第8話 15年後の世界

 露の雫が顔で弾ける。

 その冷たさと肌を滑るくすぐったさに、目を開けた。


「……?」


 そこは、見知らぬ荒野。

 初夏だというのに、ほとんどの木々は葉を落とし、虚しく枝を伸ばしているだけ。

 草も萎れていたり、黒く腐って枯れていた。

 地面も黒ずみ、カラカラに乾いてひび割れる。

 空には分厚い雲が垂れ込めていることもあいまって、不気味だ。

 王都のそばにこんな場所、あったっけ?

 自分がどうしてここにいるのか、記憶を探る。


(そうだ、私……空の赤い裂け目に呑み込まれて……ヨハネ君だけでも助けられて良かった。あ、でもかなり強く突き飛ばしちゃったから怒ってるかも……)


 ひとまず屋敷に戻らないと。みんな、きっと心配しているはず。

 私は立ち上がる。体のあちこちが痛むけど、歩くのに支障はない。

 とりあえず道沿いを進む。そのうち人に会うか、街を見つけられるだろう。

 歩き出して一時間。

 そろそろ休憩をしようかと思った矢先、集落が見えてきた。


(良かった……!)


 疲れも吹き飛んで駆けだしたが、その集落がおかしいのはしばらくして気付いた。

 建物の壁や扉、屋根には穴が開いていたり、上物は瓦礫になり、土台だけが残っていたり。完全な廃村だった。


(ほ、骨!?)


 あきらかに人のものと分かるものが転がっている。


(な、なんなの……)


 鳥肌が立ち、嫌悪感がこみあげた。

 恐怖に駆られ、早く出ようと思ったところ、地響きを感じた。

 地響きはこの集落に近づいている。

 私は慌てて廃墟の一つに隠れ、壁にはしった裂け目から外を窺う。


「っ!」


 地響きの正体は、やけに頭の大きなカラスだった。ただのカラスじゃない。

 身の丈はこの村のどんな建物よりも高く、鋭い眼光と爪、血と分かる汚れのついた嘴を持っている。

 カラスの化け物が何かを探るようにあちこちを睨み付ける。

 私は口を両手で押さえ、漏れそうになる声を必死で押し殺した。

 体が小刻みに震え、見つかりませんようにと祈る。


 ギャアアアアア……!


 化け物は濁声を上げたかと思うと、巨大な翼をバサバサと動かし、飛び立っていく。


(行った……?)


 念のためにしばらく様子を見てみるけど、化け物が戻って来る様子はない。

 ほっと胸を撫で下ろし、急いで集落を出た。


(あの化け物は何なの……!?)


 あの赤い裂け目のせいで、あんな化け物が出て来たのだろうか。

 そしてあの化け物のせいであの集落の人たちは――。

 恐怖と不安で泣きそうになりながらも必死で足を動かす。

 足が棒になるくらい歩けば、喉はカラカラ、膝がガクガク。

 注意散漫になっている時に、足元に矢が刺さった。


「っ!」


 腰を抜かして座り込んでしまう。


「止まれっ!」


 声のほうを見ると、五人の男の人たちがいた。

 その内の一人の青年が小刻みに震えながら、矢を構えていた。

 他の男の人たちもまた怯えながらも、剣を構えている。


「化け物め! こ、殺してやる!」


 ば、化け物……? 私のこと1?


