第16話 もう一人の聖女
「――お支度ができましたよ。お嬢様」
アリシアさんとジャスミンさんに見守られ、私は意を決して姿見の前に立つ。
「! これが、わ、私……?」
思わず感動の声が口を突いて出てしまう。
青を基調とした見事なドレス。
胸元にはたっぷりのフリルをあしらい、スカートは裾に向かうにつれて色を淡くして、美しいグラデーションを描く。
さらに裾にはたくさんの真珠があしらわれている。
このドレスは、わざわざ今日のパーティーのために、ヨハネがデザイナーを呼んで作ってくれたものだ。
最初は既存のドレスを私の寸法に会わせてくれれば大丈夫と言ったんだけど、却下されてしまった。
「髪飾りは、こちらでよろしいですか?」
アリシアさんが見せてくれたものは、ヨハネが保管してくれていたあの髪飾り。
「はい、それでお願いします」
ノックの音がした。ジャスミンさんが出ると、ヨハネだった。
彼は黒を基調したタキシードだ。
装飾は控え目でシンプルなデザインだが、そこはヨハネの本来持つ気品と精悍さがしっかり補われ、装飾は必要最低限なのに目を奪われる。
「ヨハネ、とても素敵よ。……私はどう? パーティーに相応しい格好、できてる?」
私は照れくさくなりながらも聞いてみる。
「…………」
「どうかした? あ、似合わない……?」
私をじっと見つめたままよく分からない表情で立ち尽くしているヨハネに、私は夢から覚めるような思いで、身の程知らずな格好をしてしまったと浮かれていた自分が恥ずかしくなった。
「似合ってはいるが、駄目だな」
「え? どういう意味……?」
「デザイナーは、クライスの紹介で腕は都で一番とか言っていたが、大したことはないな。お前の魅力にドレスが完全に負けてる」
「え……そ、そんなことないと思うけど。とても素敵に作ってくれたもの。こんなに素敵なドレス、はじめて着るわ」
このドレスを着ることができてとても幸せだ。
一生のうち一度着られるかどうかの品だと思う。
しかしヨハネは、首を横に振った。
「自分を安売りするな」
なんで怒られているんだろう。
そんな私たちをアリシアさんたちが微笑ましそうに眺めている。
「さあ、行くぞ」
ヨハネが私に白い手袋に包まれた手を差し出してくれる。
その手を取り、私たちは部屋を出た。
玄関には見送りのために、教会のみんなが集まってくれている。
「ユリア、とっても素敵!」
トレイシーが飛びつかんばかりに勢いで言ってくれる。
「ありがとう」
みんなも口々に「素敵!」「お姉ちゃん、お姫様みたいだ!」と褒めてくれる。
褒められ馴れていない私は困惑と気恥ずかしさで顔を真っ赤にしてしまう。
「……それじゃあ、行ってきます」
玄関前に横付けされている馬車へ乗り込み、王宮へ向かう。
私は人目に触れないよう、王宮の裏手から中に入ると、殿下の私室へ案内された。
「素晴らしいよ、ユリアさん!」
白を基調とし、胸元で勲章を揺らしている殿下が満面の笑みで出迎え、ハグをしようとする。
ヨハネがその間に割って入り、「触れるな」とドスの聞いた声で制する。
「アハハ、残念。あなたの番犬はかなり手強いようだ」
そんなおどけたことを口にする。
ヨハネからかなり睨まれているのに余裕の笑み。さすがだわ。
私なら頭が真っ白になりそうなのに。
「殿下、そろそろ……」
侍従の言葉に、殿下は頷く。
「では、行こう」
いよいよ。
私は緊張しながら、殿下たちと一緒に歩き出した。
※
「王太子殿下の御成でございます!」
先触れの声がパーティー会場に響きわたる。
堂々と歩く殿下のすぐ後ろに、私とヨハネと続く。
王宮でのパーティーのきらびやかさは、目が眩みそうになるほどすごい。
参列者は着飾り、魔物に脅かされているとは思えないくらい豪華な料理が所狭しと並んでいる。殿下によると今日のために、備蓄されている食糧の一部が開放されたらしい。
