第20話 離れ離れと女性

 身体に強い痛みが走って、私は目を覚ました。


(痛っ……前も同じような感じだったような……)


 裏世界に来た初日に師匠に起こされた時も身体中が痛かった。ただ、今はあの時よりも痛みが強い。


(そうか……あの時は、師匠が治療してくれていたから……)


 ようやく目が開く。最初に見えてきたのは、断崖絶壁だった。ふと、私の頭の中に表世界に戻ってきたのではという希望が駆けて行ったけど、すぐにそんな事はないと自分を叱咤する。


(甘い希望に縋るな……そんな都合良く帰ってくる事なんてない……)


 都合良く帰る事が出来るのなら、初日の睡眠で帰っていてもおかしくない。寧ろ、そこで表世界で目を覚まさなかった時点で、不意に戻る事なんてほぼないと言い切れる。そんな馬鹿みたいに甘い考えをしている場合じゃないという事を私は知っている。

 そんな思考を振り切って、両手を地面に突いて身体を起こす。すると、ぽたぽたと血が地面に垂れていくのが見えた。頭から出血しているみたいだ。崖まで這ってから、崖に背中を預ける。そこまで這うだけでも、身体中の痛みは凄まじかった。息切れをしながら、杖を取り出す。こういうとき自分の身体の中に入っていると便利だという事がよく分かる。


「はぁ……はぁ……【止血しけつ】」


 私が使える治療系の魔法がこれだけだ。完全な治療となると、医療の知識が必要になる。理由は、私がイメージ出来ないからだ。骨の繋ぎ方とか皮膚がどうやって塞がるのかは分からないけど、止血は血小板とかが作用しているというのが分かっているから、中途半端にはなるけど使える。


「はぁ……はぁ……げほっ……」


 まだ喉に痛みが走る。言霊の反動は長引くものなのかな。まだ声が出せるだけ有り難い。声が出せなかったら、身体強化くらいしか出来ないから。

 少し落ち着いたところで、まずやるべき事は身体の状態を確認する事だ。


(森から飛ばされて、崖から落ちるくらいの事が起こっているのに、どこの骨も折れている感じはしない。これはこれで奇跡……いや、師匠が何かで守ってくれたのかな。師匠の魔法なら、そういう事が出来てもおかしくはないだろうし)


 出血している箇所は多いけど、骨折箇所がない。この状態は、普通にあり得ないので、恐らく師匠が何かしらで守ってくれたのだと思う。最後の光景では、師匠と離れ離れになっていたから、あの時に何かをしてくれたのかな。


「っ痛……でも、打ち身は治ってないか……ごほっ……とにかく移動しないと……」


 自分が動ける状態という事は分かったので、ここから一刻も早く離れる事を決める。近くに崖があるような感じはしなかったし、ドラゴンのブレスの跡が見当たらないから、結構遠くまで飛ばされたのだと思うけど、ドラゴンは空を飛べる。安全と思われる場所まで逃げるのが一番だ。


(問題は、安全な場所がどこにあるのか分からないって事。確か、私達は東に移動して、日本の座標を目指している。だから、取り敢えず東に移動していたら、師匠に出会えるかも)


 不思議と師匠が死んでいるかもしれないという考えは出てこなかった。師匠なら生きていると信じているからかな。

 身体の痛みに耐えつつ立ち上がる。いきなり走る事は出来ないので、ゆっくり近くの森の中へと歩いていく。周囲の警戒を師匠に任せられないため、『探知』を使って危険な生き物がいないかどうか調べながら進んでいく。

 そして、時折上を見上げて、ドラゴンが来ていないかどうかも確認する。あれに見つかるのが一番危ない事だから。周囲の警戒と上空の警戒をしながら、私は森の中をゆっくりと進み続ける。師匠と再び会える事を信じて。


