第39話 女子力
開始した魔術核強化訓練は、最初こそ大盛り上がりだった。前回の反省点を活かしダニーたちには、スクロールによる肉体強化で訓練場のランニングを開始。魔術核強化済みの騎士団と、魔力量の多い在校生はリブリーの掛け声で魔術を発射。
最初は歓声を上げていた見学者たちは、延々と思った以上の速度で走り続ける光景に静かになっていった。途中でダニーたちがへたり込み始めるも、駆け寄ったリブリーが魔力残量を確認し引き立たせてまた走らせ始める。在校生たちの中にも涙目で走りながら、モザイクが必要なものを吐き始める者が出始めた。
心配そうな見学者たちの目の前で、リブリーは止まることは許さず走れと怒号を響かせている。会場の空気は冷え切っていた。ドン引きだ。
(……一人も……残らないかも……)
フィオナにはお馴染みの光景でも、見学者たちは初日のダニー達と同じ空気感が漂っている。思ってたよりやばい、と。
「…………あっ!!」
訓練を食い入るように見ていたレオンの目の前で、とうとうダニー達がゲロをぶちまけながら白目になって倒れ込み、駆け寄ったリブリーが回復薬を飲ませ始めた。ようやく死体一歩手前になれたダニーたちを、神官たちが回収していく。
「マジかよ……」
「ここまでって……ありえない……」
在校生からもちらほら離脱者が出始め、冷え切った空気に呆然と響いた呟きに、フィオナは悲しげに俯きかけた。
「第二騎士団一同! 王太子殿下に敬礼!」
そんな空気を一変するかのように、先頭を走る第二騎士団長が振り絞るように声を上げた。その掛け声に走りながら騎士団がヒースに顔を向け、ビシッと敬礼を捧げる。
「騎士団はさすがだね。まだまだ元気みたい」
満足そうに笑みを浮かべ、ヒースが騎士団に返礼を返す。一糸乱れぬ動きと未だ衰えない速度で走り続ける騎士団に、感嘆の声が上がり拍手が湧き上がった。見学者たちの表情がドン引きから、尊敬に変わったのを見てレオンがチラリとヒースに視線を投げる。
「……ヒースの指示か?」
「ふふっ……最後まで余裕で立っているのが騎士団なら、イメージアップにいいかなって? 騎士団が最強だってわかりやすい」
レオンの冷たい非難の視線に、ヒースは少し考えて付け足した。
「それに辛そうな姿だけ見せないのも必要でしょ? 頑張って続けて強くなれば、あれくらい余裕も出てくるって思ってもらえるかもだし。国民の魔術核の強化は、国力の強化も同義だしさ。こう見えて僕も……」
「え! ヒース……私、てっきり騎士団への入団者を狙ってだと思ってたのに……」
「そんなわけないでしょ? アレイスターの見学会だからね。アレイスターのためを第一に思ってだよ」
「……よく口が回るもんだ」
にっこり笑ったヒースにレオンが呆れたように呟いたが、残念ながらフィオナには届かなかった。そればかりか感激に瞳を潤ませて、感謝に唇を震えさせている。あまりにも騙されやすい。レオンは今後フィオナが、うっかり壺とかを買わされないように見張ることを心に誓った。
「……ごめん! 私、てっきりヒースのことだから、この機会に便乗して自分の有利になることをちゃっかりやり遂げようとしてるんだと思って……そうよね……しんどいってイメージだけはダメよね……それでもって奮起できる熱い何かが必要よね!」
思った以上に響いたらしいフィオナの感謝に、ヒースが調子良くうんうん頷いた。
「うふ。フィオナの力になれて嬉しいよ」
通常の二割増しの微笑みに、レオンがうんざりとヒースを睨みつける。
「おい、ヒース。いい加減……」
「ありがとう、ヒース! 余計なことをしてなんて思ってごめんなさい!」
「わかってくれたならいいから」
やけに優しいヒースの声音に、フィオナはうるりと瞳を潤ませた。
「……ヒース……でも頼りっぱなしじゃダメよね……こんなに手伝ってもらってるんだもの! 私だってできることやらないと! 私、行ってくるわ!!」
