魔々活男子よ億稼げ

可児俊

第1章 魔々活はじめました

第1話 闇金修道女あらわる


「日向虎介(ひなた こすけ)様、あなたには一億円の借金を完済していただきますわ」

 裸電球の明かりが照らすだけの薄暗い空間に甘く優しい声が響いた。声の主は修道服を身にまとった女の子。おかっぱ頭をシスターベールで包んだ彼女は、奇怪に渦巻く青い瞳に僕の姿を映している。

 シルクのような肌。凛々とした大きな瞳。つやのある薄桃色の唇。彼女の美しさは磨き上げられた宝石のように洗練されていて、だけどその完璧さが逆に不気味で近寄りがたい雰囲気がある。年はたぶん僕よりちょっと上くらいか……って、今はそんなことを考えている場合じゃない。

一億円の借金ってなんだよ? 冗談にしては露骨すぎるし面白くないぞ。

 あと両手首にかけられている手錠。なんなんだこれは。

なにがどうなってるんだよ⁉

 窮屈な天井を仰ぎながら、僕は少し前のことを振り返る。

 下校中のことだ。いつもの通学路を歩いていると、黒塗りのセダンがそばを通りかかった。セダンは前方で一時停車すると、急に僕の真横まで後退してきた。それを不審に思ったのも束の間、車内から黒服の男が飛び出してきて、僕はそいつに身柄を取り押さえられる。叫んで助けを求めようとしたが、口元にガーゼのような綿布が添えられると数秒で視界が真っ暗に。

そして意識を取り戻したときには、すでにこの部屋にいた。手首は手錠で拘束され、動かすたびにかすかな痛みを感じる。状況を鑑みるに──僕は誘拐されたらしい。

「ふふっ」

微笑するシスターさんはさながら天使のようで、彼女の美しさには後光が差していた。後光──それは慣用句的な意味も含んでいるのだが、なんと驚くべきことに彼女は実際に発光していた。すげぇ、シスターって光るんだな。てっきり漫画の中だけかと思ってた。

「どうやら混乱なさっているようですね」

 それでは、とシスターさんが言う。

「中学生の虎介様にも分かるよう、簡単にご説明しますわ」

 説明が終わるまでには五分ほどを要した。話を要約すると以下の通りだ。

 シスターの格好をした少女の名はメリィ・ゼーレといい、宗教法人『ゼーレの郷里』で代表役員を務めている。彼女は宗教組織を母体として金融業や人材派遣サービスを展開・運営していて、毎年莫大な利益を得ているそうだ。ちなみに修道服はカモフラージュの一種だと説明された。それでいったい誰の目を欺くつもりなのか、中学生の僕にはわからない。

そして今いる部屋は池袋にある『ゼーレの郷里』教会本部の地下室だそうだ。どうして地下室なんだろ? 怖いから聞かないけどさ。

「さて、ここらが本題になりますが──」

 メリィさんの口から衝撃の事実が告げられた。

一億円の借金をつくったのは、日向龍太郎(ひなた りゅうたろう)……他でもない僕の父親だった。去年、親父はメリィさんの運営する会社の一つである『魂盟金融(こんめいきんゆう)』で、八千万円の融資を受けたらしい。だが、借りたはいいものの毎月ごとにもうけられた返済日までに指定の額を支払うことができず、結果、借金は膨張をつづけ返済額は一億円に達した。

 なんだよそれ。まったくの初耳だった。あのクズは、自分の家族に何の説明もなく勝手に借金をこさえたのだ。あいつは、僕と妹の心猫(ここね)にまったく関心のない人間で、愛することも嫌うこともなく、それを徹底していた。金さえ与えとけば子供は勝手に育つと思っていたのか、毎月のお小遣いはくれても、休日いっしょに出掛けたりすることはなく、ロクに言葉を交わした記憶もない。家族に向ける愛情はとても希薄で、そのうち自分たちは捨てられるんだろうなと思っていた。

 親父が姿を消して一週間。なぜ急に居なくなったのかを知りたくて、そしてメリィさんのによってその疑問は解消された。親父は、借金を苦に失踪した。それが真実だった。

 ふざけんじゃねぇよ。力いっぱい拳を握りしめ、血が滲むくらい下唇を噛む。腹の底から熱いものがこみ上げてきた。消えるのはお前の勝手だけどさ、余計なもの置いて行ってんじゃねぇよ……クソ親父。

