森バトル

そして白

REポート

 長机の向こう側で彼はカップを置いた。

 窓の外は白い夏。立ちのぼった湯気が天板に模様をえがく。


「受けてくれるのだね?」


 そう言ってポーター教授は口を閉ざした。私は沸き立つ心を抑え、落ち着き払って問いに答え返す。

「はい。教授」

「そうか。分かった。すぐに発とう」

 教授と私はソファから立ち上がった。居残る職員や生徒に引き継ぎを済ませていく。

「モリさんっ」

 サザンカさんが右手でガッツポーズをささやかに取った。私は彼女の左腕を指さす。黒いバインダーが抱えられている。

「任せてしまい申し訳ないです」

「全然。応援してます!」

 私は彼女と別れ、研究室の扉を開ける。ポーター教授の背中を追って大学をあとにした。

 駐車場に着く。

「私が運転しよう」

 教授が運転席に乗り込んだ。珍しい機会だが、私は彼の行為に甘えて助手席に座る。「では」発信の合図とともに、出口の光を目指し、車は暗い地下駐車場から繰り出した。


「ときに」


 四年前のポーター教授が口を開いた。

「この研究室の評判を耳にしたことは?」

「もちろんございます」

 応じたのは当時の私だ。教授はいま運転に集中している。高速道路の周期的な揺れは私に回想を促した。

「教授の指導は厳しく、何人もの学生が耐えきれずに大学を去っていったそうですね。行方をくらませた方も数人いらっしゃるとか」

「それを聞いてなお、入室を望むと?」

「妖精学の権威に教えを仰ぐ、またとない機会ですから」

 それに。

 私は上体をかがめ、足元のバッグからあるものを二つ取り出した。面接室の奥で腰掛けている教授にそれらを掲げる。金色のバッジと、厳かな証書。

「草鞋はこれで三足目です」

「合格」

 晴れて、私は妖精学の専攻者となった。


 サービスエリアで私たちは休憩をとった。大学をあとにして、はや三時間は経っている。

 上空は未だに黄色く、しかし影が徐々に伸びてきていた。食堂の机を挟んで教授がコーヒーを含む。

「私が替わりましょうか」

「君にはひずみが見えるかね」

「いえ」

 ひずみ。あちらとこちらの境界。

 妖精たちの暮らす場に至るには、世界の外へ。ひずみとはそのトンネルの通称である。

 私たちは腰を上げた。潰れたプラ製のコップが二つ、屑かごの底で音を立てた。

 外に出る際、蛍光灯をふと見上げた。小蝿が一匹飛びまわっている。やがて、煙を上げて地面に落ちた。


 フロントガラスの向こうで陰り始めた山林が流れていく。すみれ色の空が車内を薄明るく照らし出す。

 車は人気ない舗装路を走行している。酔止め薬を飲んでいなければ悪路を耐えられなかっただろう。

 車体が再びカーブする。

 鬱蒼とした森に挟まれた直進道路。向こう側が明るく見える。

「着くぞ」

 教授がかすかにつぶやいた。その言葉通り、森を抜けた車は道を直進し続ける。

 私は左右を見渡した。道の両脇は深い谷となっているようで、その向こうに各々一つの山が壁となって道と並行している。

 片側八車線のアスファルト道。奥にはまた一つの山が鎮座し、トンネルらしきものが進行方向に見える。

「教授」

 私は口を開いた。なぜか。

 道の向こうに見えるトンネルは、しかし、穴が完全に塞がった壁に過ぎなかった。二十メートルはあろうバカでかい壁。進めるはずがない。

「教授っ」

「案ずるな、モリ。光、波、つまり」

 なるほど、

「トンネル効果ですね!」

「よいレポートをよろしく」

「はいっ」

 深山幽谷、広々とした道を二人が駆ける。行き先は妖精圏。ならばここは、まるで滑走路だった。

「うおぉぉおおおおおおおおおおおおおお」

 教授が雄叫びを上げた。


 激突。


「――以上です」

 塔のように上空に向かってそびえ立つ樹々。森の足元を木漏れ日の青い月光が照らしている。

「はぁ」

 私を先導する彼、あるいは彼女が浅く応えた。強いて言うならばローブ風の衣が仄明るく光っている。

