにつれて、それは開けた土地全体をひとつの林にした。


「古くなって腐った木が倒れていたのかと思ったが、違ったんだ。これらの木々は、ついさっきまでここに立っていた……だれかがものすごい力で暴れて、ここら一帯を一瞬で更地にしたんだ」


「ロシナさま……」


「心当たりがあるんだな、ジュジュ」


 ジュジュはこくりと頷いた。


「……ロシナさまは、SSSクラスの騎士だと申し上げましたね」


「あ、ああ」


「それは嘘なのです」


 俺は耳を疑った。


「なっ……嘘!?」







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