第42話 やっと始まる新生活
42.やっと始まる新生活
朝だ。俺はすっかり高く上った太陽を眺めつつ、
爽快な気分で大きく伸びをした。
思えばガウールに着いてすぐから、怒涛の連続だった。
いきなりガウールの抱える闇に飲み込まれ、
一生この村から出られない呪縛を受けてしまった。
そして過去に人柱にされた聖女メアリーの存在を知り、
彼女が魔人と化した姿と対峙することになったのだ。
結果、妖魔が蓄え続けた膨大な力を
フィオナがまるっと吸収したことで”聖女”として覚醒し、
妖魔と融合していたメアリーも分離に成功した。
さらには行方不明だった元・勇者パーティの
僧侶ユリウスも発見されたのだ。
なんという、大忙しの展開だったろう。
とにかくひと段落し、昨夜は盛大にご馳走を楽しんだ。
最初はもくもくと食すメアリーを見つめていたが、
「……そんなに見られると、食べにくいんだけど」
と気まずそうに口を尖らせたので、
それもそうか、と俺たちも食事を始めた。
「……これ、なあに?」
「”ビーフウェリントン”という名の、
牛肉にパテを塗ってからパイ皮で巻いたものです」
「中のお肉が柔らかくてすごく美味しい……」
メイド頭の説明をうなずきながら聞き、
一口ふくんで顔をほころばせるメアリー。
最初は無口だったが、
食材や料理法についてあれこれ話すうちに、
メアリーは自分の境遇をポロポロと話し出した。
この村で生まれ、家族の怪我や病気を癒していたら
偶然訪れていた他国の聖職者にその力を見出され、
多額の報酬と引き換えに、彼の養女として旅立ったこと。
そこでは厳しい修行と奉仕活動、
質素で単調な生活を送る毎日だったそうだ。
「とにかくどこかに逃げたかった……。
毎日、固くてパサついたパン、残り野菜のスープで。
最初はみんなそうなんだって思ってたのよ。
でも実際は違った。養父も他の神父たちも、
毎晩美味しい夕食を食べているって知ってからは
毎日が不満でいっぱいだったわ」
辺境の村から連れて来た娘は
あくまでも使役するためだけの存在だったのだ。
だからある日、ガウールの危機を噂で聞き、
養父と教会に討伐を申し出たところ、
快諾されて送り出されたそうだ。
「ま、あれだけ何度も助けを懇願されたのに
自分の力を失うことを恐れて、
誰もこの村に行かなかったから。
さすがに体裁が悪かったんでしょう」
ふんわり焼かれたチーズ入りオムレツをつつきながら
メアリーは皮肉な笑いを浮かべた。
「ずっと、ガウールに帰りたいと思っていた。
だからこの妖魔討伐の話に飛びついたのよ。
でも結果は、ここでも利用されただけだったけどね」
それを聞き、執事が申し訳なさそうに頭を下げたのを見て
メアリーは慌てたように首を振った。
「やったのは貴方じゃないでしょ?
もう、切り離してください」
「しかし……」
なおいいつのる執事に、メアリーはいたずらっぽく笑う。
「私にとって貴方は、”この最高に美味しいものを
山ほど食べさせてくれてる人”なんだから」
未だに苦しみも、怒りだってあるだろうに、
メアリーは必死で執事を慰める。
口調は厳しいが、優しい子じゃないか。
そうして思う存分、美食を楽しんだ後。
俺たちはやっとこの怒涛の一日の疲れを思い出し、
泥のように眠ったのだ。
************
「おはよう」
「早くないです。私は5時に起床しました」
俺の挨拶に、メアリーはさらっと言い返してくる。
時計を見れば確かに遅い。8時を過ぎていた。
「いやあ、昨日は大変だったから……」
俺は思わず言い訳した後、あわてて止める。
彼女を責めることにもなるからだ。
しかし彼女はじろりとこちらを一瞥して言い放つ。
「妖魔討伐にこの地に来たんでしょう?
