第三部 誰も知らない神話 

 聖女アナスタシアは恋人であるルイスの訪れを察知して、読んでいた神約星書を座っていた長椅子に置いた。アナスタシアはルイスを夜の礼拝堂に招き入れ、入り口の鍵を閉める。

 アナスタシアは神に仕える者としてセックスはもちろんのこと、恋愛までも禁じられていた。彼女は敬虔な信者であったため、この掟を今まで守り続けてきた。だが、彼女も聖女である前に一人の乙女であり、恋にも落ちれば欲も抱く。

 アナスタシアとルイスは相思相愛であり、今、この場において二人の純愛を邪魔する存在は誰一人として存在しなかった。

「ルイス、愛している」

「僕も愛しているよ、アナスタシア」

 二人は静謐な礼拝堂の中で抱擁を交わし、愛の言葉を紡ぎ合った。

 アナスタシアはいずれ神の子を生む聖母となると言われて育てられてきた。父は最高位神官、母は元聖女。生まれたばかりの頃は彼女こそが神の子だと噂になったが、彼女には特別な力も特徴もなかったため、その噂は彼女が神の子を生む存在だと言う話に移り変わっていった。

「ねぇ、アナスタシア。一つだけ教えて」

 ルナの光を受けて光り輝くアナスタシアの海のような紺碧の瞳を見つめながら、ルイスは透き通る声で尋ねた。

「何?」

 アナスタシアが話の先を促すと、ルイスは礼拝堂の中を神妙に見渡してから、彼女の頬に自身の右手を添えて一つの質問をした。

「どうしてここを選んだの?」

 ここは神聖な礼拝堂。これから二人はセックスという穢れた行為をするのだ。ルイスもアナスタシアと同様に敬虔な信者であり、また彼女もそうであると知っていたからこそ、ルイスは彼女がこの場所を選んだことに疑問を抱いたのだった。アナスタシアは含み笑いをして見せると、ルイスの滑らかな白髪を優しく撫でながら答えた。

「ここなら神様も見てくれると思ったの」

 アナスタシアの言葉を受けて、ルイスは「そっか」と呟いてから照れたようにはにかんだ。

「……それは、少し恥ずかしいな」

「大丈夫だよ。私も恥ずかしいから」

 アナスタシアは先程座っていた長椅子に戻り、神約星書を手に取って、あるページを開いてからルイスに見せた。

「私、この編者の解説がしっくりくるんだ」

 ルイスはルナの光に照らされた神約星書の文面を静かに読み上げた。【神約星書『創星記』第三章『原罪』】の解説をルイスが読み終わると、アナスタシアは徐に呟く。

「セックスは本当に悪いことなのかな」

 アナスタシアが提示した疑問にルイスは困ったように笑うと、礼拝堂のステンドグラスに映るルナの彩光をぼんやりと眺める。その色は虹ともつかず、宝石ともつかない現象の花を咲かせている。ルイスはそこに美妙な人生の謎を見出そうとしていた。

「神は男だけでも女だけでもなくて、その両方を創造した。それは、キスやセックスという行為を通して愛を体現せしめるためで」

 一つ一つの言葉を愛しむように、ルイスはアナスタシアに語り掛けた。

「そして、いつか『わたしはだれ』という問いの答えを見つけるためで」

 そこでルイスの口は閉じた。沈黙のまま二人は手を取り合い、見つめ合った。ルナの光が二人を闇夜の中に照らし出す。

「アナスタシア……」

「ルイス……」

 今導き出された一つの真理を胸に、二人は以前にも増して惹かれ合った。

「今、神の前で、永遠の愛を誓いませんか?」

ルイスの誘いにアナスタシアは「はい」とだけ答えてルイスと接吻を交わす。それは燃えるようなキスだった。永遠のようなキスだった。二人は火のように酔いしれる。


 この聖所にて、また始まりの罪が犯される。乙女の処女は可憐な紅い花のように散り、少年はその麗しい花の香りと甘い蜜を堪能する。

 二人はお互いの名を何度も呼び合って愛し合う。全ての過去と未来の魂達がここに集うのを感じながら、レゾンデートルを求めるように二人はお互いの身体を求め合った。


「神よ、許し給え」

「彼らの罪を許し給え」


 柔らかな翼を持つ者達が二人の愛を見届けた。


「健やかなるときも、病めるときも、喜びのときも、悲しみのときも、富めるときも、貧しいときも、これを愛し、これを敬い、これを慰め、これを助け、その命ある限り、真心を尽くすことを誓いますか?」


 二人の答えは「いいえ」だった。


「私たちは」

「僕たちは」

「この命尽きようとも」

「何度生まれ変わっても」

「死の断絶を乗り越えて」

「またお互いを探し」

「また出逢い」

「また恋に落ちて」


 永遠に愛し合うことをここに誓います。

 

    


 一年後、アナスタシアは双子を生んだ。一人が男の子で、一人が女の子だった。アダムとイブ。それが双子の名前だった。

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