────────────────────


 一方で水琴とは別の場所に飛ばされたアリスは、即座に自分の身体を回復させる。


「【治療ヒール】」


 怪我が治り身体が動く事を確認した後は、周囲の警戒に移った。


(水琴とは違う場所に飛ばされた。水琴の位置は……探知できない。お守りが発動する程のダメージを受けたって事ね……恐らくは高所からの落下。確か、ここの周辺には崖があったはず。水琴が飛ばされた方角と一致はするわね。骨折は免れているだろうけど、ある程度傷は負っているはず。早く合流したいところだけど、風竜ウィンドドラゴンと遭遇するように動くのは愚策。最短ルートではなくなるけど、迂回で向かうしかないわね)


 風竜と遭遇すれば、水琴を探すどころではなくなる事は目に見えていた。そのため、アリスとしても断腸の思いではあったが、先程までいた場所を迂回して水琴を探す事にした。

 身体強化と部分強化で最大まで速度を上げたアリスは、水琴を探すために駆け出す。その表情には焦りと憤りが出ていた。焦りは水琴が無事かどうかという事に対して、憤りは水琴をこんな危険な目に遭わせてしまったという事に対して。どちらかと言えば、憤りの方が大きかった。


(あの時、家を出る前に森の様子を確認するべきだった。あそこまで静かな状態になった森なら、事前に察知する事も可能だったはず。それに、あの子に言霊を使わせてしまった。風竜は、水琴にとって格上になる存在。言霊を使えば、強い反動で身体が保たないこと分かっていた。事前に注意する事も出来たはず。言霊の使用を禁止したから、それで大丈夫だと思い込んでしまっていた。水琴の聞き分けの良さに甘えていたのね)


  アリスの頭の中では、常に風竜と遭遇してしまった事と水琴に言霊を使わせてしまった事に対する反省と後悔でいっぱいになっていた。その事に気付いたアリスは首を横に振る。


(いえ、駄目ね。今は、こんな事を考えている場合じゃないわ。水琴の捜索に集中しないと)


 アリスは、水琴が落ちたであろう位置まで全速力で移動し続ける。水琴の無事を信じて。


────────────────────


 風竜がブレスを吐き、荒れ果てた森の中にローブを着た一人の女性が降り立った。長い茶髪を三つ編みにしている容姿端麗な女性だ。一番の特徴はローブの下からも大きく主張している胸だろう。

 そんな女性は、ブレスの着弾地点の中心で周囲を見回しつつ眉を寄せていた。


「うっわ~……ひっどい状態だなぁ……風竜ウィンドドラゴンも倒れてるし……って、まだ生きてるし!?」


 倒れていた風竜は、女性が近くにいる事に気付いて身体を起こす。水琴によって墜落させられた際に、打ち所が羽の骨を折り、首なども負傷してしまっていた。近くに来た女性を腹の足しと回復のための栄養補給として食らおうとしている。

 そんな風竜を冷たい目で見た女性が口を開く。


「【氷地獄コキュートス】」


 風竜の身体が一気に凍り付き動かなくなる。既に弱っていた事もあり、身体の芯まで凍り付いた風竜は絶命してしまったのだった。


「うおぉ……寒いぃ……もっと別の魔法にすればよかった……」


 魔法の余波で生じた冷気に身体を震わせた女性は、その風竜を収納魔法の中に仕舞った。そして、周囲を見回して改めて何かを探し始める。


「この感じだと、ここにはいないかなぁ。師匠が一緒だろうから、大丈夫だとは思うけど……はぁ……もう一度絵画占いするかぁ……もっと精度を上げたいけど、結局占いだからなぁ。確実に当たる占いがあれば良いんだけどなぁ。師匠が開発してくれないかなぁ。自分でやれって言われるかぁ。はぁ……」


 女性はため息をつきながら、その場でイーゼルと画材を取り出した。荒れ果てた森の中で、女性は普通に絵を描き始める。あたかもそれが当たり前の事かのように。他人が見れば異様に思えるような状況だが、女性は何も気にしている様子はなかった。

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