 反対に私の居姿は変質者そのものだった。赤子のように無垢である。

「服とはつまり、垢の延長でしょうか」

「ハイだね」

 リーニンク(この案内人の名)は人差し指をくるくると回した。そして、この優しき案内人は慈悲深くも、着るものを投げ渡してくれた。

「あんたはドラゴンではない」

「ドラゴンもいるんですかっ!」

 リーニンクは露骨に顔をしかめた。彼は前に向き直って足を運び、私もあとに続いた。

 広場に出た。彫刻の誂えられた木造建築が立ち並ぶ。

 ひときわ大きいドームに入ると、でかい人が座っていた。

 巨大すぎてまずそれが目に入ったが、彼の足元へは長い廊と机が伸びていた。リーニンクと似た雰囲気の人が二人、椅子に腰掛けている。

 一人は巨漢らしき。もう一人は少女らしき。

「客人。ようこそ、フェリアへ」

 巨漢よりもでかい、廊の奥の人影が手を叩く。

「はじめ」


 鈴虫の羽音。


 リーニンクと私は森の奥で息を潜めている。

「リンギーローチだ。鳴り止めば、いくぞ」

 彼はつぶやいた。そして、森が張り詰める。

 つんざくような破裂音。

 リーニンクの頭が吹き飛んだ。燐光が舞う。

「銃っ?!」

「あっちだ」

 彼の右手がある方向を示した。私の視界に白い光が舞い散る。

「撃たれたな。容赦ない。痛くないか」

「っ、? はい?」

「さすが女王謹製」

 リーニンクは伏せ、私もそれに習った。彼の欠けていた頭が光で再構成されていく。

「何が起こってるんです?」

「あとで。まずは付いてこい」

 彼の体が閃光を放ち、爆音とともに消え去った。地にはびこる苔がわずかに赤熱している。

 未だに鈴虫は静か。静寂の森に一人残されてしまった。

「聞こえますか? 客人」

 耳元で聞き覚えのある声が囁いた。

「さきほどの」

「一瞬、光の筋が見えたでしょう。彼の尾です。あるいは指し示した先へ向かいなさい」

「どうやって」

 突然、私の着ていたローブが発光し始めた。

「あなたに許します」


 白光。


 空気の粒を糸に見立て、滑るように進んでいる。舵が効かずとめどなく流されていく。

「こっちだ」

 リーニンクに向かっていると直感する。身を任せ、彼と合流した。

「引き寄せの法則ですか」

 声の主を探す。さきほど見た少女が武装して佇んでいた。

 何枚かの金属板が彼女の周囲を旋回している。その中心で彼女は銃火器らしき金属棒を構えた。銃口から煙が漂っている。

「モリ。手を出すなよ」

 リーニンクが白熱し始める。

「今回は勝ちます。リーニンク」

「やってみろ。アミエス」

 リーニンクが光速で駆け寄ろうとする。しかし、アミエスと呼ばれた少女に到達する前に、金属板が彼を遮った。

 板の表面で火花が散る。静寂。

「リーニンク?」

「私の勝ちですよ。外の人」

 漏れ出た私のつぶやきにアミエスが答えた。青い月光が彼女の白い顔を闇に浮かび上がらせている。

「蓄電はご存知ですか? 銃はただのブラフです。リーニンクへはね」

 少女が微笑をたたえた。

「次はホーディン。ああ、外の人、あなたはそこら辺でうずくまってなさい」

 彼女は私に背を向けようとし、しかし、完遂することはなかった。

「この反応は」


「遅ぇよ」


 私から伸びた雷光が金属板を迂回する。アミエスに辿り着いた白い雷は、少女の胴体を粉々に打ち砕いた。

「届かない、か」

 アミエスの、わずかに笑みを含んだ声が森に拡散していった。金属板たちと銃火器が音を立てて地面に落ちる。

 その周辺に光の粒が集合し始め、そしてリーニンクの姿を形成した。彼が金属板の一つに手を当てると、輝きが一層強まった。

「使わせてもらった」

 彼が私を指さした。ハッとした私は尻を弄る。

「ああっ! レコーダーが!」

「どのみち、私の電気に当てられて壊れてたんだよ」

 彼らに隠し事はできそうもない。