一匹倒したくらいで疲労困憊とは情けないのでは?」
「まったくもってその通りですね、面目ない」
ジェラルドがメアリーに同意して笑う。
くそー、俺より早く起きたみたいだな。
つか全員、朝食を済ませてるじゃないか。
フィオナが明るい調子で言う。
「ホント、起きるの遅いですよ。
私メアリーに”朝食も楽しみにしててね”って言って寝たから
自分まで楽しみになっちゃって、早起きしちゃいました」
「私も久しぶりに安眠できたわ。
メアリーと三人で朝食をいただいたの」
エリザベートが2人と目をあわせて微笑む。
俺の目の前にその朝食が並ぶ……手間をかけて申し訳ねえ。
ベーコンとほうれん草のキッシュに、
朝採れたばかりの野菜で作ったサラダ、
優しい甘みのあるコーンポタージュ。
肉汁あふれるウインナーに、焼きたてのパン。
「パンが、私の知っているパンじゃなかった……」
メアリーがうっとりと言う。
エリザベートがうなずきながら言った。
「本当にこの別荘、料理が美味しいわ。
……オーベルジュみたい」
「なんだ、そりゃ」
「料理が自慢の、レストランとホテルを兼ねた施設よ」
俺はふーん、と答え、食事を開始した。
そしてメアリーに尋ねる。
「俺たちは本旨である討伐を始めるが、君はどうする?
元の国に戻ってもどうしようもないし、
ここでもすること無いだろ。俺たちと来るか?」
「勝手に決めないでよ。
……まあ、行くあてなんて無いのは本当だけど」
メアリーは笑ったが、フィオナには怒られる。
「メアリーはしばらく、のんびりするんです!」
「お嫌でなければ、ずっとここでお過ごしください。
もしガウールなど居たくない、という思いがおありなら
妻の縁戚を頼って、住みよい場所を……」
執事が必死で言うのをメアリーは遮った。
「そんな風には思ってないわ。
だって、大昔とは全然変わっているもの。
全然知らない街みたいだわ」
俺はメアリーに言う。
「しばらく回復しながら、今後の事はゆっくり考えようぜ。
……俺たちはモンスターを狩り、
”どうぶつと森”でたわむれる日々の始まりだ」
「プロジェクト”S”も忘れないでください!」
醤油、諦めてなかったか。フィオナがすかさず声をあげる。
「なあに、それ。悪い企み?」
メアリーが横目で俺をにらんでくる。
今さらだが、彼女が俺にだけ厳しい対応するのは何故だ。
「ああ、悪い悪い企みだよ。
これ以上食事が旨くなった日には、
その細っこい体もあっという間に酒樽みたいになるからな」
「王子それセクハラです」
「何よ、それ。食事がこれ以上美味しくなるってどういうこと?」
ジェラルドの指導が入るが、
それを無視してメアリーが身を乗り出す。
エリザベートが苦笑いで彼女に説明する。
「私たち、新しいソースを作ろうとしているの。
ショウユって言ってね、豆から作ったものなんだけど」
「新しいものなのに、名前が決まっているの?」
メアリーが不思議そうに尋ねる。
「ええと、あの、古い文献に出てくるんだ。
それを再現したいと思ってるんだよ」
ジェラルドが必死に言い訳する。
メアリーはふーん、という顔でそれを聞き。
「じゃあ私、それを手伝いたいわ。
どうせもう”聖なる力”なんてないんですもの。
討伐に行っても役に立たないしね」
彼女が本来持っていた力は、全てフィオナの中にある。
フィオナは申し訳なさそうに口を開きかけるが
メアリーはすぐにそれを制止した。
「私はあの力があるせいで不幸にしかならなかったわ。
厄介払いもいいとこよ。
あれさえなかったら、ずっとガウールで静かに暮らせたのに」
俺はコーヒーを飲みながらうなずく。
「確かに手伝ってくれると助かるかもな」
「ええ、まかせてほしいわ」
メアリーはワクワクした様子でうなずき、
エリザベートが笑って言う。
「じゃあ、決まりね」
そして俺たちは新生活を開始したのだ。
************
その後、復帰した村人と、
強制的に交代で置かれた人がどうなったかというと。
村人からの信頼が厚い執事と僧侶ユリウスが
