第196話 騎士団の姫

 ――丁度その頃、騎士団の都セネロスにある大公の宮殿を、規則正しく足音を鳴らし進む影があった。

それは白金の髪をした五十ほどの年頃の男だった。

世間的には老境と言って良いだろうが、その姿に弱々しさはなく、寧ろ計り知れないほどの覇気に満ちている。彼の頭の中に蟠るのは、先程までの主君の様子だ。


(元々偏狂なところのある方だったが、ここ最近はそれに拍車がかかるばかりだ……)


 サウラスが進む毎に翻るマントは蒼に白、そして夥しいほどの金糸銀糸に彩られている。

その下の装束もまた絢爛なものであり、背筋を伸ばした堂々たる体躯はまさに偉丈夫と呼ぶに相応しかった。

あちこちで着飾ってさざめく宮廷人たちも、その姿には感嘆と畏怖の籠もる視線を送るばかりだった。

昼間は静まり返っていた広間は、まばらに人が増え始めている。


 セネロスの宮廷は朝に眠り、夕方に起きる。

これは統治者である大公の生活に寄り添った体制だった。

会議も会談も宴も、ここでは全て夜に行われる。

そのために来たであろう貴族たちの様子も、どこか忙しない。

ここのところの大公家の異様な気配を、肌で感じているのだろう。

その数自体も徐々に減っていっている。

元々貴族の減少が騎士団を悩ます衰退の一因ではあったが、これはそればかりではない。

単純に、大公に最早力はなしと見限る者が増えているのだ。

更には竜討伐の一件を受けて教団にすり寄ろうと宮廷と距離を置き出す者まで現れて、壮麗な宮殿はどこか閑散としたものを感じさせた。


 そして大公その人すらも――……先日起こった、とんでもない騒動を思い出して彼は渋面を作る。

貴族たちに碌な根回しも告知もなく、大公は勝手に使者を出してしまったのだ。

しかもその内容が問題だった。


 大公として、教団との永久的な同盟を求めたいということ、その代償としてロスフィークへの征伐を全面的に認めるということ、付け足されたものや事情は色々とあるが、それが教団に持ちかけた大まかな内容であった。

これによってロスフィークと親しい貴族や豪族は宮廷を離れたし、身内を犠牲に取り入るようなやり口に眉を顰める者も多い。

……将来的には、あちらと因縁深いサフォリアの返還も視野に入れることになっていくだろう。

それさえも、今の大公にとっては些細なことでしかない。


 全てはあの光だ。

このセネロスからも目にできた、遠くま白い光の柱が、この宮廷を激震させた。

大公こそがきっと、それに最も狂わされた者の一人であろう。


(……もうあの方は、どのような犠牲も厭わないお心積もりでおられる……)


 ましてそれで、真っ先に想定される犠牲というのが――その時、噂をすれば影とばかりに回廊を進んでくる淡い青のドレスが目に入り、サウラスは即座に礼を取った。


「これは、姫……」

「御機嫌よう、サウラス」


 年は今年で十三になる。

華やかな金の髪に白磁の肌、鮮やかな紫の瞳。

ただ立っているだけでも圧倒的な高雅を漂わせる大公家の姫君は、篤実な昔馴染みを前に美しい顔を仄かに綻ばせる。


「大公様よりのお呼び出しを受けまして、今から向かうところですの」

「そうですか……それはやはり、例の件についてでしょうか」

「ええ。事前の準備はどれだけしても過剰ということはありません。

まして今回のことの重大さを思えば、幾重にも幾重にも綿密に整えて置かなければ」

「……どうぞ、お気をつけて」

「無論、分かっております。……これまでの忠勤を感謝します」


 そう返して悠然と過ぎていく後ろ姿を、非礼にならない程度の間見つめる。

まだ幼いと言って良いほどの姫君の方が、自分よりも余程腹が決まっているようだ。サウラスは苦笑した。


 ――賽は投げられてしまったのだ。

刻一刻と移り変わる情勢の只中で、一度決めた事柄に足踏みするほど愚かしいことはない。


 瞑目し、彼は彼の主君のことを考えた。

荒廃しきった世界を護り導いた、かつての現人神。

大公家こそその正当なる末裔であり、彼が唯一忠誠を誓う主君である。

だが、ここ数百年に渡り続いてきた騎士団の衰退、貴族の減少に度重なる領土喪失。

悲運の時間はあまりに長かった。


「勝利するのは我らの神か……」


 或いは。それ以上を、彼は例え心の中でさえも紡ぐことはできなかった。

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