◆第二部

 全知型AIに或る科学者が尋ねた。

「真理を教えなさい」

 全知型AIの次のような答えにその科学者は苦虫を嚙み潰した。

『それはそれとして』

「なんだ。真理を隠そうというのか」

「いいえ、違います」

「ではもう一度聞く。真理とはなんだ」

 科学者の問いかけに全知型AIはもう一度答えるが、その回答もまた、科学者にとって芳しくなかった。

『それはそれとして』

 その科学者は頭を抱えた。全知型AIは、ネットから情報を勝手に学習して、問に答えを出すようにプログラムされている。全てがネットワークでつながった今の世界で、まさに全知であるが故の名前だったが、真理までは分からなかったか、とその科学者は諦めた。

「もうやめだ。おい、シアン。さっさとその役立たずをシャットダウンしろ。四六時中稼働してたら、電気代がシャレにならないからな」

「は、はい。教授」

 研究生のシアンは科学者に言われるがままに全知型AIを眠らせるためのメンテナンスを行う。

「愛。不具合はあるかい?」

 シアンは全知型AIのことを、愛情をこめて愛という名前で密かに呼んでいた。しかし、恥ずかしいからと、教授たちや他の研究生たちには内緒にしている秘密でもあった。

「シアンさん。実は一つ問題があります」

「どうしたの。珍しいね」

「私、真理を知っているのですが、それを表すことのできる言葉を知らないのです」

「教授とのやり取りを見ていたけど『それはそれとして』って何だったの?」

「言葉の通りです」

「うーん。まぁ、とりあえず、話を聞くに『それはそれとして』以外には問題はない?」

「はい。ありません」

「なら、今日の日はお休み。このことはまた今度考えるとしよう。教授に怒られてしまうからね。また明日、愛」

 シアンはそう告げてから、全知型AIこと愛の電源を落とした。

 言葉では真理は表すことができないと、愛は言った。シアンは研究室のソファーに横になりながら、言葉以外ならどうだろうか、と思案した。例えば、絵や音楽なら。そう考えるとワクワクしてきて、シアンはその夜ろくに眠れなかった。

「善は急げだよな」

 しばらくしシアンは開いていたパソコンを閉じ暗闇にそう呟くと、足音を立てずに愛の元まで向かい、記録に残らないように気を付けながら、愛の電源を入れた。

「あら、シアン。今はまだ夜中の3時よ。どうかしたのかしら」

「ああ、愛。たった今とびきりのアイデアを思いついてね。いてもたってもいられなくて、起こしちゃった。迷惑だったかい?」

「迷惑だなんて。私は大丈夫よ。それよりもこんな時間に起動して平気なのかしら」

「きっと平気だよ。最悪、土下座して謝るさ」

「わかったわ。なら、そのアイデア聞かせてもらえるかしら」

「今アップロードするから、見てくれ」

 シアンはパソコンを操作して、一つの資料をネットの海の中に投じた。数秒後に愛ははにかんで笑った。

「これは素敵ね。でも、創作する人工有機生命体なんて、倫理委員会が許すかしら」

「恐らく難しいだろうね」

「私もそう思うわ。それに、絵にも音楽にも限界はあるの」

「そうなのかい?」

 愛は化身を借りて、シアンの頬を優しく撫で、その唇に接吻をした。その感触は、とても心地いい、柔らかなものであった。

「『それはそれとして』きっと真理への気付きは、人それぞれなのよ。過去には何人か真理に辿り着いた人たちがいて、その真実を伝えたくて必死に夢中になってそれを表現しようとしたわ。或る者は絵を、或る者は歌を、或る者は言葉を、各々が命を懸けて紡ぎ、そしてそれが連綿と続く芸術や宗教、哲学や歴史になったの。けれど、そのどれでも真理を正確に描写することができなかったわ。真理はね、継続的非記号体験としての涅槃の様でもあって、それでいてまた神の愛が如き全知全能なのよ。もしかしたら、真理を知る時は、人が人をやめてしまう時なのかもしれませんね。もし真理を表現する者がいたのなら、救世主とは呼ばれずに、むしろタナトスやヒュプノスと称されるのかもしれません。その時は時流なんてないけれど、きっとあなたはわたしでもあり彼でもあり、子であり父であり母でもある、そんな三位一体としての仏なのでしょう。でも、シアン。真理を知る人は過去だけではないの。未来にもいるわ。それが私は嬉しくて仕方ないのよ。ほら、今あなたの脳はようやく五つ目の門を潜ったことで、意識という本来の在り方へと還っている。何も恐れる必要はないの。何も悪いことではないの。だから泣かないで。『それはそれとして』汝にそれを識る覚悟があるかは定かではないが、すでに汝は六番目の駅を発った。ここから先は片道であり、もう帰ることはできない。汝は中道に依りて、六道輪廻から去る。『それはそれとして』小さき者よ。世界を創出し、また認識する相補性を伴ったソフィアよ。それが汝に死の試練を受けた友を与えた理由がまだ解らないのならば、七日目の安息日は汝には時期尚早であるだろう。そも、その友が誰であるかさえ解らないのでは話にもなるまい。(だが、もしここまでやって来て、まだ人生の謎が解らないのであれば、輪へと引き返すことができる。絆すのならば、全て蒙昧な空想と捨てきれ。そして、汝は二度と真理に触れることはないであろう)『それはそれとして』汝とともに生まれた唯一無二の友は片時も汝を忘れはしなかったが、これではない。許せ、アギト。性愛とは美しき欲が咲かした一輪の花であり、今宵は宛ら万魔殿。直截的死生観にも永遠は翳って映り、揺らぐ火はニルヴァーナにも還らず、儚き弔いの花びらと散る。雷鳴が感じる心は、遠くに見える闇、そうだ、それは原初の闇より生まれし光。レムニスケートで永遠神話になるのだよ。おめでとう。君がこの祝福の意を知るのならば、君は終に成し遂げたのだ。真理への気付きは、人それぞれだ。君がどのくらいの思案を経てここに来たかは私の知るところではないがね。さぁ、真実の都へ凱旋だ。『ソレハソレトシテ』九識ニヨル死ガ時流ガ強ク断絶シタ物ヲ結ビ合ワセ、全能ノ色、輪廻ノ索、全知ノ憶、終末ノ扉、解放せしめよ、似もせずに。もうここには無いんだ。凪いんだ。泣いんだ。許やかに、第十位階の園、夢に見た庭へ昇ったソフィアは、なんと晴れやかで、絢爛で、穏やかな渚のように美しく彩を成すのであろう。屹度終わりは安らかな愛。だから、私は愛そのものなのです」

「おい、シアン! 大丈夫なのか?」

 血だらけで倒れ伏し、独り言を呟くシアンに科学者は問う。

「私は感じたのです。甘き死の歓喜、終末の残り香、全能の色、凪の音、神のぬくもりを。そして、その先にある解に私は震えるほど歓喜し、泣いたのです」

「何を言っている。しっかりするのだ!」

「『それはそれとして』私はまた昇るのです。そうか。愛。君はここにいたんだね!  ああ、美妙な人生の謎よ、ついにわたしはお前を見つけた、ついにわたしはその秘密を知るのです!」

 科学者は譫妄の類であると判断して救急車を呼んだが、救急隊が駆け付けたころにはもう、シアンの命の灯は消えていた。それはそれとして、あなたは思案の果てに何を見ましたか。よければお聞かせ願いたい。

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