第24話 シャル、皇子の手助けをする

意識を取り戻したサマラ・マリアは大いに混乱していた。


ここはいったい?

背中に当たるのは、湿った土の感触にごつごつした・・・木の根?

生い茂った枝が視界の大半を遮っていた。葉の隙間から微かに夜空が見える。


なぜ、木の根元なんかに直に寝かされているんだろう?

なんだか身体が重い。服がぐっしょり濡れて気持ちが悪い。


徐々に記憶がよみがえってくる。

『教会』の施設らしきところへ連れて来られて、アルサンドとともに閉じ込められて、それから、大聖女が皇子を水死させようとして・・・


その後のことがよく思い出せない。気がついたときには、水中へ落下していくアルフォンソ皇子を追っていた。なんとか、皇子を救いたくて解呪を…。


はっとして、固く握りしめていた右手を持ち上げ、頭上に翳す。こわばった手指の間から、蒼く輝く首飾り状の魔道具『水妖の愛執ウンディーネズ アフェクション』がだらりと垂れ下がった。


(よかった。解除できた。殿下はどこに?)


肩肘を付き、身体を起こそうとして、柔らかな何かに阻まれた。


この感じには覚えがある。王室の騎士たちが緊急時に護衛対象を守るときに使う対人結界アイピーバリアだ。アルフォンソ殿下が張ってくれたのだろうか。


凄まじい悲鳴が響き、思わず両耳を押えて縮こまる。

しばらくして、恐る恐る、音がした方に視線を向けると、見たこともない化け物が人間の身体らしきものを飲み込もうとしていた。


赤い液体をぽたぽたと滴らせる丸い口。そこから突き出た足が硬直し、痙攣した。赤く染まった下半身が、行きつ戻りつを繰り返しながら、徐々に口内に消えていく。男の身体を飲み込み終わると、化け物は口を閉じた。しばらく喉を震わせると、再び、口を開け、赤い舌を一直線に伸ばし、次なる獲物を捕獲して、引き寄せた。泣き叫ぶ男の頭を、上半身を、下半身を、ゴリゴリ音をたてながらゆっくりと咀嚼していく。


この口しかない化け物は、歯ごたえを楽しみながら、人間を味わっている…

あまりの恐怖に視線を逸らすこともできずに、サマラ・マリアは見つめ続けていた。

そうして、どれくらい時がたったのか。おそらくは、数分のことだったのだろう。


「第二妃殿下、お気を確かに」


ゆさゆさと身体を揺さぶられて、サマラ・マリアは正気を取り戻した。


「アルフォンソ殿下、ご無事で…」


アルフォンソの顔をホッと見上げ…サマラ・マリアは、驚いて背中を思いっきり障壁にぶつけた。

アルフォンソの真横に『お座り』している真っ黒な犬のようなもの。それは、どう見たって成体のケルベロスではないか!ケルベロスは大型犬に似てはいるが、決して犬ではない。犬よりはるかに狡猾で、凶暴な魔物だ。人を襲うことだってある。


「第二妃殿下、お初にお目にかかります。リーシャルーダ・ベルウエザーでございます。どうか、シャルとお呼びください」


ケルベロスの背から降りた少女が可愛らしく一礼して名乗った。


(ベルウエザー?では、この女性がアルフォンソ皇子の想い人?)


月光を弾く銀の髪に大きな金色の瞳。美人と言うより愛らしいという形容詞がぴったりする、全体的に華奢な印象。成人したばかりのうら若き乙女のはずだが、その容姿はまだまだ少女のようにも見えた。


アルフォンソは硬直しているサマラ・マリアをそっと立たせて、言った。


「第二妃殿下、拘束用魔道具ウンディーネズ アフェクションをもう一度使用してくださいませんか?できれば、私に使用した以上の力、でき得る限りの最大限の威力で」



*  *  *  *  *



サマラ・マリアは子供の頃、小型の海棲獣をペットにしていたことがある。家畜化に成功した数少ない魔物『鎧魔鯨アームドホエール』の背に乗せてもらったこともあった。

しかしながら、強靭な牙と爪を持つ魔犬ケルベロスに乗るのは初めての経験だった。それも、鐙も鞍もなしに、その後ろ首に背を括り付けられ、その首に回したもう一つ紐を手綱のように握った少女と向かい合う形の二人乗りタンデムで。