「ち、違います! 私は人間です! 見て分かりませんか!?」

「枯れた地から来ておいて、何が人間だ! 騙されないぞ!」

「ち、違うんです……わ、私、本当に……っ!」


 恐怖のあまり涙がボロボロと流れてしまう。


「おい、あの子、人なんじゃないか?」

「化け物が人間に変装してるかもしれないだろ!」

「だが、涙を流してる。騎士様から聞いただろ。化け物は人間のフリはできても、感情を理解していないから涙は流せないって」


 男たちが何かを話し合っているが、私はただただ恐怖で体を固くすることしかできない。


「おい、嬢ちゃん」


 さっきよりも声が近い。顔を上げると、五人の中で一番の年長者の中年男性がすぐ目の前にいた。


「は、はい……?」

「どこから来た」

「お、王都から」

「は? 王都? 嘘つくなよ。あんた枯れた地から歩いてきたじゃないか」


 赤い裂け目の話をしても事態が良くなるとは思えなかった。


「……気付いたら森で倒れていて。どうしてこんなことになったか分からないんです……」 ふむ、と中年男性は私の姿をまじまじと眺める。

「……その身なり、いいところのお嬢さんみたいだな。あんたどこに行くつもりだ?」

「王都に帰りたいんです。今ごろ私のことを心配してると思うので」

「王都ねえ。……ひとまず、ついてこい。こんなところにいたら魔物に食われる」

「は、はい」


 膝が笑ってなかなか起き上がれないでいると、呆れ気味に溜息をついた中年男性が私の腕を掴んで、起こしてくれた。


「……ありがとうございます」

「こっちだ」


 すると、他の男性たちが集まってくる。


「正気か。こいつを村に連れて来るのかっ」

「放ってはおけないだろ」

「魔物だって可能性も……」

「涙を流してるんだ。人間さ。お嬢さん、名前は?」

「ユリアと申します」

「ユリア……あぁ、皮肉なもんだな。死んじまった聖女様と同じ名前じゃねえか」


 私以外にユリアという聖女がいるの? そんな話、聞いたことない。


「聖女様が亡くなったんですか?」

「なんだ、こんなことも知らないのかって……お嬢さんは若いから知らないのも無理ないか。十五年くらい前だったかな。浄化の力を持ったユリアという名前の聖女様がいらっしゃったんだが、赤い裂け目に飲まれて死んじまったんだ。あぁ、あの方がいらっしゃったらとつくづく思うよ……」


 十五年前? 聞き間違い、だよね?

 だって、あの赤い裂け目に呑み込まれて数分しか経ってないんだし。

 気絶していたとはいえ、せいぜい半日とか一日くらいだろうし。


「? いきなり立ち止まってどうした……?」

「今は何年ですか?」

「はあ?」

「教えてください。今は、何年ですかっ」

「王国暦418年だが?」


 嘘。本当に? でもこの人が嘘をつく理由なんて何も……。


「顔が青いが、平気か?」

「この女、様子がおかしいぞ。やっぱり魔物じゃないのか!?」

「黙れ。人間なんてみんなどこか変だろうさ」

「わ、たし……」


 精神的なショックのせいか、視界がぐらぐらと揺れる。立っていられない。


「お嬢さん? 平気か?」


 大丈夫です、と言いたいのに、うまく声が出せない。

 視界がぐるりと回る。

「お嬢さん!!」

 私の意識は途絶えた。


 次に気付いた時、見えたのは天井だった。

 あぁ、良かった。何もかも夢だったんだ。

 そうよね。あれから十五年も時間が経っているなんてことあるわけない。

 変な夢をみてたんだ。

 体を起こす。寝かされていたのは屋敷の豪華なベッドではなく、こぢんまりとした寝台だった。

 見えた天井も見知らぬもの。部屋も、屋敷のものじゃない。

 夢じゃない。


「良かった。起きたか」


 部屋に顔を出したのは、あの初老の男性だった。


「夢じゃなかった……」

「ん? お嬢さん、いきなり気絶しちまったんだぞ。大丈夫か?」

「……は、はい……」

「そんなひどい顔色で言われてもなぁ」

「ご心配おかけして申し訳ありません」

「ちょうどメシにしようとしてたんだが、腹は?」

「いいえ、大丈夫で――」


 ぎゅるるるる。


 空気の読まない腹の虫に私は赤面してしまう。


「あっはっはっは、腹が空いてるのは健康な証拠だ。メシと言っても大したもんはないけど、食べていきなさい」


 初老の男性――ジルディンさんと一緒に食事をした。

 食事は塩で味付けをしたクズ野菜の入ったスープに、黒パン。

 食事をしながら私は記憶が混乱していると嘘を言って(混乱しているのは本当だけど)、このあたりのことを教えてもらった。

 驚くことにここは王都から徒歩で半日ほどしか離れていないという。

 ジルディンさんが話していた裂け目というのは、私が吸いこまれたあの空に出来た裂け目と同じもの。

 あの裂け目から十年ほど前から突然、魔物が降ってきたのだという。

 魔物の被害に王国や周辺諸国はついていけず、ある村は全滅し、ある村の住人たちは生まれ故郷を捨てて逃げ出した。

 その結果、人の住めなくなった場所のことを、枯れた大地と呼ぶようになったらしい。

 ジルディンさんたちは定期的に集落の周辺を見て回り、魔物を発見した際には王都の騎士団に知らせる代わりに食糧の配給を受けているらしい。


(裂け目に呑まれて、十五年先の未来に飛ばされるなんて……)