潤んだ目元を拭うとすっかりやる気になったフィオナは、決意に燃える拳を握り勢いよく駆け出していった。
「は? おい、フィオナ!」
レオンが慌てて呼び止めたが、フィオナはすでに人混みの奥へと消えてしまった。
「あー、行っちゃったね。何するんだろ?」
フィオナの消えた人混みを眺めながら、のんびりとつぶやいたヒースをレオンが鋭く睨みつける。
「ヒース……適当なこと言いやがって! 完全に騎士団の好感度アップしか考えてなかったくせに!」
「ばれた? でもなんかすごい感激してくれてたでしょ? 別に結果的に空気も変わったみたいだし、いいかなって」
「揶揄うな! フィオナがどんだけ単純か知ってるだろ?」
「売れる時にどんどん恩は売っておく主義なんだ」
「どうすんだよ。なんかどっか行ったぞ?」
「そうだね、単純で本当に可愛いよね。何をしでかすと思う?」
「ヒース……」
「あ……!」
ため息をついて嗜めようとしたレオンを遮り、ヒースが訓練場に身を乗り出す。何事かとヒースの視線を辿ったレオンが、愕然として目を見開いた。
「フィオナ……あいつ、何やって……!」
訓練場を見下ろすと今まさに、どういうわけかやる気に満ちすぎているフィオナが、砂煙を上げて猛然と爆走をし始めた。会場が戸惑うようにざわつき、ヒースは盛大に吹き出す。
「あははは! 何あれ! フィオナ、最高! 猪みたい!」
「……肉体強化重ねがけしてのか……? なんだよあの速さ……」
突然乱入して暴走するフィオナは、とんでもない速さであっという間に騎士団を追い抜いた。あっけに取られる騎士団と観客をよそに、フィオナは速度を増しさらに周回を重ねていく。突然の暴走者が五回目の追い抜きをかけるあたりから、呆然としていた見学者たちから歓声を上がり始めた。
「あ、騎士団も本気になったみたい」
何度も追い抜かされて火がついたのか、置き去りにしようとするフィオナを騎士団が猛追を開始。デッドヒートする騎士団とフィオナに、見学者たちが声援を送り出す。盛り上がり始めた訓練場とは別に、額を覆ってレオンが項垂れた。
「え、フィオナ……なんでだ……? なんで唐突に走り始めた……?」
「んー、あれじゃない? なんかすごいって空気になってた騎士団に勝てば、なんかこうポジティブなイメージになるとか思ったんじゃない? それかもうなんかこう、感情が昂って走りたくなったとか? フィオナだし」
「……暴走する猪みたいに走って、ポジティブなイメージになるのか?」
「さぁ?」
「焚き付けたのはヒースだろ……どうすんだよ……フィオナの奴、めっちゃ生き生き走ってるじゃねーか……」
多分もう本来の目的は忘れてる。リリアーナを含め何人かの騎士団員たちが脱落しながらも、騎士団長は矜持をかけてなんとか追い縋っている。なんかもう見てられなくて、レオンは手すりに捕まって顔を片手で覆った。その様子を楽しそうに眺めていたヒースが、近づいてくる人影に気づくとレオンの肩を揺さぶった。
「あ、ちょっとほら、レオン。お客さんだよ?」
「……なんだよ、ちょっとそっとして……って、ダニー? もう大丈夫なのか?」
ふらふらと近づいてくるダニーたちに、レオンが慌てて駆け寄る。
「お疲れ様。もういいの?」
にっこり笑みを浮かべたヒースに、ダニーたちが緊張したように礼をとる。
「あ、はい。もう平気です」
「もうちょっと休んでたらどうだ?」
「大丈夫だって。でもやっぱまだ貴族たちには勝てなかったな」
「いや、最初はあんなもんだって。それよりきてくれてありがとな……」
「いや、自分のためだし。それにあのまま逃げ出したら、二度と貴族の悪口言えなくなるだろ?」
ニッと笑ったダニーたちに、レオンも笑顔を返す。
「それで……」
レオンが言いかけた時、背後で一際大きな歓声が上がった。思わず訓練場を振り返ると、騎士団長とフィオナの差が大きく開いたようだった。必死に追い縋っていた騎士団長は、急速に失速を始めフィオナとの差がどんどんと開いていく。
