シズカナル ~奴隷剣闘士と奴隷娼婦の逃避行~

TMMタマムシ

第1話 出遇

 ハドュカン帝国の侵攻により、小国のチサキ国は滅んだ――。

「選手入場! 九十九戦無敗の男! スパル!」 

 歓声が上がる。闘技場に現れた笑顔の男。筋骨隆々、はち切れんばかりの筋肉に刻まれる無数の傷跡は、勇猛さの証であった。

「対するは、ここまでの九戦を満身創痍で勝ち残った若き剣闘士……タクス!」

 控えめの歓声はヤジが交じる。小柄な青年の身体を、未だ癒えぬ外と内の傷が締め付ける。青年は弱々しく剣を構えた。

「それでは試合開始!」


 闘技場にほど近い宿屋通りの一室。閉められたカーテンの隙間から射す陽光が、女のへそを横切っている。

「……今日は特に煩いのね」

 湿ったベッドで気だるそうにカーテンの襞を眺める。

「スパルの記念すべき百勝目の日さ」

 女より二回りは歳が上の男が、腰布を締めながら背中で答える。

「見に行かなくていいの?」

「祝勝祭の方にね」

 女が壁際に寝返りを打つ。男は部屋を出て行った。


 太陽が南中する頃には祭りが始まっていた。

 奴隷身分である剣闘士らが街道で行う異例のパレード。勇ましい音楽、歴戦の人気剣闘士の行列、そして、その中心にいるのはスパルである。

 街の娘たちはスパルを一目間近で見ようとひしめき、ちらっと見えただけで黄色い声をあげた。

 民衆は飲み食い踊り、暮れれば軒先の釣灯籠が街道を照らし賑わいを増した。

 いつしか街中の笑い声は雄叫びと悲鳴に変わり始める。松明の火は家々を燃え上がらせる。

 奴隷剣闘士の反乱だった。


 タクスは暗闇と死臭の中で目が覚めた。

「俺は……生きていたのか」

 胸の痛みが徐々にはっきりしてくる。


 必死でスパルに向かい立つが、一流騎士のごとき剣捌きで受け流される。圧倒的な実力差は明白だったが、スパルは観衆を盛り上げるために、すぐには決着させなかった。スパルはエンターテイナーだった。

 そして、斬られた。左肩から右の腹へ袈裟斬りにされた。

 そこからの記憶は曖昧だった。なんとなく、身体の中から生ぬるい液体が湧き水のように溢れてくる感覚だけが残っている。

 敗北した剣闘士の行き先は二つしかない。生きていれば医務室、死んでいれば死体置き場だ。


 タクスは祭りの賑わいを頼りに、手探りで外を目指す。夜の闘技場は灯りも人の気配もない。

 出口が近づいてくる。吹き込む熱風に混じる焦げ臭さをタクスは知っていた。

 逃げ惑う民衆。血溜まりに寝そべる衛兵。街は夕焼けより朱かった。これが祭りの演出でない事はすぐにわかった。

 落ちていた剣を拾いあげ、どこへともなく走り出す。ふいに路地から現れた人影――炎が揺らぎ見えた顔は、どの女より貴く感じた。

「あんた、大丈夫か!?」

 女の視線が斜めに動く。

「あなたこそ大丈夫? ただの反乱よ。すぐに治まるわ」

 関心がない、というよりは、知っているという風な言い方だった。煙に混じってツンと芳香がした。

「あんた……娼婦か?」

「悪い?」

「ここに残って、また男の相手するのか?」

「それ以外、何を?」

 タクスは察した。これほどの美人なら結婚相手など引く手あまたであろう。それが娼婦をしているということは、他国から連れてこられ、身体を売ることしか許されていない奴隷娼婦なのだと。

「……俺と街を出よう」

「そしてあなたの女になれと?」

「違う! ……いや、そうかもしれない。あんたほどの美人に娼婦なんて似合わない!」

「……では、わたくしを連れ出してみなさい」

 無意識に背筋が伸びた。タクスが知らない威厳だった。

 タクスは女の手を引き、また走り出す。二人の影が長く伸びる方へ。

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