【07-3】爆破事件の結末(3)
「漆原先生、先日はお世話になりました。
先生はこちらの会員でいらっしゃるんですね?」
鏡堂は金髪の大学教授を見据えて言った。
それに対して漆原は、顔に笑みを浮かべて答える。
「ええ、こう見えてトレーニングが趣味なんですよ」
「今日はセレモニーにご出席されて、その後海外出張に行かれるとか」
「よくご存じですね。
ああ、そちらのスタッフの方に聞かれたんですね?」
二人のやり取りを、スタッフの大橋は眼をきょろきょろさせながら聴いている。
彼らの間に漂う緊張感が、彼女を困惑させているのだ。
「先生、申し訳ありませんが、今日持参されたお荷物を拝見できませんか?」
「それはお断りした筈ですが。
それとも、捜査令状をお持ちですか?」
漆原は笑顔を崩さずに答える。
「残念ながら令状は持っておりません。
しかしこのスタジアムに、爆弾が仕掛けられている可能性があるのです。
捜査にご協力頂けませんか?」
<爆弾>という言葉を聞いて、大橋が立ち上がった。
その顔は驚きと恐怖で引き攣っている。
漆原は、そんな彼女をちらりと横目で見ながら、鏡堂に答えた。
「刑事さんは、私が犯人だと言われるんですか?」
「断定は出来ませんが、今はその可能性が高いと思っています」
その物言いに、天宮が驚いた表情で彼を見た。
普段の鏡堂からは信じられない程、予断を含んだ答えだったからだ。
「理由を聞かせて頂けますか?」
そう言いながら漆原は、興味深そうな表情を浮かべる。
「私は今の今になって、漸く思い出したんです。
私の相棒だった刑事が、殉職する直前に言っていた言葉を。
彼女は私に、結婚することになったと告げました。
相手は大学の先生だと。
あなたが、上月刑事の婚約者だったんですね?」
その言葉を聞いた漆原の表情が一変した。
「ああ、私も思い出しましたよ。
あなたが、十和子が言っていた刑事さんでしたか。
鏡堂、確かにそんな名前だった」
「上月刑事は、本当に残念でした」
「残念でしただと?」
鏡堂の言葉に、漆原の表情が一変する。
「
お前がしっかりガードしなかったから、十和子が死んだんだぞ!
それを、残念でしただと!」
激高する漆原に対して、鏡度は冷静さを取り戻していた。
「その非難は甘んじて受けましょう。
私が彼女を守れなかったのは事実ですから」
鏡堂の言葉を聞きながら、天宮は知らず知らずのうちに拳を握り締めていた。
――鏡堂さんの責任じゃないです!
「しかし、もしあなたが上月刑事の復讐を企てているのなら、そんな愚かな考えは、今すぐ捨てるべきだ」
「愚かだと?
お前のような、無能な奴に言われる筋合いはない。
彼女を死に追いやった屑どもに罰を与えなければ、十和子は永遠に浮かばれないのだ」
漆原は激高から醒めたが、その怒りは消えていなかった。
しかし鏡堂は、彼を冷静に見ながら言葉を続けた。
「あなたが一連の爆破犯であるならば、それはただの無差別テロだ。
あなたが傷つけたのは、上月刑事の死とは無関係な人たちだ。
そんなものは、復讐なんかじゃない」
その言葉を聞いた漆原は、嘲笑を浮かべて言った。
「やはりお前は何も分かっちゃいない。
十和子を殺したのは、あんなチンピラではない。
この町の連中すべてなんだ。
下らない欲にまみれて、こんな下らない物を建てた奴ら。
それを嬉しがってる、愚劣な奴ら。
反対運動を途中で投げ出した奴ら。
そんな連中すべてに制裁を加えなければ、十和子の無念は晴らせない。
だから私は、この町そのものに復讐することにしたんだよ」
既に漆原は、自身の犯行を隠そうともしていない。
「あなたの言っていることは矛盾だらけだ。
核兵器でも使わない限り、この町の住民を殺し尽くすことなど出来る筈がない」
「その点は認めよう。
さすがに核爆弾の材料までは、調達出来なかったからね。
だから私は、この町を代表する愚か者どもを処刑することで、十和子に許してもらおうと思っている。
分かるかね?
今この上に座っている政治家、役人、そしてこの下らないイヴェントを無批判に受け入れている馬鹿どもに、この町の屑どもを代表して死んでもらうのさ」
そう言いながら漆原は、上着のポケットから何か取り出した。
「これが何か分かるかね?
あの部屋に設置した、ペンスリットの起爆装置だよ。
一応時限装置はセットしておいたが、念のために用意して置いてよかった。
さっきお前たちを見かけた時に、嫌な予感がしたんだ。
きっと十和子が、私の復讐を後押ししてくれているんだろうね」
その言葉を横で聞いていた大橋が、突然顔を押さえて泣き始めた。
「助けて下さい。お願いです」
しかし漆原は、その様子を蔑むように見下ろした後、鏡堂に顔を向ける。
「今あの部屋に、どれだけの爆薬があると思う?
