ようこそ! アレイスター魔術学園へ〜脳筋令嬢の学園再建奮闘記〜

宵の月

第1話 新たなる門出



 最後の荷物をトランクに詰め終え、フィオナはゆっくりと立ち上がった。

 十歳で名門アレイスター魔術学園に入学。学生寮のこの狭い個室は、もう自宅よりも馴染んでいる。でも今日で思い出深いこの部屋ともお別れだ。

 入寮した最初はホームシックで、少しだけ泣いてしまった。でもホームシックでいられたのは初日だけ。手強い学友たちに鼻っ柱を折られ、敗北に悔し泣きしたり勝利に快哉を上げる。そんな八年間はあっという間に過ぎ去った。


「ありがとね……」

 

 そんな悲喜こもごもを黙って見守ってくれた、部屋の石壁にそっと額を当てる。重厚な歴史を重ねた石壁の、ヒヤリとした硬い感触を伝わってきた。

 終わらない課題に呪詛を吐きながら徹夜した夜。ライバル達と魔術討論に白熱させた昼下がり。そんな永遠のように思えていた日々も、こうして卒業と成人で終わりの日を迎えた。

 じっと石壁に寄り添うフィオナの胸に、騒がしく愛おしかった日々が迫る。そんな日々の終わりがとても寂しい。


「次に来る後輩もしっかり見守ってあげてね」


 囁きながら顔を上げこの八年間、ずっと自分の家だった部屋の石壁をそっと撫でる。

『求める全ての者に、その扉は開かれている』名門アレイスター魔術学園の理念そのままに、思う存分魔術に没頭した充実した日々だった。フィオナが去るこの部屋に、期待で胸を膨らませやって来る後輩も、そんな毎日をこれから送るのだろう。


「……行くわ」


 フィオナはキリをつけるように石壁から手を離した。

 がむしゃらに学んだ日々も、今日卒業というの日を迎えるため。学園生活はこの先も続く未来に向かう、通過点の一つでしかない。でも手放しがたいほど、濃密に眩しい日々だった。

 まとめた荷物を手に持ち、フィオナはゆっくりと歩き出す。部屋を出る最後の一歩の前に、くるりと部屋に向き直る。私物が運び出されてがらんとした部屋は、もう次の誰かを待っているようにも感じた。

 

「今までお世話になりました!」


 勢いよく頭を下げて心からの感謝を伝える。挨拶を終えた後はもう振り返らなかった。


「大丈夫……またすぐ戻ってくるんだから……」


 もう学生としては歩くことはない寮の廊下を、フィオナはゆっくりと出口へと辿って行った。


※※※※※


「……休校にした意味がない……」


 外に出た途端黄色い歓声に耳をつんざかれ、先ほどまでの感傷的な気分を吹っ飛ばされたフィオナは、正門前にできている人だかりに顔を顰める。押し合い圧し合いの人垣は、卒業生だけでなく在校生の姿まである。中心には頭ひとつ抜けた長身の輝く金髪。騒ぎの原因を一目で理解したフィオナは、ジェット噴射で怒りの鼻息を吐き出した。

 卒業式と祝賀パーティー後、卒業生の退寮期間まで休校とされたのは、なんのためだと思っているのか。退寮最終日まで居座っていた、あの金髪のせいで正門が通れない。


「時間、潰そう……」

 

 当分収まりそうにない騒ぎに、フィオナはくるりと踵を返した。飢えた猪のような集団が塞ぐ正門に、突破を挑む気持ちにはなれなかった。うんざりしながらフィオナは、中庭に向かって歩き出す。

 中庭は正門の騒ぎとは無縁の静けさでフィオナを迎えてくれた。いつもランチをしていた定位置に腰掛けると、吹き抜ける風に目を閉じる。燃えるような薔薇色の髪が、爽やかな風が揺らされるのが心地いい。


「……魔術書でも読もっかな」

 