 食事でお腹が膨れたおかげで、心に余裕が戻ってきた。


「お嬢さん、そろそろあんたのことも教えて欲しい。村の連中はあんたを警戒してる。どうにかなだめてはいるんだが、氏素性が分からないよそ者に敏感になっていてね」

「魔物が化けているから、ですか?」

「それもある。が、他の集落の連中が食糧欲しさに別の集落を襲うって事件も起きていてね。特にうちみたいに騎士団に協力してるところは特に」


 私は背筋を伸ばし、居住まいを正した。


「私はユリアと申します。あなたが言った、裂け目に呑み込まれて死んだと思われている、浄化の聖女です」

「ふむ……お嬢さん、こんなこと言いたくないが、あんたの冗談につきあっている暇は」

「本当です」


 私はジルディンさんを見つめる。ジルディンさんはでどう反応していいのか分からず、困っていた。


「お礼をさせて下さい。私の力で汚れた水を浄化することができます」


 私が真剣に訴えると、ジルディンさんは小さく溜息をこぼす。


「……分かった。ついてきな」


 ジルディンさんと一緒に外に出ると、村の人たちの視線が集まる。

 母親は子どもを慌てて家の中へ避難させ、男たちが睨んできた。

 そんな中、井戸へ向かう。


「これだ。魔物どもの出現で草木は枯れ、大地は汚染された。おかげで、この井戸の水も飲めなくなった。あんたが……その……本当に浄化の聖女様だとしたら……」


 ジルディンさんは説明してくれたが、小娘の冗談につきあっている自分が馬鹿らしくなったのか、「なあ、あんた、どういうつもりか知らないが、こっちはあんたの命を助けたんだ。それの恩返しがこれか?」と気色ばんだ。


「見ていてください」

「おい、人の話を――」


 私は井戸に両手をかざし、清らかな水をイメージする。

 同時に、体を金色の光が包み込んだ。

 ジルディンさんだけでなく、村の人たちざわつく。

 光がゆっくり収束していく。


「水を汲み上げてみてください」

「…………」

「ジルディンさん」


 呼びかけると、ジルディンさんははっと我に返った。


「あ、ああ……」


 今の光に興味をもった子どもたちが、家族の制止を振り切って家から飛び出し、井戸の回りに集まる。

 ジルディンさんは水を汲み上げるなり、「なんだこりゃ!」と声を上げた。

 桶は、透明な水で満たされていた。

 私はしゃがみこむと桶の水を手で掬い、ためらいなく口にする。


「おい!?」

「美味しいですよ。飲んでみて下さい」


 ジルディンさんは私の顔と桶の水とを見比べ、手ですくって恐る恐る口に運ぶ。


「う、うまい……!」


 子どもたちもまた我先にと桶の水を飲んだ。


「本当だ! 美味しい!」

「もうぜんぜん臭くない!」


 それを皮切りに大人たちまで井戸に集まってくると、先を争うように水を飲みはじめた。

 感動のあまり泣き崩れる人、美味しいと連呼する人、村の人たちはさまざまな反応をする。

 みんなが喜んでくれているようでほっと胸をなでおろした。


「ユリア様! あなたは本当に浄化の聖女様だったのですね……!」


 ジルディンさんは目を真っ赤にし、目尻に涙をたたえながら跪く。


「や、やめてください!」

「いいえ、いいえ! 俺としたことが、聖女様になんて口を……!」


 頭を地面に擦りつけるほどに頭を下げるジルディンさんに立ち上がってもらおうとするけど、彼はやめてくれなかった。


「神よ、感謝いたします! ユリア様を私どもの元に使わして下さるなんて……!」


 他の村人たちからも同じように崇められてしまい、私は戸惑い、身を縮こまらせるしかなかった。


「どうか、お礼をさせてください!」

「……なら、教会へ連れて行ってくださいますか?」


 私は生まれ育った教会のことを話すと、ジルディンさんは「聖女様。あの教会は長らく無人でございます」と言われてしまう。


「あそこで暮らしていた人たちがどうなったか分かりませんか?」

「申し訳ありません。詳しくは……」

「そんな……」

「あ、でも聖女様、王都へ行けば何か分かるかも知れません。王都には魔物から逃れてきた人たちが暮らしておりますから。きっと教会の人たちもそこにいらっしゃるかもしれません」