「お伝えできるのはこれで全てです」

 話に一区切りついたところでメリィさんは手を叩き、

「……そういうわけですので」

 親指と人差し指でお金のジェスチャーをした。後光が輝きを増し、色鮮やかになる。例えるなら、パチンコで大当たりを引いたときに発せられる、あの強い虹光。不意に、リビングのテレビでパチンコ実況動画を鑑賞する親父の姿がフラッシュバックした。

「虎介様と心猫様にはこれからじゃんっじゃんっ稼いでもらいますわよ! 目指せ一億!」

 ようは親父の代わりに一億円払えってことか。

「だからなんで親父の借金を僕が代わりに払わないといけないんすか! あと勝手に小学生の妹を巻き込まないでくださいよ! ……っていうか、僕もまだ中学生だし。親戚だっていなですし。なのに一億円なんて、そんなの払えるわけないじゃないですか!」

 僕は胸にたまった不平不満を吐き出す。それからしばしの沈黙を挟んだのちにメリィさんが、

「勘違いされているようなので、念のため申し上げておきますが」体を屈めて、椅子に座っている僕とじっと目を合わせる。やはり笑顔のまま、彼女は告げた。「虎助様に与えられた唯一の権利は、わたくしの提案に頷くこと。ただそれだけです。拒否権はありませんわ」

 理不尽すぎる。納得できるわけない。そっちがその気なら僕だって。

「なら僕は、警察に行ってこの事を相談します」

「どうぞ」

「えっ?」

「警察、弁護士、自衛隊、国防総省、お好きに頼っていただいて結構ですわ」

 彼女の顔に張りついた笑みの皮はいっこうに剥がれない。

 ああそうそう、と思い出したようにメリィさんが言った。

「実は虎助様にお見せしたいものがございます」

 懐から手振りベルを取り出して、チリンチリン鐘を鳴らす。その音色に呼応するように部屋の奥にある鉄扉が放たれると、次の瞬間、僕は驚きのあまり言葉を失ってしまう。


 扉の向こうから現れたのは二人の男だった。

 ひとりは、麻縄で身体を緊縛され、口に猿轡を噛んでいた。高く刈り上げた頭髪、鍛えられた豪腕に鯉の入れ墨。そんな絵に描いたみたいなチンピラがなぜか荒縄でぐるぐる巻きの状態で台車に載せられている。なんとシュールな絵面だろうか。

 もうひとりは、チンピラを載せた台車を後ろから押していた。ボストン型のサングラス、無造作に乱れた黒い髪、よれたジャケットの下にアロハシャツを着こんだ、軽薄そうな青年である。

「やっほ!」

 僕の視線に気づいたのか、サングラスの男が気さくな笑みで手を振ってきた。つられて僕も振り返す。ぎこちない笑顔を浮かべながら。

ふと、記憶がよみがえる。たしか彼とは以前どこかで会ったことがあった。

! 思い出したぞ。あいつは僕を誘拐した、あのときの黒服だ。

「さっきぶりやな、虎介クン」男は自らを指さして問う。「お兄さんのこと覚えてる?」

「……いや知らないっす」

「おお、そっかそっか。ほな、はじめましてやな?」

「……っす」

「僕、犬飼仁っていいます。よろしく」

「……」

「なあ、ほんまに僕のこと覚えてないん?」

「……」

「そない無視せんと、お話でもしましょ?」

「……」

「虎介クン」

「……」

 僕は知らないふりをした。あなたとは関わりたくない、という意思表示だ。

「……ううっ、どんだけ僕のこと嫌いやねんっ」

 無視されたことがよほど辛かったのか。犬飼さんが地面にうずくまって咽び泣いた。

悪印象抱かれて当然だろ。僕のこと拉致っといて白々しいんだよアンタ。

「あっ、もしかして誘拐したこと根に持っとる? せやったら謝るわ。ごめんなさい!」

 心底申し訳なさそうに土下座する犬飼さん。その殊勝な態度に、不本意ながらも僕は感心してしまった。たとえ自分に非があっても、過ちを素直に認めて子供に頭を下げられる大人はそういない。当たり前のことを当たり前にやる。それができない人間が世の中どれほど多いことか。その点少なくとも犬飼さんは僕の親父よりずっとマシな人間だと思う。