「さて、と」

「リーニンク!」

「あ?――」


 彼が、巨漢に組み伏せられていた。


「ッホーディン。お前ェ」

「爪が甘いですよ。おっと」

 ホーディンとよばれた男は私に手のひらを向けた。

「私の腕は彼を深く捉えています」

 静寂の森にリンギーローチのさざめきが粒立ちはじめる。リーニンクは歯を食いしばった。

 月光の青さが心に落ち着きをもたらす。しかし、その日初めて月光が、止んだ。

 リーニンクが発光し、口を大きく開けた。

「ホーディン!」

「あなたっ、離れなさい!」

 ホーディンが素早く体を起こしたかと思うと、私を強く突き飛ばした。遠ざかっていく先程の地面が空に降り上がった。

 土煙と枝葉が舞い上がる。私は勢いのまま地面に後転した


「アァああああァアアアアアッッ!!!!!」

 

 世界が擦れ割れるような雄叫び。煙が晴れるに連れて、声の主がその姿を明らかにしていく。

 細長い巨体に生える無数の腕と鱗。鰐のように切り開かれた口には牙が並ぶ。

 森が先よりも数段明るい。見上げれば、樹冠が広くえぐり取られていた。

「ドラゴンです」

 私の傍らでホーディンが身を起こしていた。上からは樹々の破片が未だに舞い落ちてくる。

 ドラゴンの瞳の一つがこちらを眼差した。瞳孔が開き、同時に龍の巨体に火花が散った。

「リーニンク。しかし――」

 ドラゴンがこちらへ向けて、猛然と駆け出し始めた。ホーディンが相対するように向かっていく。

「私が食い止めます!」

 彼の腕が、彼の何倍もあるドラゴンの巨体を受け止めた。それでもなお竜は歩みを止めない。

 やがて、ホーディンも押され始めた。鱗が彼の体に突き刺さる。


「分かりますか? 客人」


 耳元で声が立つ。女王だ。

「何がですか?」

「ドラゴン。この世ならざるもの。しかしもはや、あの世にすら許されない」

 私の右手に光が収束し始めた。

「思い出しなさい。モリ。あなたの役割を」

 光はやがて、一筋の槍をなした。

「あなたでなくてはならない。私たち妖精ではなく、あなたでなければ」

 槍は禍々しくうねっている。何かを焼き焦がしたくてたまらないのだろうか。

 ホーディンはもう鱗に呑まれきった。しかし、竜は動きの鈍いままだ。

 私は覚悟し、槍を放った。

 白光。歓喜の轟きをあげながら、槍は光の筋を宙に描いていく。

 音よりも早くドラゴンに到り、その巨体は爆散した。無数の鱗が周囲に飛び散っていく。

 私の体に刺さったそれの感触は、しかし、どこか懐かしい。

「ありがとう」

 女王の声が遠ざかっていく。


「あの人にも、よろしく」


 すみれ色の空。

 ピンクと青の灰がかったグラデーションが上空を染めている。視界すべてを染めあげている。

「教授」

 傍らにポーター教授が屈んでいるのに気づいた。

「起きたかね」

「ポーター教授。私は――」

 私は今までの顛末を話す。教授は静かにうなずき、人差し指をくるくると回した。

 周囲を見回すと、無傷の車が大壁の前で停車していた。私たちはそれに乗り込んだ。

「帰るか」

「教授」

 助手席の教授がこちらに顔を向ける。

「女王がよろしく、と」

 彼は目元にかすかな微笑みを浮かばせた。

「しかし、君。忙しくなるよ」

「はあ」

 教授が私の肩を拳で軽く押した。

「報告書をしたためねば。それに、君は私の再来となったんだから」

 徐々に東の空が黄色みを帯び始めた。私はアクセルを踏み、車輪がもと来た道をたどり直していく。

 道中、教授がふと言葉をこぼした。


「娘も喜ぶよ」


 朝日が、空を真っ赤に染めていく。

〈了〉

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森バトル そして白 @outdsuicghost

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