昨日あの屑どもを殺すのに使った量の、20倍以上がセットしてあるのさ。
それだけあれば、この上にいる馬鹿どもを、この一角ごと吹き飛ばすのに十分だろうね」
「そのスイッチを押す前に、訊いておきたいことがあるんですが、答えてもらえますか?」
「時間稼ぎは無駄だよ。
これを押さなくても、もうすぐ時限装置が作動するからね」
しかし漆原のそんな嘲笑にも、鏡堂は怯まない。
「時間稼ぎの積りはないですよ。
ただ知っておきたいだけです」
「無駄だと思うが、言って見たまえ」
「まずあなたは、何故復讐を7年間も待ったんですか?」
「理由は簡単だ。
この馬鹿げた物が建つのを待ってたんだよ。
あの愚かな連中が作った物を、連中もろとも根こそぎ叩き壊してやるためにね」
勝ち誇ったように言う漆原に、鏡堂は次の質問を投げ掛けた。
「では、何故あなたは、このスタジアムだけを爆破しようとせず、その前の三か所に爆弾を仕掛けたんですか?」
「それは実験だ」
「実験?」
「そうだ。私は爆発物の専門家ではないからね。
ペンスリットの合成は出来るが、その威力までは測れない。
だから量を順次増やしていって、威力を測定したのさ」
「あなたは自分が何をしたのか分かってるんですか?
爆発に巻き込まれて、小さな子供まで怪我をしたんですよ!
それに昨日は、死者だって出てるんですよ!」
それまで二人の会話を黙って聞いていた天宮が、我慢し切れずに漆原を糾弾する。
しかし返ってきたのは冷たい答えだった。
「それがどうした。
さっき言っただろう。
私はこの町に制裁を加えると。
子供であろうが、当然その中に含まれるのだ。
それに昨日死んだ連中は、殺されて当然の奴らだ」
それを聞いて更に言い募ろうとする天宮を、鏡堂が手で制した。
「死んで当然というのは、どういう意味ですか?
昨日の爆破は無差別ではなく、被害者を狙ったということですか?」
「そうだ。昨日あそこにいたのは、中村とかいうチンピラだ。
7年前に十和子を手に掛けた屑だよ。
あの屑だけは、直接殺さずにはおれなかった。
あんな屑は、殺されて当然だ。
お前も十和子の同僚だったのなら、そう思うだろう?」
その言葉を聞いた鏡堂の表情が、それまで以上に厳しさを増す。
「あなたの考えは、完全に間違っている」
「間違っているだと?」
「そうだ。この世界に、殺されて当然の人間などいない。
仮にいたとしても、それを決めるのは人間ではなく、法なんだ」
その言葉を聞いた漆原は、鏡堂を嘲笑う。
「何を月並みなことを。
法が正しい罰を下すというのか?
十和子を殺したあのチンピラを見ろ!
酒に酔った心神耗弱とかいう理由で、たった5年で刑務所を出てるんだぞ!
何が決めるのは人間ではなく法だ!
お前のそんな下らん御託は、聞きたくもない!」
再び興奮し始めた漆原に、鏡堂は止めを刺すように言った。
「あんたは勘違いしている。
今の言葉は、私が言ったのではない。
あんたが今、下らない御託と言った言葉は、上月十和子刑事の言葉だ。
彼女は誇り高い警察官だった。
その上月刑事が常々口にしていたのが、その言葉なんだよ!
あんたは今、彼女の言葉を否定すると同時に、彼女の誇りまで否定したんだ。
何が上月刑事の復讐だ。
あんたは単に、自己満足のために罪を犯している、愚かな犯罪者に過ぎない!」
鏡堂の断罪の言葉に、漆原を含めた、その場の全員が凍りついた。
大橋も涙を拭って、漆原を睨みつけている。
すると突然漆原が口元に笑みを浮かべた。
「もういい。
お前たちとこれ以上話しても、時間の無駄だ」
そう言いながら漆原は、手に持った起爆装置を前に突き出した。
「それを押せば、あんたも死ぬことになるぞ」
その言葉を漆原はせせら笑った。
「構わんさ。
十和子のいない人生など、生きていても仕方がない。
この復讐を終えれば、私は7年間の虚しい生活から解放されるんだ」
その時天宮が叫んだ。
「鏡堂さん、私が!」
その言葉に続いて、ロッカールームから「ごおっ」という音が鳴り響く。
その音に一瞬気を取られた漆原は、
すぐに鈍い爆発音と衝撃が、室内を震わす。
しかしそれだけだった。
衝撃が終わると同時に、ロッカールームの扉が弾けるように開き、中から大量の水が溢れ出して来た。
ロッカールーム内を瞬時に覆いつくした雨水が、爆発の衝撃を吸収し、爆炎を無効化したのだった。
その状況を呆然と見守る漆原に近づき、鏡堂が手錠をかけて拘束した。
もはや抵抗する気力も失せた彼は、誰にともなく独り言ちた。
「一体何が起こったんだ」
「多分スプリンクラーの誤作動でしょう」
そう答える彼の言葉を聞いた大橋は、ホッとしながらも不思議そうに呟いた。
「うちのスプリンクラー、凄過ぎない?」
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