第22話 皇子、反撃する

まさか!


足が地に凍りついたかのように動くことができなかった。

レジャイナは、ただ、水域に突如生じた巨大な渦を食い入るように見つめていた。


くぼんだ中心が一瞬静止したかと思うと、勢いよく吹き上がった。


ザバァーン


飛び出た渦の中から現れたのは…

月空の下、魔灯に照らし出された石膏像のように整った顔立ち。美しいが、底の見えない闇色の瞳。青ざめた唇には赤い血が滲んでいた。金髪のカツラは失われ、本来の艶やかな黒髪が水を滴らせ、額に、首筋に張りついている。


「悪魔を浄化し損ねたな、大聖女殿。これで、二度目かな?『教会』が私を消し損ねたのは」


気を失ったサマラ・マリアを抱きかかえたアルフォンソは、口角を皮肉にゆがめた。

驚きに言葉を失ったレジャイナたちを冷たく見据えたまま、彼はそっと、第二妃の身体を傍らの木の根元に横たえた。一言詠唱して、その身体を障壁バリアで包むと、レジャイナたちの方に向き直る。

隙の無い確かな足取りで一歩進む。


天空光線射ヘブンズ レイ!」


慌てて、自らが使える数少ない攻撃魔法を唱えるレジャイナ。が、


「魔法反射壁(リフレックス)!」


皇子の呟きとともに、彼女の手から発された光の線は、難なく弾き返されてしまう。


ギッと悔しそうに睨みつけてくる大聖女を、漆黒の双眸が冷たく睥睨した。


「光属性攻撃は私には効かない。お前たちが何と言おうと、私も光属性だからな」


守りの森の方から、魔物たちの悲鳴が轟いた。

足元が大きく揺れ、大聖女レジャイナがバランスを崩してよろめいた。倒れそうになったその身体を、大神官が危ういところで抱き留める。


「援軍が来たようだ。茶番はもう十分だろう?私の弟を、アルサンドを返してもらおうか」


拘束用魔道具ウンディーネズ アフェクションの影響に長時間あった上、手足を縛られて水中に沈められたのだ。かなり消耗しているはずなのに、その口調は怜悧な刃物のようで、その冷たく整った顔に疲労の色はない。


一見細見な体躯に纏わりついた服~本来は丈が長いディドレスの一種に見えた~はぐっしょりと濡れそぼり、ところどころ裂けてぼろぼろになり、すでにその本当の体つきを隠す役にたってはいなかった。


どう見ても若い男性なのだ。確かに中性的な容貌ではあるが、か弱さなどひとつもない。今の恰好は全くそぐわないはず。

なのに…。それでもなお、その姿が滑稽に見えないなんて。


(さすが、元『銀の聖女』。これが、性別を超えた美しさなのかしら?)


神官長に身体を支えられたまま、レジャイナはヒステリックな笑いがこみあげてくるのを感じた。


目の前に立ちはだかる皇子は、自分の身なりなど気にしてはいないのだろう。

堂々としたその姿は気高くさえ見える。まるで、神から遣わされた伝説の御使いそのもののように。


しもべどもよ、我らが敵を討ち果たせ!」


 耳元で神官長がかすれた声で叫んだ。

 周囲に散らばっていた人狼たちがアルフォンソを取り囲む。異変に気付いた大聖女の崇拝者たちがパラパラとやってくるのが見えた。


アルフォンソが胸元で揺れる十字のペンダントに触れた。


復元せよリ・コンバートィング!」


主の命に応じ、ペンダントが眩い光を放った。

光が消え失せた時には、その両手には、現世の得物えものであるやや細身の双剣がしっかりと握られていた。


「いいだろう。まずは、お前たちから楽にしてやろう。『安らかな終焉をレクイエスカトインパーケ』」


静かな声で唱えられた古の呪文。双剣の刃全体に宿る淡い銀光。

死にゆく者の苦痛を取り除いてくれる慈悲深い古の光魔法だ。


「生きて返すな!」


 人狼たちに命じると、神官長は大聖女の手を恭しく取った。


「私たちは一先ず聖堂へ参りましょう


「聖堂へ?」


「万が一に備えて、術者たちに転移魔法陣を準備させております」


神官長は、大聖女を連れて身を翻し、後も見ずに建物に向かった。その一番奥にある大広間『聖堂』を目指して。



*  *  *  *  *



アルフォンソは、両手の剣で、周囲に群がる僕たちの攻撃を躱し、受け流し、はじき返した。空中を舞うように縦横無尽に移動しながら、人狼の爪を避けつつ、その急所を一撃で屠っていく。襲い来る神官たちの剣を叩き落としては、容赦のない蹴りをその腹部や胴体に叩きこんだ。


多勢に無勢だったはずが、瞬くうちに、アルフォンソ以外、無傷で立っている者はいなくなっていた。


火炎刀フレイムカッター


殺気に気づいたアルフォンソがとっさに身をかがめ、剣を投げつける。同時に、岩陰から放たれた炎の刃がアルフォンソを一直線に襲った。が…右腕の防御魔道具うでわが光ったかと思うと、その炎の刃がことごとく弾け飛んだ。

衝撃を覚悟して身構えていたアルフォンソが~彼にしては珍しいことだが~驚いて目を瞬いた。それから、何が起こったのか悟って、ふっと、口元を緩めた。


「シャル、あなたのおかげか」


ドレスの下に、愛剣を変じたペンダントとともに、ずっと身に着けていたシャルから贈られた腕輪。さっそくその防御力が試されたわけだ。


右腕の腕輪を左手でそっと撫で摩り、頬を染めるアルフォンソ。地には安らかな顔で息絶えた人狼たちとうめき声をあげ、血反吐を吐いている神官たち。


剣に胸を貫かれた術師が、最後の力を振り絞って、懐から封が施された壜を取り出した。


開…封…アン…シー ルド


ごぼごぼと血を口中に溢れさせながら、男は呟き、こと切れた。

力を失ったその手からガラス瓶が転がり落ち、砕け散った。

ぶわっと霧のようなものがあたり一面に広がり、徐々に収縮していき…

月下に、10メートルはあろうかと思われる巨大な魔物の姿が浮き上がっていた。



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