夏夜

葦田河豚

夜虫

 虫が網戸に止まろうと羽音を響かせる。私は鍬形クワガタ虫かもしれないと淡い希望をいだきながら、シャープペンシルを動かしていた。私にはそれを確認する時間もない。とにかく今までのツケを払わなければならないのだ。ツケというのは気づかないうちにたまっていて気がついたときには手遅れになっていることが多い。今の私はまさにその感じだ。8月に差し掛かろうとするこの季節の進捗は大学ノートに換算すると多いのかもしれないが実際に見られるものは非常に少ない。私は百冊目の最後のページに書き込みながらそう思った。

 私の大学ノートは復習に適していない。それが私の流儀でもあるのだが、決して丁寧なノートを作らないのだ。丁寧なノートというのは復習に適しているのかもしれないが、私のような忙しい人間にとっては時間の浪費になり得る。どうせ私は復習などしないのだし、わざわざ間違えている可能性のあるノートで復習をする必要などないのだ。

 私の物理の思考はすっかりと途絶えこのようなつまらない話で頭がいっぱいになった。虫の羽音が私の邪魔をする。どうせ見に行ったところで黄金虫コガネムシなのは分かりきっているのに、私の心の隙間に入り込んで思考の中断を画策し、余計な考えを誘発するのだ。

 そういう意味で黄金虫はちょうど私の友人に似ている。私の友人はたいした意味のない言葉をまるで深い意味を持っているかのように人が集中しているときに投げかけてくるのだ。例えば空が青いだとか草が緑だとか。私は癖で光が散乱するからだとか葉緑体にクロロフィルが含まれるからだとかそういったことを瞬時に考えてしまうのだ。まさに余計な考えをを誘発する点で黄金虫は友人に似ているのだ。

 しかし友人と黄金虫とには絶対的な違いがある。それは益虫か害虫かということである。友人のことを益虫に例えるのは彼の性格を存分に表している気がする。しかも彼の場合は蜘蛛や蚰蜒ゲジといった類の不快害虫なのだ。かわいそうな話である。彼は益虫でありながら不快害虫であるので皆から嫌われているのだ。

 彼は何よりもまず変人だ。一人称が吾輩であるのもその一つであろう。彼は以前「吾輩は猫に憧れている」と言っていた。いくら憧れでも一人称を吾輩にするのはいかがなものかと思う。彼はまたこうも言っていた。「吾輩は三次元の猫は認めない。猫とは二次元の生き物である。吾輩は決してそれ以外のものを猫とは認めない」いくらなんでも尖り過ぎである。

 彼はこんなに変人であることに加えて、話が達者ではない。じっくりと考えてから話をするのだ。だから会話中に不自然な間が生まれる。それを皆が嫌うのだ。彼と話していても楽しくないと思うのだろう。

 不快害虫で益虫の彼と気が合う私も変人であることは目に見えて分かるのだが、彼の私に与える恩恵ははかりしれないものだ。私の経験上変人ほど先鋭的な考え方を持っているので気付かされることが多い。彼は意外にも類稀な天才であるのだがおそらくキャラクターがあまりに強く誰も気がついていない。例えば彼は常に模試で全国二桁クラスであるのだ。しかも常に猫に関する小説ばかり読んでいるにも関わらずだ。

 私はこの友人を誇りに思う。そしてわたしはこの友人に追いつきたいと思うのだ。この気持ちを糧に私は勉強を頑張る。

 窓の外を見るともう空が白み始めていた。ふと目を向けた網戸にはたしかにしっかりとした大顎のついたフォルムが映し出されていた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る