 どうせ暇だとトランクを中をガサゴソと漁っていると、


「フィオナ!」


 穏やかなテノールに呼ばれ、フィオナは思わず顔を顰めた。振り返るとフィオナが帰宅できない原因、金髪の長身・ヒース・シュラルツ・クロイゼンがにこやかに立っている。


「ヒース……殿下……」

「殿下だなんて……急な他人行儀は寂しいな……幼馴染で親友だろ? 卒業しても今まで通り、名前で呼んでほしいね」

「……じゃあ、ヒース。貴方のせいで正門が塞がれてるの。非常に迷惑だから今すぐ帰ってくれる? 友達でしょ?」

「君をわざわざ待ってた、友達への扱いはそれで正解なの?」

「別に今生の別れってわけでもないじゃない。なんでわざわざ最終日まで居座ったのよ。嫌がらせ?」

「まさか! 少しでも長く思い出深い、アレイスター学園の生徒でいたかったんだよ。学生でいられる最後じゃないか」

「まあ、そうね。で、なんの用?」


 隣に腰を下ろしてきたヒースに、フィオナはため息をつきつつ渋々向き直った。


「その冷たい態度はもしかしなくても、僕が技術首席を取ったせい?」


 グッと奥歯を噛み締めたフィオナに、ヒースは芝居がかって悲しそうに肩を落とす。


「僕、頑張ったんだけどな……苦楽を共にした学友は、首席卒業を祝ってもくれないのか……」

「……おめでとう」


 断腸の思いで絞り出すと、ヒースはにっこりと笑みを浮かべた。

 

「ありがとう。フィオナもおめでとう。防御魔術を捨てて攻撃魔術に全振りとか、ぶっ飛びすぎててすごかったよ。脳細胞が正常に稼働してたら、考えつかない暴挙だった。でもそのおかげでフィオナもなんとか実技首席で卒業できたね。本当におめでとう!」

「……祝う気持ち、ある?」

「普通さ、防御全捨てしないよね?」

「……レオンの《雷撃》に対抗できる防御魔術は、習得が間に合わなかったのよ……だったらやられる前にやってやろうと……」

「脳筋すぎない?」

「自分でも今は後悔してるんだから、蒸し返さないで!」

「まあ、魔術理論首席レオンの《雷撃》は捨てる選択は正解だった。あれは僕も無理だし。でも防御魔術全捨ては今でもさっぱり理解できないな。深夜テンションで魔術構成考えたの?」

「ぐっ……!!」


 三部門首席の野望を打ち砕いた、ヒースの冷静な分析にフィオナは涙目になった。その通りすぎた。卒業をかけた最終試験で防御全捨て。それは確かに深夜テンションと言われても仕方がない。

 レオン・スタンフォード魔術理論首席の開発魔術を警戒しすぎたせいで、考えることを放棄。結果ボコボコにされて技術首席はヒースに、理論首席はレオンに奪われた。


「……傷口を抉るためにわざわざ待ってたの?」


 苦い敗北感を思い出し涙目のフィオナに、ヒースは肩をすくめる。


「僕がわざわざ傷口を抉るために待ってるような、陰険で暇な男に見える? 別件だよ」

「今まさに傷口を抉る陰険で暇な男になってることに気づいてないの……?」

「卒業後の予定は?」


 さらりとフィオナの嘆きを受け流したヒースの言葉に、フィオナはきょとんと首を傾げた。


「もちろんアレイスター魔術学園を継ぐつもりだけど?」


 赤龍と渾名された母のような魔術師になる。そのために三学部首席を狙っていたし公言もしていた。阻まれたけど。

 前学園長だった母の跡を継いで、学園を守り魔術の発展に邁進する。そのためにがむしゃらに学園で魔術にひたすら打ち込んできた。今更なんの確認かと訝るフィオナを、ヒースの柔和な美貌を彩る新緑の瞳が、じっと観察するように覗き込んでくる。