”全ては妖魔のしわざ”と言い含めておいたこともあり、
自分の家で他人が暮らしていたことに対しては
誰も怒ったり責めたりしなかった。
そもそも皆、襲われた記憶は残っているので、
無事に生きて帰れた喜びの気持ちが大きいようだ。
薬屋のグレイブはすぐに帰国することにした。
彼は商人と言っても、かなりの高位貴族だったらしく、
平民としての仕事が本当に辛かったのだ。
偶然にも彼の出身国であるシャデールのキャラバンが
今回、俺と一緒に滞在していた。
キャラバンの主は彼を見て腰を抜かすほど驚き、
一緒に連れ帰ることを約束したのだ。
グレイブは涙を流しながらジェラルドの手を握り、
シャデールの言葉で感謝を繰り返していた。
漁師のジャンも帰国を決めた。
戻って来た村の漁師に、最近の潮の流れの変化や
漁の穴場などを引き継いだあと、
「まあ、年老いた母が心配だし故郷に戻るよ」
と笑って、他の商隊に交渉して一緒に行く約束を交わしていた。
しかし、残ることを決めた者もいたのだ。
「いやあ、牛がみんな元気なのは、マイクさんのおかげだ。
あのままだったら、みんな死んじまっていたよ」
そう言って、元・牧場主は笑った。
「最初は必死だったけど、こいつらに愛着が湧いてしまって」
そう言いながら切ない顔で牛を撫でるマイクに、
元・牧場主は一緒にやらないか? と声をかけたのだ。
その申し出にマイクは歓喜し、牧場の規模を拡大して
二人で頑張ることにしたそうだ。
農家のピートも、トマトを握りつぶすほど運命を呪っていたのに
いざ兵士に戻るとなると、抵抗しか感じなかったそうだ。
戻って来た元・農家の人も、畑の様子を見て、
「お前、才能あるよ。もったいねえなあ」
と褒めてくれ、帰国するかどうかの迷いに拍車をかけた。
そんな彼に別荘の執事が、休眠中の畑を紹介したのだ。
「帰国はいつでもできますから」
その言葉に納得した彼は、新しい畑を開墾し、
自分の育てたいものを植えようと思う、と意気込んでいる。
そしてマーサは。
すっかり落ち着きを取り戻し、
このガウールの頼りになる医者として復活していた。
「たまにはお茶にいらしてください」
そう言って笑う顔は、
あの孤独と恐怖に苛まれていた頃が嘘のように健やかだった。
************
そして今日は、商隊が帰る日だ。
善良な商人ハンスや、強欲クピダスも荷造りしている。
不安そうな彼らに、僧侶ユリウスは優しく声をかけたのだ。
自分が同行しましょう、と。
元・勇者パーティだった彼が居れば、
その辺の魔獣など近づくことすらできないし、
凶悪な妖魔が現れたとしても簡単に退けることができる。
商隊の彼らは喜び、安堵した。
「ロンデルシアには連絡が?」
「ええ、連絡用のシギが帰ってきました。
ダルカン殿が途中まで迎えに来てくれると」
僧侶ユリウスは晴れやかな笑顔を見せた。
久方ぶりになる友との対面を、心から楽しみにしている。
ダルカンが途中から同行するなら、もはや敵なしだな。
「私はまず、彼と話し合わなくてはなりません。
しかし必ずや、また会いましょう」
そう言って彼は皆と一緒に去って行ったのだ。
途中まで見送りながら俺は気付いた。
「この街道、ずいぶんと通りやすくなったようだな」
行きに俺たちが道に埋め込んだ
”魔獣に対する忌避の効果”を持つ聖杭が効いているのだ。
これでさらに僧侶ユリウスが聖杭を増やしてくれるから
さらに安全なものへとなっていくだろう。
俺たちはロンデルシア側のルートが改善されたため
次はチュリーナ国へのルートを平定しなくてはならない。
そして、もうひとつの悲願を果たすのだ。
俺がエリザベートに向くと、
以心伝心、可愛く笑みをもらして言う。
「すでに連絡してあるわ。近日中に届くはずよ。」
彼女の家、ローマンエヤール公爵家の広大な領土で取れる
さまざまな種類の”大豆”が届いたら。
俺たちはいよいよ、醤油作りを始めるのだ。
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