メリィさんが耳打ちしてきた。

「なんて口では言ってますけど、本当はまったく反省してませんわよコイツ。むしろ『なんで僕がガキに頭下げなあかんねん!』とか思ってますわ。そういう男ですもの」

「僕の株下げるようなこと言わんといてくださいよ、社長」

頬を膨らませるとメリィさんがそっぽを向く。

「わたくしが嫌々ながら悪役を演じているというときに、一人だけ好感度を稼ごうなんて浅ましいですわ!」

「なんやねんそれっ」ため息まじりに犬飼さんが言う。「社長こそ、嫌々悪役演じてるとか言うてますけど、べつにいつもと感じ変わってへんやないですか」

「……犬飼、上司であるわたくしの印象を悪化させるような言動は慎みなさい」

「僕はただ事実を言うたまでやし、自分のこと棚に上げるのは感心しませんねぇ」

「減給されたいのかしら」

「パワハラで訴えますよ」

 そんな調子で二人の会話は徐々にヒートアップしていき論争にまで発展。終戦するまでに数十分を要した。その間、放置状態だった僕と緊縛男は目と目で語り合っていた。僕たちの間に言葉はいらなかった。違う出会い方をしていればと悔やまれるばかりだ。

「お見苦しいところをお見せしてすみません。本題に戻りましょう」

 メリィさんがこほんと咳払いすると、緊縛男に目を遣った。男は親の仇みたいにメリィさんを睨んでいる。まるでケージに囚われた狂犬のようだった。縄を解けば今にも飛びかかりそうな迫力がある。

「先ほどから気になっておられるかと存じますそちらの男は、半年前にうちからお金を借りたものの月々の返済ノルマを達成できず……あろうことか借金を帳消しにするためにわたくしを手にかけようとした不心得者ですわ」

 無機質なメリィさんの口調。嫌な予感がした。汗が頬を伝う。

「背信者は、断罪されなければなりません。それが我が『ゼーレの郷里』の戒律」

 それは遠回しの脅迫に思えた。借金を返済できなかった人間がどのような末路を辿るのかを示すことで僕の中にある反抗心を踏み潰そうとしているのではないか。

「……犬飼、例のものを」

「へいへい」

 メリィさんが指示すると、犬飼さんは部屋を出ていき、数分後に再び戻ってきた。その手にはなぜか、どんぶりを載せたお盆が。甘いタレの香りが鼻孔をくすぐる。

 蓋が開けられる。なんと、どんぶりの中身は──カツ丼だった。

このタイミングでカツ丼だとっ? 困惑する僕に、メリィさんは説明した。

「お腹が空く頃かと思いまして夕飯をご用意させていただきました。どうぞお召し上がりくださいませ。お口に合わないようでしたら、クレームは犬飼のほうにお願いしますわ」

 カツ丼は犬飼さんが作ったものらしい……大丈夫かな? でも美味しそうだ。ぜひご馳走になりたい。もうお腹ペコペコだ。二人のことは信用できないし、暗い思惑があるような気がしてならないけど、それでも自分の食欲に嘘はをつくことはできない。口の中はもう唾液でいっぱいだ。食べたいなカツ丼。

「あ、そういえば手錠してましたわね。でしたら、わたくしが食べさせてさしあげますわ。お口を開けてくださいまし。……はい、あーん」

 箸に掴まれた肉厚のカツが目の前に差し出された。欲望に屈した僕は口をあんぐりとしてカツを出迎える。今にも唾液がこぼれ落ちそうだ。……そういえば、人に『あーん』されたの初めてだな。

「近くで見て思ったのですが、ずいぶん整った顔立ちをしていらっしゃいますわね。猫のような三白眼、長い下まつ毛、この泣きボクロがまたなんとも……」

 メリィさんの様子がなんか変だ。顔は火照っていて息が荒い。

「くぅ~、その表情たまりませんわぁ……。あっ、両手でピースサインしていただけます? 口は開けたままで結構ですのでっ」

「は、はひ?」

 言われるがまま、両手でⅤサインをつくると、メリィさんがスマホのカメラをこっちに向けた。パシャッ! フラッシュが焚かれ、シャッター音が反響する。今なんで撮ったの?

「これはプロフに使えそうですわ、ふふっ」

 ……プロフってなんのだよ?