いくら安全だと説明されても魔犬に密着するなんて、当然のことながら、最初はとても恐ろしかった。が、驚いたことに、魔犬の乗り心地は予想したほど悪くはなかった。差し向かいに座った少女シャルがケルベロスのことを愛犬として扱うのを間近で見たせいかもしれないが。


「いい子ね、ケリー。あなたの協力が必要なの。お願いね!」


しっぽを盛大に振って少女の手を舐めるケルベロスは、まさしく、主人を喜ばせたくてたまらない忠犬そのもの。その様は、昔、故郷で飼っていた子犬を思い出させたのだ。


ズッザーン!

はるか前方、蠢く頭部の方で大きな音がした。続けて、剣が打ち合わされるような乾いた音が響く。魔物の動きが徐々に緩やかになり、ついには停止した。

アルフォンソ皇子率いる騎士団がどうやら魔物の注意を惹きつけるのに成功したようだ。

魔物ワームの横を並走していた魔犬ケルベロスが、『ワンワン』と小さく鳴くのが聞こえた。


魔犬ケルベロスもワンと鳴くとは!そんな考えが脳裏を過る。


「殿下、ここです!魔道具を!」


シャルが指し示した辺りを狙って、サマラ・マリアは青い首飾りウンディーネズ アフェクションを魔物に投げつけた。


「蒼き貴神の名のもとに命じる。最大限の力を持って、凍りの縄にて拘束せよ!」


古の言葉で唱えられた呪文に従い、魔道具ウンディーネズ アフェクションは本来の形に変化して限界までその力を発動した。



*  *  *  *  *



蒼い首飾りが長虫のように伸び、うねると、魔物ワームの胴体の側面に穴を穿ち、シュルシュルと潜り込んでいく。

穴の周辺から白い靄が上がり、瞬く間にその表面に薄氷が広がっていく。


シャルは腰に結わえて携えていた特別誂えの十字弓クロスボウを右手で掴んだ。左手で手綱を握ってバランスをとる。


「ケリー、お願い!」


人間二人を乗せた魔犬が軽々と跳躍した。魔物ワームの凍りついた側面の一点を鼻で示してから、そのやや下に両足をぶち込むと、鋭い爪を食い込ませてぶら下がった。すぐに後ろ足の爪もひっかけて自らの身体が揺れないように固定する。背に乗った主人を落とさないように少しお尻を上げた状態で。


「第二妃殿下、頭を下げていてくださいね」


しっかりと座りなおしながら、シャルは不安そうに見つめてくるサマラ・マリアに呟いた。



*  *  *  *  *



魔物が首をしならせて、管状の舌を発射した。アルフォンソがひらりと身をかわし、冷気を纏わせた剣で切り落とす。が、見る間に舌は再生し、再び、アルフォンソを攻撃した。アルフォンソは、飛びのくと、その舌先に剣を打ち下ろした。他の騎士たちがその機を逃さず、その頭部を剣で、槍で攻撃する。

何度か同様の攻撃を繰り返してみたが、あまりダメージを与えられているようには見えない。怒り狂ったらしい魔物が、動きを止め、自分に攻撃を集中しだしたのだから、まあ良しとしよう。


シャルは大丈夫だろうか?

そう思った瞬間、魔物ワームの頭がピクリとした。



*  *  *  *  *



シャルは大きく背をのけぞらせて反動をつけ、魔犬が示したカチカチ部分~魔石が隠されている部分~に、十字弓クロスボウ本体を全力で叩きつけた。



*  *  *  *  *



突如、後方に曲がろうとした魔物の頭部を、アルフォンソは双剣を振るって食い止めた。クロスさせた剣で引っ込もうとする舌を挟み切り、返す刀でその頭先を突き刺し、強烈なケリを見舞う。


魔物の身体がぶるぶる震えた。

絶叫するように大きく口が開いた。


ドシーン!


次の瞬間、力を失い地に倒れた上半身に、アルフォンソたちは慌てて飛びずさった。


「アルフォンソ様、やりました!」


振り返ったアルフォンソの目に映ったのは、真っ二つに断ち切られた魔物の長く伸びた下半身。そして、その傍ら、真っ黒なケルベロスの背の上で誇らしげに手を振るシャルの姿だった。



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