第14話 浄化任務②
王都を出てしばらくすると、紫色に淀んだ沼地が見えてくる。
沼の表面ではいくつもの泡が膨らんでは弾け、そのたびに悪臭を撒き散らしていた。
周囲の木々は黒く腐敗して枯れ果て、無残な姿をさらす。
「ここってたしか……」
「魔物が現れる前は綺麗な湖や豊かな森があった。今じゃこんな有り様だ」
森がここにあったことなど、言われても信じられない。
これが全部、魔物の仕業だなんて……。
「ヨハネ、下ろして。すぐに私の力で浄化を……」
「その前にやるべきことがある」
「え?」
「――全員、剣を抜け! 来るぞ! ……ユリア、お前はここにいろ。動くなよ!」
剣を抜きながらヨハネたちは馬から下りる。同時に沼地から、魚と人の合いの子のような魔物が現れた。数は十体を下らない。
ギイェエエエエエ!
奇声を上げ、魔物がヨハネたちに飛びかかる。
しかしヨハネたち騎士団の面々はそのグロテスクな魔物相手にも心を乱した様子はなく、冷静に斬り捨て、あっという間に片付けてしまう。
「周囲を探索! 他の魔物からの襲撃に備えろ!」
周囲への警戒が一段落つくと、ヨハネたちははじめて剣を鞘に戻す。そして私のほうへ近づいて来ると、ヨハネが手を差し出してくる。
「ありがとう」
その手を取り、馬から下りた。
異臭を漂わせる沼地へ近づく私を、他の騎士が固唾を呑んで見守っている。
両方の手の平を沼へ向け、清らかな湖をイメージする。
(ここをあるべき姿に……)
頭の中で、チャポン――と透明な水の雫が落ちた。
全身を清らかな輝きが包み込めば、沼地が同時に蜜色にきらめく。
一度瞬きしたその後には、腐敗臭を漂わせる沼地は、水底まで透けるような澄んだ湖に戻っていた。
「す、すげえ!」
「マジかよ! 何かの手品か?」
「馬鹿野郎! 聖女様の力に決まってるだろうが!」
騎士たちはしゃがみこむと、恐る恐る両手で水を掬い、口をつける。
「うめえ!」
「なんだこの水!?」
「こんなうまい水、はじめて飲んだぞ!」
はしゃぐあまり、甲冑のまま水の中に飛び込む人もいた。
(良かった無事に成功した)
その時、私は虚脱感に襲われ、立ってはいられなくなった。
「平気かっ」
いつの間にかすぐ後ろにいたヨハネが、しっかり支えてくれる。
「……こんなに広い範囲を浄化するのははじめてだから、少し力を使い過ぎちゃったみたい」
心配かけまいと笑ってみせるけど、ヨハネの眉間に皺は消えてくれない。
「まったく。いくら聖女でも肉体まで特別ってわけじゃないんだぞ」
「ごめん」
「……さすがは聖女だ。浄化の力は唯一無二だな」
ヨハネは優しく囁く。
また。
大人の男性になったヨハネに微笑まれると、鼓動が早くなる。
(これは、ヨハネに微笑まれ馴れてないからよ)
いちいち動揺するなんて恥ずかしいから、しっかりしなきゃ。
「あ、ありがと」
「任務はこれで終わりだ。帰るぞ」
私たちは務めを終え、王都へ戻った。
ヨハネは屋敷に戻ると、私を抱き上げ、そのまま屋敷へ向かっていく。
「! ちょっと、ヨハネ!?」
「暴れるな」
「じ、自分の足で歩けるから……っ」
「ふらついていたくせに何を。部屋まで送る」
「恥ずかしいのっ!」
私はトマトみたいに顔を赤くしてしまう。
「安心しろ。揶揄するような奴がいたら俺が始末してやる」
(ぜんぜん安心できない……!)
「そんなことしなくてもいいからっ。下ろしてくれればそれで……」
どれだけ抵抗してもヨハネのがっしりとした腕からは逃れようがなく、私は抱き上げられている姿を、屋敷のみんなに見られる羽目になった。
そして部屋の前へ到着する。
この間、私はずっと顔をヨハネの肩口に押し当て、隠し続けていた。そうでもしなければ、恥ずかしさの余り、どうにかなってしまいそうだから。
「も、もう部屋についたんだから下ろして……」
そんな私を抱き上げたままのヨハネがじっと見つめる。
「……ずっとこのまま抱きしめていたい」
「え? な、何?」
「何でもない」
ヨハネは、ようやく下ろしてくれる。
ヨハネはアリシアさんやジャスミンさんに「どんな些細なことでも、何かあればすぐに知らせろ」と私に向けていた笑顔とは対極にあるような厳しい顔で告げると、部屋を出ていく。
(あぁ……恥ずかしかった……)
私がなかなか立ち直れないでいると、トレイシーが部屋を訪ねてきた。
「どうしたの?」
「ねえねえ、伯爵様とイイ感じだったじゃない!」
「い、いい感じ?」
「伯爵様があんな風に女性に優しく笑いかけるところなんて初めて見たんだもの! ユリアのこと、伯爵様が好きだってことじゃない!?」
たしか、前にも同じことを騎士の人たちに言われたような。
「わ、わざわざそんなことを確認しにきたの?」
トレイシーの恋バナ好きは今にはじまったことじゃないけど。
「なによぉ。いいじゃない。私たちの仲でしょ? どこまで進んでるのっ?」
「なにも進んでない。ヨハネが私のことを好きになるわけないでしょ」
傍から見てヨハネが好意を抱いているように見えるとすれば、それは私が命の恩人だから。
今やヨハネはすっかり成長した女性なら誰もが振り返るような貴公子。孤児の私に好意なんて抱くはずもない。
「想いは身分を越えるんだから!」
「それは小説の世界では、でしょ。トレイシーはラブロマンス小説の読み過ぎ」
「え~。ビビッときたんだけどなぁ」
「も、もういいでしょ。疲れてるから」
「私の直感がよく当たるの、知ってるでしょ?」
「じゃあ、今回は外れねっ」
私はトレイシーの背中を押して部屋から追い返した。
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