【百合小説】四季の絆 ~葵と瑠璃二人で紡ぐ愛の物語~

藍埜佑(あいのたすく)

【春】

第1章:桜餅の約束

 早春の土曜日、まだ夜明け前の静寂が漂う中、葵はそっと寝床を抜け出した。隣で眠る瑠璃の寝顔を一瞥すると、微笑みを浮かべながら台所へと向かう。今日は二人で花見に行く日。その準備として、葵は朝早くから桜餅作りに取り掛かることにしたのだ。


 台所に立つと、前日に用意しておいた材料を確認する。道明寺粉、桜の葉の塩漬け、こし餡。すべてが揃っていることを確認し、エプロンを身につけた。


「よし、始めよう」


 葵は小声で呟きながら、まずは道明寺粉をボウルに入れ、少しずつお湯を加えていく。粉と水が程よく混ざり合い、適度な硬さになるまで、丁寧に練り上げていく。その作業に没頭していると、背後から柔らかな足音が聞こえてきた。


「葵……? こんな朝早くから何してるの?」


 振り返ると、まだ眠そうな表情の瑠璃が立っていた。寝癖のついた髪をかき上げながら、瑠璃は不思議そうに葵を見つめている。


「ごめんね、起こしちゃった? 実は、今日の花見のために桜餅を作ってたんだ」


 葵の言葉に、瑠璃の目が輝きを増す。


「まあ! 素敵じゃない。手伝わせて」


 瑠璃は急いで手を洗うと、葵の隣に立った。二人で協力しながら、道明寺粉を丸め、中にこし餡を包み込んでいく。作業をしながら、二人は今日の予定について話し合った。


「お弁当も作りたいね。何にしようか?」瑠璃が尋ねる。


「そうだね。やっぱり春らしく、菜の花のお浸しとか、桜海老の炊き込みご飯なんかどうかな」


 葵の提案に、瑠璃は頷きながら賛同した。


 桜餅が完成すると、二人は朝食の準備に取り掛かる。新鮮な卵で作った卵焼きと、味噌汁、そして炊きたてのご飯。シンプルながら心温まる朝食を、二人は向かい合って楽しんだ。


「ねえ、葵。今年の抱負って決めた?」瑠璃が尋ねる。


 葵は一瞬考え込んでから答えた。「うーん、そうだな。今年は新しいことにたくさん挑戦してみたいかな。料理のレパートリーを増やすとか、新しい趣味を見つけるとか」


「素敵ね。私は……そうね、もっと絵を描く時間を作りたいわ。あと、二人で小旅行にも行きたいな」


 朝食を終えると、二人は手早く準備を整え、近所の公園へと向かった。まだ肌寒さの残る朝の空気が、二人の頬をかすかに染める。


 公園に着くと、すでに大勢の花見客で賑わっていた。葵と瑠璃は、ゆっくりと歩きながら、満開の桜を見上げる。


「綺麗……」瑠璃がため息をつく。


 葵は瑠璃の手を取り、「ほら、あそこに空いてる場所があるよ。陣取ろう」と声をかけた。


 二人はレジャーシートを広げ、持参したお弁当と桜餅を取り出す。周りには家族連れや友人グループが楽しそうに談笑している。その中で、葵と瑠璃は静かに寄り添いながら、桜の下での時間を過ごしていた。


 しばらくすると、隣のグループから声をかけられた。


「すみません、その桜餅、手作りですか? とってもおいしそう」


 中年の女性が笑顔で話しかけてきた。葵と瑠璃は顔を見合わせ、にっこりと微笑む。


「はい、今朝作ってきたんです。よかったら、どうぞ」


 葵が差し出した桜餅を、女性は嬉しそうに受け取った。そこから会話が弾み、近所の人々との交流が始まった。花見の醍醐味である、見知らぬ人との一期一会の出会い。葵と瑠璃は、この思いがけない交流を楽しんだ。


 昼過ぎ、葵は持参していた俳句集を取り出した。


「せっかくの春だからね。春の句を少し読んでみようか」


 瑠璃は興味深そうに頷く。葵は静かに朗読を始めた。


「『春の海 ひねもすのたり のたりかな』 与謝蕪村」


 瑠璃は目を閉じ、その言葉の響きに耳を傾ける。葵が次々と春の句を詠むにつれ、瑠璃の表情がどんどん柔らかくなっていく。


「素敵ね……私も、俳句を作ってみたくなったわ」


 瑠璃の言葉に、葵は嬉しそうに微笑んだ。


「そうだね。帰り道で、二人で俳句を作りながら歩こうか」


 午後遅く、二人は公園を後にした。帰り道、葵と瑠璃は交互に即興の俳句を詠み合う。拙いながらも、その瞬間の感動を言葉に紡ぐ楽しさに、二人は夢中になった。


 家に戻ると、葵は日記帳を取り出した。今日の思い出を丁寧に綴っていく。瑠璃はその横で、今日撮った写真を整理している。


 夜、二人はベランダに出て、春の星空を眺めた。


「来年も、一緒に花見に来よう」葵が静かに言う。


「うん、約束ね」瑠璃が返す。


 二人の指が自然に絡み合う。春の夜風が、二人の髪をそっと撫でていった。


 その夜、葵と瑠璃は久しぶりに一緒にお風呂に入ることにした。湯船に浸かりながら、今日の出来事を振り返る。


「今日は本当に素敵な一日だったわ」瑠璃がため息交じりに言う。


「うん、最高の花見になったね」葵も同意する。


 湯気の立ち込める中、二人は静かに見つめ合う。そして、自然とその距離が縮まっていく。柔らかな唇が重なり、優しいキスを交わす。


 お風呂から上がった後、二人は寄り添いながらベッドに横たわった。春の夜の静けさの中、二人の寝息だけが静かに響いていた。明日への期待と、今日の幸せな思い出を胸に、葵と瑠璃は深い眠りについた。

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