「……アレイスター家から何か聞いてない?」

「別に何も聞いてないけど?」

「そう……流石にしぶといな……」

「何? なにかあるの?」

「じゃあ、レオンの進路は聞いてる?」


 戸惑うフィオナには構わず、ヒースは別の質問を重ねてきた。

 

「王宮魔術師か騎士団でしょ? 随分前から勧誘しに来てたし」

「フィオナも聞いてないんだね」

「……ヒースの方が詳しいんじゃないの? 卒業したら王太子になることにしたんでしょ? 王宮付きなら上司になるんだし」

「王太子を選べる就職先の一つみたいに言うんだね、びっくりだよ」

「そう? 似たようなもんじゃない」


 美貌を顰めたヒースはやれやれと首を振り、そのままため息をついた。

 

「レオンは王宮付きにならない。断られた」

「えぇっ!? 一番の出世街道を断ったの!? レオンが? なんでっ!?」


 最難関の就職先である王宮は、それに見合うだけの厚待遇だ。アレイスター学園の卒業と爵位持ちが必須。かなりハードルは高い。だが優秀な人材確保のために、爵位に関しては騎士伯や魔術伯の一代爵位を購入して、給与から代金を返済できる仕組みもある。

 レオンの身分は平民でも、王国奨学金を得られるほどの素質があった。そしてその素質をアレイスター学園で見事に開花させ理論首席までになっている。そんな逸材なら叙爵についても、かなり有利な提示があったはず。


「レオンは王宮付きを目指してたはずでしょ……? え、何それ……私、何にも聞いてない……」


 ヒースとレオンとフィオナ。首席を争うライバルとして、魔術を共に研鑽する学友として、喧嘩しつつも共に長い時間を過ごしてきた。友達だと思っていたのに、こんな重大事を本人ではなくヒースから知らされたことがショックだった。呆然とするフィオナの頭を、ぽんぽんとヒースが優しく撫でる。

 

「……そんな顔しないで。きっと事情があるんだろうから。僕に連絡が来たら、ちゃんと知らせる。だからフィオナに連絡が来たら、僕にも知らせてほしい。レオンの頭脳を遊ばせておくのは勿体無いだろ?」

「うん……」


 しょんぼりと返事を返したフィオナに、ヒースが上体を屈み込ませて視線を合わせてきた。柔和な笑みは消えている。静かなその表情は、ヒースらしくなくてフィオナは少し不安になった。


「……ヒース?」

「ねぇ、フィオナ。一つ予言をしておくよ。いずれ僕の助けが、必ず必要になる。僕らは友達だ。だからその時は迷わず連絡してくれ。分かった?」

「助け……? 急にどうし……あー!」


 開きっぱなしだったトランクに腕をぶつけて、盛大に撒き散らしてしまい悲鳴を上げる。

 

「じゃあ、またね!」


 そんなフィオナを尻目に、いつもの表情でヒースは手を振って帰ってしまった。友達なのに拾うのは手伝ってくれないらしい。背中を見送りながら、フィオナはポツリと呟いた。


「……ヒースに借りを作るくらいなら、悪魔に土下座する方がマシなんですけど……」


 技術首席となるほどの、精密な魔術コントロールを誇るヒース。柔和で優美な美貌でにこやかな皮を被っているが、中身は視野が広く緻密で抜かりのない性格をしている。一言でいえば「厄介な曲者」。

 数々の学友達の悲鳴を間近で聞いてきたフィオナが、ヒースに助けを求めるわけがない。ヒースを頼るのは、人生を終わらせたい時だけだ。

 ため息をついて散らばった荷物を詰め直すフィオナは、この時はまだ気が付いていなかった。ヒースの言う通り人生を終了させる覚悟を決めなければならない日が来ることを。

 魔術の研鑽に青春を費やした日々が終わりを告げ、それぞれが新しい未来に向かって巣立ちを迎えたこの日。少し波乱含みな門出だったのは、大人として踏み出す第一歩目から盛大に躓く未来を暗示していたのかもしれない。


 

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る