 再度、黄金の卵をまとった豚カツが与えられ、僕はすかさず食らいつく。サクサクのカツとふんわり卵の絶妙な調和が口の中で広がった。甘辛い出汁がたっぷり染み込んだ肉はジューシーでとても美味い。

 どんな気分ですか、とメリィさんがたずねる。

「めちゃくちゃ美味い──」

「彼女が他の男に食われている様を横目で見ている気分は?」

「ふあっ?」

 素っ頓狂な声が出てしまう。後ろを振り向き、麻縄で拘束中の男に一瞥をくれるメリィさん。先ほどの発言は緊縛男へ向けたものだったらしい。「ん~っ! ん~っ!」彼は涙ながらに必死に声を上げようとしたが、もがくように喉から絞り出される音は、くぐもったかすかな呻き声だった。

 そういえばさっき、彼女がどうとか言ってたけど、僕が食べたカツってまさか豚肉じゃなくて……。

 メリィさんは男を見下ろして言う。

「たしか『桃子』さんとおっしゃいましたか、彼女? かわいそうに……。あなたが従順でいれば、命を奪われることも、サクッとジューシーに揚げられることもなかったでしょうに」

 桃子さんという女性はどうやら彼の恋人らしかった。そして僕が食べたのは桃子さんの……。瞬間、腹の奥底から不快感が湧き上がってきた。すんでのところで嘔吐はこらえたものの、胃がむかむかして気持ち悪い。知らず知らずのうちに、僕はなんて罪深いことをしてしまったんだ。

「っ……僕は人殺しだっ……」

「いきなりなにをおっしゃるんですかっ? 人殺し?」

「えっ? だってこのカツって人の肉を……」

「……人? いえ、豚ですけど。ペット用のミニブタ」

 ペット用のミニブタ?

「この男は筋金入りの動物性愛者で、飼ってるミニブタ『桃子』を自分の恋人……いや恋豚にしているそうです。残念ながらこの度、予期せぬ不幸により破局してしまいましたが」

「はっ、なにが『予期せぬ不幸』や。『計画通りの他殺』やないか」

 僕は自分が口にしたものが人肉じゃなかったことに安堵すると同時に、借金滞納の制裁に他人のペットを殺害(そのうえカツに)してしまうこのシスターに強い恐怖を覚えた。もし妹が彼女の毒牙にかけられたら。考えただけでぞっとする。

「あらあら」

 よほどショックだったのだろう。緊縛男が白目を剥いて気絶している。

メリィさんは残念そうにため息をついた。

「情けない男。ペット一匹でこのザマですか」

 動物を飼ったことがないからあくまで想像だけど、ペットを失う辛さは家族を亡くすのと同等だと思っている。飼い主にしてみれば、メリィさんのしたことは殺人と変わりない。きっと彼女に良心なんてものは備わっていないのだ。完全に頭がイカれている。逆らえば酷い目に遭わされるだろう。

「……っ、メリィさん!」

 汗ばむ拳を強く握りしめる。

 自分が傷つくのはいい。だけど妹には、幸せでいてほしい。

 僕はメリィさんに深々と頭を下げた。

「借金は、僕が一人で働いて返します。だからどうか妹を巻き込まないでください。一生かけて払います。なんだってやります。お願いします。妹にはふつうの生活を送ってほしいんです」

 メリィさんが大きな目を丸くする。

「……いいでしょう。わたくし、寛容ですので」

 ただし条件がありますわ、と付け加える。

「月末までに二千万円、用意していただきます」

「に、にせんまん……。えっと、月末って……来月末ってことですか?」

「今月末です。五月三一日の午後二三時五九分。それまでに必ずお支払いください」

 は? なに言ってるんだ? だって今月は──

「あと2週間しかないじゃないですか!」

「あと2週間もあるではありませんか」

 あんたに慈悲の心はないのか? それでもシスターなのかよ?

「せめて来月に延期してくれませんか?」

 残念です、とメリィさんがため息をついた。

「条件が吞めないのでしたら仕方ありません。心苦しいですが妹様にも働いて──」

「っ、わかりました! ……払います。二週間で二千万円、僕がひとりで稼いでみせます。だから妹に手を出さないでください」

「前向きな答えが聞けて嬉しいですわ」

 メリィさんは嬉しそうに「ふふっ、これで決まりですわね!」とうなずいた。

「虎助様」

 不気味なほどに曇りのない、真っ直ぐな瞳が僕を捉えた。

「援助交際……『パパ活』や『ママ活』といった言葉はご存じですか?」

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