紳士淑女の中心にいるのが、聖女カトレア。
その傍らの口ひげをたくわえた中年男性がマルケス侯爵。
カトレアはまるで王族のように君臨している。
自分を囲むゲストたちに向ける笑顔は彼女の生来の美しさもあいまってとても輝かしいはずなのに、背筋に冷たいものを感じてしまう。
半歩後退ろうとすると、ヨハネに背中を支えられる。
「――堂々としていろ。俺がついている」
ヨハネがそう励ましてくれると、不思議と恐怖心が和らいでくるから不思議。
そうよ。ここにはヨハネも、殿下もいてくれる。
カトレアがなによ。私だってれっきとした聖女なんだから。
「ありがとう、ヨハネ」
私が笑いかけると、ヨハネははっとして顔を背けてしまう。
「?」
その反応を不思議に感じつつ、会場に目を向ける。
殿下が会場にやってきたはずなのに、カトレアの周囲にいる貴族たちは特に気にした様子もなかった。
普通なら殿下がいると知れば、恭しく迎えるのが普通のはずなのに。
「……これが現状だ。王太子よりも貴族たちがありがたがるのは聖女なんだ」
殿下はそう苦笑まじりに言った。
「これは、殿下、それに公子……いえ、伯爵様」
カトレアが取り巻きたちを引き連れ、悠然とした笑みを浮かべ、どこか芝居がかった素振りで頭を下げる。
そこでようやく周囲の貴族たちも頭を下げるんだけど、お世辞にも敬意があるようには見えず、ただ形通りにしましたと言わんばかり。
「聖女カトレア。それからその取り巻きの皆さん」
殿下が微笑みを浮かべながら嫌味たっぷりに告げると、何人かの貴族たちは露骨に顔をしかめる。
「今日、皆に集まってもらったのは、他でもない。この国を救う聖女の帰還を知らせるためだ」
カトレアは微笑み、「夜逃げ聖女イリーナが戻って来たのですか?」と皮肉たっぷりに言うと、場が笑いに包まれた。
「いいや。戻って来たのは、浄化の聖女ユリアだよ」
笑いは瞬く間に、どよめきに変わった。
カトレアが疑るような視線を殿下に向ける。
「聖女ユリアはとうの昔に亡くなったではありませんか。まさか亡霊となって戻ってきたとでも?」
「亡霊ではなく、あの日のままの姿で戻って来たんだよ」
殿下は私を振り返り、頷く。
深呼吸をした私は胸を張り、しずしずと会場の真ん中へ歩みを進めた。
「お久しぶりです、聖女カトレア。それから、貴族の皆様」
私は卑屈に見えない程度のお辞儀をする。
「まさか、そんな……」
「確かにあの日のままだわ」
「本当に十代のままだ。い、一体どういうわけだ?」
貴族たちが囁きあう。
「静まれ。神が我々を救うため、聖女ユリアを我々の元へ使わしてくださったという他、考えられない。もう我々は淀みや不浄に苦しむことはない。彼女がいれば、そんなものはたちどころに消えてなくなるのだから」
「――本当に、浄化の聖女であれば、そうでしょうな」
マルケス侯爵が疑るような視線を向けながら言った。
「た、確かにそうだ」
「死んだはずの聖女が生き返るはずないわ」
「聖女カトレア様の人気を殿下が妬み、似た娘を連れてきたのかもしれない」
たちどころに疑念に切り替わる。
マルケス侯爵は自分の影響力に満足するように、小馬鹿にしたような顔つきで私を見てくる。
どうだ、と言わんばかりに。
「では、れいのものを」
殿下の合図で運ばれてきたのは、甕一杯に入った淀んだ水。
そこからはえぐみのある腐敗臭が漂う。
貴族の人たちは顔をしかめ、扇やハンカチで鼻を覆い、数歩後退った。
「これはどういうことですか。パーティーの場にこんなものを」
「聖女ユリア。あなたの力を、ここにいる者たちに見せてください」
「もちろんです」
私は甕の前に進み出ると、両手をかざす。
綺麗な、澄み切った水を想像する。
ポチャン、と雫が落ちていく様を思い描く。
同時に、両手に集約した光が甕を包み込んだ。
光が収束すれば、「できました」と言った。
