第34話 聖堂
静かな山道を抜け、やがて馬車が到着した先は小さな聖堂の前だった。
位置的には市街と大神殿の隙間、しかし人の出入りからは遠い、外れた場所であった。
「今日は務めがありませんので。毎月この日は、ここに籠もって祈るのです」
疑問に思うよりも先に、密やかな声で説明された。
シノレに右手を預けて静かに小道に降りた聖者は、ふらりと目線を揺らしながら聖堂へ向かって歩いていく。
手の離し時が分からず、付き従うシノレも流されるようにそれに着いていった。
「……ありがとうございます、勇者殿。……明朝まで、ここには近付かないで下さい」
後の言葉は、先導していた教徒へのものだった。
扉は既に開かれていた。中は小さいながらも繊細に整えられ、光が差し込む奥には祭壇が設けられている。
重ねられていた手が離れる。
祭壇前に進み出た聖者は優雅に膝を折り、祈りの姿勢を取った。それきり一言もなく、まるで聖像にでもなったかのように僅かも動かない。
(……これでもう用は済んだよね。向こうが祈りたいって言ってるんだし、邪魔はいけないってことで)
「勇者殿」
これ幸いと踵を返そうとしたら呼び止められ、うっかり顔を顰めそうになる。
呼び止めた聖者は祈りの姿勢を取ったまま、振り返ることもなく声だけをかけてくる。
「勇者殿。魔獣とは、何ですか?」
「……聖者様、それはどういう……この半年で学んだことの確認でしょうか?」
輝ける朝の聖堂には随分そぐわない話題である。何を言わせようとしているのか。
一気に緊張が高まる。この教団領の中枢で下手なことは口走れない。
「ええ。是非聞かせて下さい」
やや迷ったものの、結局口を開く。習った通りのことを言えば問題はないはずだ。盾にするように、教育係の仏頂面を思い浮かべる。
(何か問題が起きたら、それはあいつの責任ってことで)
「魔獣は大崩壊によって滅びた、死せる人間の怨念が凝ったものです。
人間とその創造物のみを襲います。
生者を憎み、悪の道へ引き込もうと跋扈する生き物であり、全ての教徒の敵です。
その形態は多種多様で、複数の動物を繋げた姿もあれば形容し難い化け物のようなものもあります。
また、異教徒は死後魔獣の一部になります」
教団はこの理屈、否、決めつけによって異教徒殺しを正当化している。
異端の神を奉じる異教徒はそれだけで罪深く、死ねば魔獣になるしかないが、教徒に殺された場合は罪が軽減され転生すると謳っているのだ。
教徒の感覚では異教徒など害獣も同然、魔獣と成り果てる前に因果を断ってやるのは慈悲であるということになる。
傍から見れば滅茶苦茶な論法だが、生まれた時からそういう論理に浸っていれば信じ込んでしまうものかもしれない。
時に空を駆け、時に海を渡る魔獣の襲来は、土地によって頻度や規模が変わる傾向があり、基本的に南に下るにつれて安全になる。
魔獣は北から湧き出た生き物であり、南を本拠とする騎士団領は多くの土地が比較的安全だ。
そうした事情で他に比べて余裕があったから、何百年もの間大陸を導けたとも言える。
更に『黎明』が魔獣の王を打ち倒しこれを封じてからというもの、魔獣の出現はなくなった。
その風向きもここ数百年で大分変わっているが。
今、シノレが居る場所とてそうだ。
歴代教主が八代を費やして敵味方ともに屍山血河を作り上げまでし、百年の長きに渡ってシルバエルを求めたのは、何も壮麗な建築群があるからではない。
騎士団領の中でも攻めやすい手近な位置であり、尚且つ魔獣の襲来が少ない土地だったためだ。
数は少ないが、四大勢力に属さない一部の中立地帯が独立を保っていられるのもそういう事情が大きい。
あの辺りの多くは魔獣の襲撃が多く、支配したとて管理にかなりの手間がかかるのだ。
住人が勝手に魔獣の相手をしてくれて、かつそれなりの上納があるのならわざわざ手を出すのは得策ではないという計算がある。
一通り語り終え、小さく息をつく。
一部始終を黙って聞いていた聖者は微かに肩を震わせ、吐息のような声を漏らす。
「……そう…………嗚呼……」
そのまま聖者は黙り込み、次の問いを投げることなかった。
その代わりに、暫し辺りには沈黙が落ちる。頭上で雲が流れ、光の揺れる気配だけが動く。
「聖者様?……何か誤りか、至らぬ点などがありましたでしょうか」
「…………いいえ。まさか。……全て、正確無比にして過不足ありません」
その声には、今までと違う何かが潜んでいる気がした。思わずまじまじと聖者の後ろ姿を見つめる。
「学習が済んだようで、……間に合ったようで安堵しました。
明日には叙階が成されます。どうか、私の勇者になって下さい」
その言葉に、シノレは答えなかった。答えられなかった。ただ沈黙し、やがて踵を返して聖堂を出た。
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