第12話 王太子からの要請

 翌朝目覚めた私は、久しぶりにアリシアさんやジャスミンさんから髪や肌のお手入れをしてもらった。

 二人は、いつもよりもずっと時間をかけ、髪型やメイクをしてくれた。


「ありがとう、アリシアさん、ジャスミンさん」


 その時、ノックの音がした。


「はい」

「入っていいか?」


 ヨハネの声。


「どうぞ」


 ヨハネは手に御盆を持っていた。そこにはスープとサンドイッチ、果物の載ったお皿が二つずつ載っていた。


「一緒に食事を取ろうと思って持ってきた」

「ありがとう」


 アリシアさんたちは、一礼して部屋を出ていく。

 私たちはテーブルを挟んで向かい会い、朝食を取る。

 サンドイッチを食べるなり、「懐かしいっ」と思わず声が出た。


「これ、シスターが作ってくれたやつよね! ハムとピリ辛マスタードのサンドイッチ。このマスタード、シスターのお手製なの!」

「ああ、シスターから聞いたよ」


 子どもの頃は目を合わせてくれなかったけど、今は目を合わせすぎというか、やけに熱心に見つめられてる。

 そう言えば昨日もそうだった。


(私、不作法しちゃったかな?)


「……どうかした?」

「何が?」

「さっきからじっと見つめてくるから、何か言いたいことでもあるのかなって」

「いや。ただ、お前の顔を見ていたかったから。悪い。気になって食事に集中できないよな」

「ううん、ただちょっと、馴れないだけ。だってヨハネからしたら十五年ぶりだけど、私からしたらまるで子ども時代が昨日のことみたいだから。子どもの頃のヨハネは、私と目を合わせてくれなかったから」

「……あれは、俺が全部、悪い。とにかくお前と一緒の空間にいるとドキドキして苦しかったんだ。どうしてそんなことになるのかも分からなくて戸惑って。その苛立ちをぶつけて……馬鹿なことをしたと反省してる」

「ドキドキして、苦しい……?」

「俺はユリアのことが、子どものころから好きなんだ」

「!」


 ドクン! 心臓が早鐘を打つ。


(まるで告白されているみたい……)


 好きというのは男女の恋愛ではなくって、あくまで親愛っていうことなのに、今の成長したヨハネに言われると勘違いしそうになっちゃう。


「あ、ありがとう。私も好き、だよ?」

「……お前の好きとは、違うんだけどな」

「え?」

「いや、何でも無い。とにかく子どもの頃の無礼で生意気で可愛くなかった俺のことはさっさと忘れて、今の俺だけを見てくれ」

「ふふ」


 私が不意に笑ったことに、ヨハネが不思議そうに見つめてくる。


「あ、ごめんなさい。微笑ましいなって。教会の子も、なかなか素直になれなくて、最初のうちはやたらと反発して意地悪したり、わざと相手の嫌がることをする子が多かったから。ところで、今日は騎士の任務で外に行く?」

「予定としては。何故だ?」

「私もお手伝いしたいから」

「手伝い?」

「今の時代なら、浄化の力が役に立つと思うの。ジルディンさんの村の井戸を浄化できたから」

「そんな危険なことをする必要ない。それより昨日は俺が間に合ったから良かったものの、一歩間違っていたら魔物に傷つけられていたかもしれないんだ。屋敷にいるんだ」

「私は聖女よ。何もせずに屋敷に引きこもっていろだなんて……」

「お前はここにいて、したいことだけをしていればいい」

「だから聖女の力を使って――」

「それ以外だ。ユリア、お前は十五年という歳月を一気に跳び越えた。身心にどれだけの負荷がかかったかも分からない。今は大丈夫でも、無理をしたらどんな反動がくるかも分からないだろ。聖女としての務めより、今はまず自分のことを第一に考えてくれ」


 ヨハネが言っていることは理解できる。

 でも人を助けられる力があるのに、何もしないなんて……。

 その時、控え目なノックの音がした。

 アリシアさんだった。


「伯爵様、お客様がいらっしゃっています」

「今は忙しい」

「……王太子殿下ですが」

「忙しくて相手はできないからと追い返せ」

「わ、私が、ですか?」


 アリシアさんは顔を青ざめさせる。

 殿下を追い返すなんて、ヨハネくらいにしかできないことだ。


「ヨハネ、ダメよ。忙しくないんだから、ちゃんと殿下と会ってきて」

「ユリアと一緒に朝食を取るのに忙しい」

「お願い。わざわざいらっしゃるなんて大切な用事のはずよっ」


 ヨハネを見つめると、彼はじんわりと頬を染めて目を逸らすと、小さく息を吐き出した。


「……応接室で待ってもらえ」

「かしこまりましたっ」


 アリシアさんは安堵し、大きく頷く。


「それじゃ、私もご挨拶を」

「その必要はない」

「殿下とは何度かお目にかかっているわけだし、私が無事に生還したことを知って頂かないと」

「いいから、ここにいるんだ」


 ヨハネはきっぱり言うと、部屋を出ていってしまう。

 一人残された私を気遣い、アリシアさんが飲み物を勧めてくれる。

 私はお礼を言って飲みながらも、


(ヨハネは私を気遣ってくれてる。その気持ちは嬉しい。でも甘えるばかりでいいの?)


