第39話 追跡

「聖者様と、シノレが行方を晦ました?」


勇者の叙階当日。

晴れがましい一日の始まりとなるはずの朝、突如舞い込んできた慌ただしい報告に、ベルダット=ワーレンは早速嫌な予感を感じた。


聞くと、あの暫定勇者が祈りのために籠もっていたはずの聖堂が、朝開いたらもぬけの殻だったらしい。

そればかりか、同じく聖堂に籠もっていた聖者の姿も見つからない。

昨日の午後までは間違いなく所在が確認されていたが、それきり煙のように消え失せた。


「どちらの聖堂にも争った形跡などはなく…………本当に忽然と、お姿をくらましてしまわれました」


朝一番に泡を食った顔で駆け込んできた教徒が、そう報告を述べる。

それを聞きながら僅かに眉を寄せ、報告が終わると同時に指示を発した。


「まずは事実確認が先決だ。

速やかに大門を封鎖し、昨夜不審な出入りがあったかを確かめねばならぬ。

私の名を使って構わぬので、即刻実施するように。

……猊下には私から報告する」


周りで固唾をのみ、指示を待っていた教徒たちが次々と散らばっていく。

それを見送ることもせずに踵を返し、足早に教主の元へ向かった。

大柄故の広い歩幅を活かし、どうにか礼節を保てる速度で通り過ぎていくベルダットに、誰もが畏まった様子で道を譲る。

白の装束と灰色の髪が一歩進む毎に風を含んで辺りに広がった。


「猊下、失礼致します」

「おや、どうしました」


教主は朝の支度を終え、執務に入ろうというところだった。

書類に伸ばしていた手を止め、殆ど駆け込むように入ってきたベルダットの姿に僅かに目を眇める。


「勇者と聖者様両名の姿が、朝から見えぬそうです。

僭越ながら私の判断で大門の封鎖と調べを指示しましたが、今後如何致しましょう。

本当に脱出していたとすれば、御二方の身は……」

「…………」


珍しいことに即答が返ってこない。

それどころか教主は僅かに、常日頃注視していなければ分からないほど微妙に、顔を引き攣らせたようだった。

だが一瞬でその表情は消え去り、柔らかな微笑と流れるような指示が降される。


「そういうことなら、今日の叙階は中止です。

大至急ザーリア―に通達を。

本当に抜け出したのならば、聖都と周辺都市の部隊を動かし追跡します。

念のためリゼルドの元にも早馬を飛ばしなさい。

もしもの場合は向こうの人員と連携し、このシルバエルから地境にかけて網を敷きます。

ベルダット、行ってくれますね」

「はっ、御心のままに」


即座に諾を返し、足早に部屋を出て行く。

そこには既にザーリア―の侍従たちが出揃い、指示を待って控えていた。

歩調を落とさず歩きながら幾つかの手配を終え、険しい表情の裏側で沈思する。


「……ベルダット様、大門から報告が参りました。

昨夜の出入りで不審なものは無かったとのことですが……門番の一人が、子どもの二人連れがいた気がしたと。

一瞬のことで、その時は気の所為か何かかと思ったそうですが」

「届けも来ています。周辺村への荷運び用の馬車が一台、いつの間にか消えていたそうです」

「……そうか」


それにザーリア―の侍従が顔色を変える。

「もう叙階どころではございません。

彼らがシルバエルから逃げたとすれば、今頃は確実に、その身の安全は危うくなっていることでしょう」

「その通りだ。最も脅威なのは魔獣の襲撃だ。急ぎ保護に向かわねばならぬ」


教団領に限らず、人の領土と言えどもその全域に人が住んでいるわけではないのだ。

領土とされる中には一定以上、魔獣に襲われやすい地点や住民が去り放棄された廃墟などがある。

領内全てに人の整備が行き届いていて安全というわけでは決してない。

今時は壁の中での暮らしが主流であるので、広域の中に人間の街や拠点が点在しているような状態だ。

このシルバエルとて、大門を越えて付近一帯を抜ければ魔獣の脅威は格段に大きくなる。

教主の名の下に教団領のあらゆる情報が手に入り、人民を思いのままに統制できるといっても、それは壁の中の話だ。

壁の外、人がいない場所を通られたらどうしようもない。

ついでに言えばそういう場には、逃亡奴隷崩れの賊も不本意ながら存在する。


「それだけではございません。幸運に恵まれ境まで行けたとしても、楽団に越境などされようものなら……!!」

「分かっている」


次いで警戒すべきは他勢力、それも楽団だ。

騎士団と医師団、もしくは中立地帯ならまだ後回しにしてもいい。

最悪、そのどれかへなら越境されても、結果として捕縛されてもいい。

楽団以外の相手ならば、まだ穏便に交渉で解決する余地がある。

だが、楽団は駄目だ。

仮に相手方の長の合意を取り付けたとしても、その意向が下に届くまでにまず間に合わない。

これが逃亡であるなら、十中八九そうであろうが、とにかく楽団領に出られることだけは避けなければならなかった。


殊に五年前の一件から、楽団との緊迫した関係は休戦した今も続いている。

他勢力への牽制も考えれば、即座に動かせる人数は然程多くはないだろう。

相手の思考を読み、優先順位を決めて場所を絞る必要がある。


「……まあ、あの少年に聖者様を殺すことは叶わぬであろうが」


それは独り言だった。

大神殿前の広場で、そして一昨日の応接間で見かけたシノレの顔を思い浮かべる。恐らく逃亡を志向したのは彼だろう。

あの子供一人ならばさしたる問題にはなるまいが、聖者を巻き込んでいったとなれば話は変わる。


「…………それに、しても。あのリゼルド様と、かような形で戮力協心することになろうとは」


今頃は拠点のドールガで燻っているだろうヴェンリル家当主の顔を思い、溜息が出そうになる。

あの家は元々苛烈な気風で知られているが、あの少年はその中でも先祖返りと囁かれるほど典型的なヴェンリルだ。

幼気な見目に反して中身は正に狂戦士と言って良い。

五年前に当主を継承してからというものの暴れ通しで、狂った武勇伝に事欠かない危険人物である。

教主の言うことだけは比較的素直に聞き入れるのが救いであるが。


枝分かれした思考を手早く纏め、背筋を伸ばして更に足を速める。

戦闘目的ではないにせよ捜索隊の指揮を任された以上、麾下やヴェンリル家相手に無様は晒せない。

それは己ばかりかワーレンの、ひいては教主の恥となる。

突如召集されるだろう教徒たちに、指揮官として泰然と向き合わねばならなかった。


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