「お願いしますっ」



「うおおおおぉぉぉ……っ!」


 騎士が振るう剣を軽くいなす。力だけで押し切ろうとする未熟な攻撃だ。

 冷静に分析し、腹に蹴りを見舞う。

 バランスを崩した騎士が倒れたところに剣を突きつける。


「ま、参りました……っ」


 これで二十人目。

 朝の澄んだ空気の中、汗まみれの上半身からは湯気がうっすらと立ち上る。


「死にたくなかったらもっと強くなれ。そのざまじゃ、次の出陣で死ぬぞ」

「は、はい、気を付けます! ご指導、ありがとうございました、ヨハネ団長!」


 剣を鞘に収める。

 騎士たちから頭を下げられ、訓練場を後にする。

 屋敷へ戻ると、すでに用意してあった風呂に浸かって汗を流す。

 頭の芯が鈍く痛む。

 昨夜はよく眠れなかった。

 十五年前――ユリアが赤い裂け目に呑み込まれたあの日から、何度もあの日のことを夢に見て、冷や汗まみれで飛び起きることがたびたびあった。

 あの夢は何度見ても馴れるということがない。

 風呂を上がって服に着替えた頃、メイドが部屋にやってくる。


「お食事はどうなさいますか?」

「ここで取る」


 すぐに部屋へ食事が運ばれてきた。

 うまいはずだが、味を感じない。パンはまるで粘土でも食っているようだ。

 医者は精神的ショックが原因で、そのうちに自然と治ると言っていたが、十五年経った今もまったく改善しない。

 どうでもいいことだが。

 食事も睡眠も何もかもが作業でしかない。

 生きていることさえも。

 ただ死ぬことが許されないから、そうしているだけにすぎない。


(ユリアが生かしてくれた命だ。俺の意思で死ぬことは許されない)


 食事を終えた頃、王宮から遣いがやってきたという知らせを受ける。

 クライスが呼んでいるらしい。

 用件を聞いたが、使者には分からないようだが、急用ということらしかった。

 俺は馬で王宮へ向かうと、すぐにクライスの私室へ通された。


「来たか」


 脳天気な笑顔でクライスが出迎える。

 すぐに茶の準備を、と言うので、やめさせる。のんびり茶を飲みに来たわけじゃないし、そんな気分でもない。


「手短に頼む。今日は午後から巡察の予定だ」

「まったく。親友と会うってのに、むっつり顔以外の表情がないのか?」

「用がないなら帰るぞ」

「分かったから座れ。実はめぼしい令嬢を選りすぐってみたんだ」


 クライスは絵姿を見せてくる。


「お前、王太子をやめて結婚相談所でもはじめたらどうだ? こんな下らないことをどれだけ、やるつもりだ?」


 クライスが俺に伴侶を薦めてくるのは今日が初めてではない。

 気持ちは分かる。これも、クライスなりの優しさだろう。だが、ありがた迷惑でしかない。

 ユリアを喪った心の穴は他の誰かで埋められるものじゃない。

 そしてそれが埋まる機会はもう二度とこない。


「僕は、君に幸せな人生を過ごして欲しい。ユリアだってそれを望んで――」


 俺は反射的に、クライスの胸ぐらを掴んでいた。


「お前が、勝手にユリアの心を語るな!」

「……わ、悪かった、失言だった」


 放り出すように胸ぐらから手を離す。

 皺の寄った胸元をそのままに、クライスは「君は幸せになってもいいんだ、ヨハネ」としつこく言ってくる。

 気持ちは分かるが、必要ない。

 ユリアは俺のせいで死んだ。その俺がのうのうと幸せになるなんて、そんな恥知らずな真似はできないし、したくない。


「話が終わりなら帰るぞ」

「……分かった。すまない。こんな用事で呼び出して」

「人のことばかり言ってないで、お前は自分のことだけを考えろ。ひどい顔だぞ」

「これでも王太子だからね。立場的に色々あるんだよ」

「分かってる。いつでも頼れ」

「ありがとう」


 俺は屋敷へ戻ると、巡察のための支度を調える。

 執務机の引き出しを開け、ケースを取り出した。

 そこには、ユリアの形見の髪飾りが収められている。


「ユリア、行ってくる」


 俺はユリアが遺した髪飾りを見つめ、そう呟いた。

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