 自分に問いかける。


『神様があなたにその力を与えたのにはきっと、お考えがあるはず。無用なものなんてこの世のどこにもないのだから。あなたにしかできないことをするの。あなたの力を必要とする人たちが、この世界にいるはずよ』


 私を勇気づけてくれたシスターの言葉が、よみがえる。

 ヨハネはああ言ったけど、浄化の力を持つ私が無事であるということは、殿下に知っていただくべきだ。


「よし」


 席を立つと、応接室へ向かう。

 部屋に近づくと、扉ごしに会話が漏れ聞こえてきた。


「俺は忙しい。用事なら手短にしてくれ」

「僕の呼び出し命令をすっぽかしておいてどの口で言うんだ」

「すっぽかしたわけじゃない。忘れていただけだ」

「魔物討伐の援軍を要請された。すぐに向かってくれ」

「断る」


 えっ!?


「ふざけてるのか?」

「ここのところ休みなく出陣している。騎士団なら他にもあるだろ。いい加減、部下を休ませたい」

「お前たち以外の騎士団が魔物と遭遇するたび、怪我人を出して、復帰に時間がかかってるのは分かってるはずだ。お前たちだけが魔物との遭遇にも高い生還率を叩き出してる」

「とにかく今は駄目だ」

「負担を押しつけてしまっているのは申し訳なく思ってる。だがお前を頼れないとなると、マルケス侯爵の私兵を頼らざるをえなくなる。これ以上、連中にでかい顔をさせたくない」

「それでも今は……」


 私は応接室に飛び込んだ。


「ヨハネ、お願い。出陣してあげて!」

「ユリア!?」


 ヨハネが呆然とした顔で私を見つめる。


「ユリア……?」


 殿下がぽつりと呟く。

 あの頃よりも成長した殿下は優雅さに磨きがかかり、より魅力的になられていた。


「殿下、お久しぶりでございます。覚えておられますか? 十五年前に裂け目に呑み込まれた、ユリアです」

「君は、ほ、本当にあのユリア……?」

「はいっ」


 殿下は確認するようにヨハネを見た。

 ヨハネは渋面をつくりながらも「そうだ」と頷いた。


「……裂け目に呑み込まれて、生きていたというの……?」

「そうです。私も、どうしてなのかは分からないんですけど」

「つまり彼女が、お前の忙しい理由、か」

「そうだ」

「殿下。今、世界がどのような状況かは聞き及んでおります。どうか、聖女としての力で国を救う協力をさせてくださいっ」


 深々と頭を下げる。

 ヨハネが「おいっ」と声を上げるが、無視した。

 やっぱり私は自分にできることがしたい。


「それは願ったり叶ったりだ。浄化の力なら、今この国が直面している汚染にも対処できる。多くの民が助かるっ!」


 殿下がにこやかに微笑む。


「駄目だ。こいつを危険な目に遭わせるわけにはいかない!」


 ヨハネは殿下を睨み付けるが、殿下は涼しい表情で受け流す。


「ヨハネ、彼女自身の望みを無下にするのか? お前の望み通り、他の騎士団に出陣を命じる。彼女の護衛を兼ねて」

「他のゴミのような騎士団どもに、ユリアを預けられるわけがないだろ!」

「だったらどうする?」


 ヨハネは大きく舌打ちをしながらも、「俺が守る」と即答した。


「ヨハネ、いいの……?」

「いいもなにも、お前は浄化の力を使いたいんだろ」

「うん」

「一つだけ条件がある。王都の外では俺に従え。いいな?」

「分かったわ」

「絶対にだぞ」


 念を押したヨハネは部屋を出ると、足音をズンズンと大きく鳴らしながら階段を上がっていく。

 怒らせちゃった。


「すまない、聖女ユリア。あなたを利用させてもらった」

「気にしてません」

「詳しく事情を聞きたいけど、今日はこれで失礼するよ。また改めて」

「はい」


 私は頭を下げ、殿下を見送った。

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