「あれ? いつの間にレースに変わった? ってかフィオナ様すげーな……なんだよ、あの速さ……」
「騎士団長もぶっちぎるとか、アレイスターすごすぎない?」
「あそこまではなれる気しないよな……」
ダニー達が感心していると、限界を迎えた騎士団長がよろよろとへたり込み、盛大にゲロをぶちまけるとバッタリと倒れた。上がった悲鳴にまだ後ろを気にする余裕があるフィオナが、騎士団長が倒れたのを確認して速度を緩め足を止める。決着した勝負に見学者が息を呑む中、フィオナはふうっと汗を拭って一息を吐くと、見学席に満面の笑みを向けた。そしてそのまま勝利の喜びを拳にして空に突き上げる。その瞬間、見学者がワッと大歓声に沸いた。
壮絶なデットヒートに見学者達も、フィオナと同じく本来の目的を完全に見失っているようだ。なんだこれ。
「……どうすんだよ……」
フィオナの勝利を讃える拍手が鳴り止まない訓練場に、レオンが額を覆った。
「え? なんか困るのか? これでアンジーたちは訓練に、間違いなく参加すると思うけど? ダメなのか?」
「は? なんでだよ……」
「え、なんでって……そりゃ、フィオナ様が勝ったしな」
「そうそう。女子達が大騒ぎしてたんだ。フィオナ様の女子力やべーって」
「……女子力?」
絶対にフィオナと結びけてはいけない単語に、レオンは思わずヒースを振り返った。ヒースも不思議そうに首を傾げている。
「いや、レオン達、平民街で宣伝に来てめちゃくちゃ目立ってただろ? その後アンジー達はレオンと殿下を取り巻きにできるのは、フィオナ様が美人な上にスタイルもいいからだって力説して回っててさ」
「僕、取り巻きに見えてたんだ……」
「その後、騎士団のリリアーナさん達が来たときに、魔術核の訓練すれば嫌でもフィオナ様のスタイルに近づきますよって。まあ、こんな訓練してたら嫌でも痩せるもんな……」
「ああ、見学者のあの反応ってそう言う意味だったんだ」
ヒースが腑に落ちたように頷いた。
「あれ以来女子達はいい男を捕まえるには、女子力磨きをしなきゃならんってなってさ。女子がこぞって見学会に行くからってんで、野郎どももゾロゾロと参加したってわけ。マジでキツいからって言ったんだけど、あいつらカッコつけて俺らに根性ないだけだって言いやがったんだぜ! 現実を思い知ったろうけどな!」
「お前らそれで……」
「へへ……まあ、貴族に負けてられないし、やっぱり魔術核も強化したいしさ」
レオンの呆れたような視線に、ダニー達が顔を見合わせて頭を掻いた。
「だから女子達はみんな参加すると思うぞ? フィオナ様、大活躍だったし。女子力爆発してたじゃん。女子が参加すれば野郎どもも参加するだろうし」
「ダニー、女子力は爆発するものじゃない」
顔を顰めるレオンに、ヒースがにこりと微笑んで小首を傾げた。
「僕も女子力は見つけられなかったけどさ、でもまあ、いいじゃないか。参加してくれるんならさ。実際結婚となれば魔術核の資質は重視されるものだし。これからは女子力っていうのは、ゲロりながら磨くものになるんだよ。きっと。なんかフィオナ、大人気になってるし」
「フィオナの奴、ありゃ完全に調子乗ってんな……大丈夫かよ……その
「それはあれだよ。白目もゲロも全てを受け入れてこそ愛ってことで」
「…………」
無言になったレオンの背後で、歓声にすっかり気分を良くしたフィオナが、笑顔で声援に応えて続けている。目的を忘れ去って、完全にスター気取りだ。
レオンは女子力の定義に全く納得はいっていなかったが、とりあえず失敗の危機だった魔術核強化訓練がなんとか持ち直せそうだということだけを、もう無理やり納得することにしたのだった。
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