すでにこの場に鼻の曲がりそうな腐敗臭は、綺麗になくなっていることに、列席者は気付いているはず。
殿下はゴブレットを持って来させると甕の中に入れて水を汲み上げ、何のためらいもなくゴクゴクと喉を鳴らして飲み始めた。
「素晴らしい。なんという美味しさだ」
貴族たちが一斉に甕の周りに集まり、覗き込んだ。
召使いたちが貴族たちにゴブレットを渡して回ると、我先にと水をくみ始める。
「し、しんじられない!」
「あの淀みがたちどころに美しい水に……」
「なんと……奇跡、奇跡だ! 聖女様!」
貴族の人たちがまるで蝋燭の明かりに引き寄せられる虫のように、私の元へ集まろうとしてくる。
しかしその人たちは、あるところで足を止めざるをえなかった。
ヨハネが剣を抜き、私を守るように背中でかばってくれたのだ。
「――離れろ、豚共」
「これで分かっただろう。彼女は正真正銘、浄化の聖女ユリアに他ならない」
勝ち誇ったように殿下の発言に、貴族たちが「聖女様」「これでようやく飲み水に困らなくなる」と頭を下げ、中には跪き、祈りはじめる人たちまで出て来た。
さっきまでのあの態度との差に引いてしまったけど、これで少しはカトレアの傍若無人ぶりに歯止めがかかってくれればいいんだけど。
私がカトレアに目を向けると、彼女は笑顔だった。
「聖女ユリア、あなたが無事で本当に安心しました。共に王国の為に尽くしましょう」
「は、はい……」
差し出された手を握ろうとした瞬間、私の腰に腕が回され、ぐっと後ろに向かって引っ張られた。
何が起こったのか分からないまま、ヨハネの胸に抱かれてしまう。
「よ、ヨハネ……!?」
「触れるな。お前が触れていいような奴じゃない」
聖女を面と向かって罵倒するヨハネに、場がざわつく。
一部の貴族たちは不満そうな顔をしたが、ヨハネに睨まれるのが怖いのか、遠巻きにするばかり。
「貴様、何だ、その口の利き方は……!」
マルケス侯爵が唯一反発したものの、それもヨハネから白刃を向けられれば、尻すぼみになって終わる。
「聖女ユリアは力を使い、お疲れだ。ここで失礼するっ」
ヨハネに抱きしめられたまま、私は半ば引きずられるようにこの場を後にする。
「ヨハネ……!?」
腕の中から抜け出そうとするけど、ヨハネの太い腕からはどうしたって抜け出せず、私はズルズル引きずられるがままになってしまう。
会場を出てしばらくしてようやくヨハネは腕の力を緩めてくれると、私はつんのめるようにして腕の中から抜け出した。
「どういうつもりなの。勝手に出て来ちゃうなんて」
「クライスの望みは果たした。これ以上、あんな連中の視線に、お前がさらされるのは堪えられない」
「あんな連中の、視線……?」
「気付いていなかったのか? お前を見つめる連中の下卑た視線に。ついさっきまでカトレアに尻尾を振ってたにもかかわらず、まるで何事もなかったようにお前へすり寄ろうとしていただろ。全員の首を刎ねてやりたくなる……!」
ヨハネは本当に怒りを剥き出しにしていた。
確かに会場でのことを思い出しても、貴族の節操のなさに呆れ果てたのは、確かだ。ついさっきまで誰もがカトレアの信奉者だったのに。
私が助けたいのはあんな人たちではない。
パーティーに来られない、一番真っ先に犠牲になってしまう弱い人たち。
だからいつまでも王宮に留まる必要はない。
ここに私が助けたい人はいないんだから。
「ヨハネの言う通りね。帰りましょう。でも殿下を一人置き去りにしてしまって大丈夫かな……」
「あいつは要領がいいからうまくやる。今ごろ、カトレアたちに一矢報いることができて得意になっているはずだ」
ヨハネが差し出してくれた手を取り、私たちは肩を並べて廊下を歩きだした。
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