第一話 敗北

勝事かつことばかり知りてまくる事をしらざれば害其の身みにいたる

                             徳川家康

 ―――――――――――――――――――――



地獄だった。そう形容するほかないほどの有様であった。あたり一面、見渡す限り屍が所々に点在していた。


 方々から聞こえる大砲の音、銅鑼の音、ただ真っ直ぐに突貫を行う軍人、右腕、左脚が欠損し、顔を歪ませながら母娘への感謝の念を込める軍人、ただひたすらに天佑神助を乞う人間、そこには統率の取れた部隊、士気が高い部隊など存在するはずがなかった。


 青年ヘイトはこの戦場で初めて戦争という名の暴力を知った。


 ヘイトは士官学校在学中に、戦史上に華々しく刻み込まれた数々の戦術・戦略を学んだ。男に生まれたからには、自分もいつかはこの人物達のように、歴史に名を刻みたいという思いがこの青年の中にあったのは確かだ。


 だが、この戦場にあってヘイトは、茫然自失と立ち尽くすだけであり、士官学校時に教わったことなどこの青年の頭の中には存在しえなかった。


 すると、ヘイトの隣に立っていた一人の曹長が声を掛ける。


「少尉」


 が反応がなく、今度は声を張り上げて言う。


「ヘイト少尉!」


「どっ、どうしたハス曹長」


 震えた声で、しかし、上官としての矜持なのか動揺を隠しながら曹長に対して問うた。

 

曹長はヘイトの機微を感じ取り、彼の問いに対して、叱咤しつつも自身の意見を具申する。


「少尉、茫然自失と突っ立っていてもこの場が良くなるわけではありません、このままでは我々の部隊のみならず、いずれは我が軍も壊滅する恐れがあります。そのため、この場は退却し、まずはハウスヴェルト中佐の下へ向かい、隊を整え、ロック中将の下に向かうように具申しましょう」


 そう言うと、ヘイトは手を顎に添えながら思案すること纔か、


「わかった、ハス曹長の意見を採用しよう。」


 少し震え声で、しかし、地に足が着いたかのような、鋭く自信に満ちた声であった。


「あぁ、それとハス曹長、先程は済まなかった、ありがとう。」


 その言葉を聞き、ハス曹長は、微笑みを浮かべ、


「いえ、礼には及びません。」


 と、毅然とした態度で、でも、どこかうれしそうな顔持であった。だが、すぐに表情を切り替え、


「ヘイト少尉、これはたった一人の死に遅れた老兵としての意見だと思って聞いてください」


 ヘイトはその言葉を聞き、ハス曹長の雰囲気が変わった事を感じとると、真剣な面持ちになる。


 ハス曹長は、過去の悔恨なのか自責の念にかられたような声で、しかし、何処か嬉しそうに教師が生徒を教え導くような二律背反の感情が入り交じった声色で、言葉を紡いでいく。


「勝敗は兵家の常という言葉は、古今東西古代からに言われてきた言葉です。その言葉自体は私自身否定しませんし、その通りだと思います。ですが、勝敗が決した後に、その勝利から何を学び、その勝利という剣をどのように振るうのかという事が大事であり、敗者は何が要因となって負けたのかを考え、それを次に活かすことが重要なのだと私は学びました。」


 その言葉を聞いたヘイトは自分自身の心の中にある新芽が花開いた感覚に陥った。


 この日、この瞬間とき、英雄の種が蒔かれた。それは、神の計らいなのか、悪魔の誘いなのかわからないが、乱世の時代にあって、新たな英雄が産声をあげようとしている。


 「ハス曹長、君はまだ老兵という年齢ではないだろうに。」


 と、微笑しながら答えたが、続けざまに、


 「また、新たな学びを得ることになったが、ここは戦場だ、すぐに準備を整えるぞ!」


 そう、ここは紛れもなく戦場なのだ、どれだけ人間が停滞していようとも、時間だけは動いている。そして、時間が経つごとに、部隊が壊滅へと向かっていく。



   ▼



「少尉、準備が整いました。」


 ハス曹長がそう言うと、ヘイトは頷く。後ろを振り向き、部下たちの顔を見つめる。面々の顔は、やつれているものいれば、俯きながら、なにやらブツブツと呟いている者もいた。各々、異なる表情をしており、皆同様に士気が低下していることが、誰が見ても一目瞭然であった。

 

 その雰囲気をみてとったヘイトは、まずはこれからの方針について話す。


 「今から我々は、ハウスヴェルト中佐も下に向かい、退却の件を具申する。」


 と言うと、一旦の間を空け、突拍子もないことを言い放つ。


 「...まず一旦は、敵軍を褒めよう!」


 突然のことに、兵士らは顔を上げる。その顔には困惑という字が見えるような表情であった。何故、戦友を殺した敵を褒めなければいけないのかと憤っている風にも見えた。


 「そして、この勝敗は私たちの負けであるということをまずは認めようではないか。」


 「負け」。その言葉が兵士たちにとって悔しかったのだろう、握りこぶしから血が出ているものまでいた。

  「負け」。その言葉の存在がでかかったのだろう、一人また一人と俯いていく。


 「して、兵らは、何故下を向く。下を向く事で事態が良き方向に向くのか?」


 確かに、それはそうだろうと兵士たちはわかっていた。だが、「負け」という言葉が脳裏を埋めていた。


 すると、一人の軍曹が言葉を発す。

 

 「そのようなことは私達も分かっています。ですが、我々は負けたのです。ただ、その事実が我々には辛いのです。」


 彼の一言は、俯いている兵士らの代弁でもあった。


 だが、ヘイトは、すぐさまに魂を震わせて言う。


 「負けた。確かに我々は負けた。だか、それは一戦場で起こった出来事でしかない。我々軍人は祖国ひいては家族を護るためにいる!ならば、此処での敗北は悲観すべき出来事ではない!」


 各兵士が、少しずつ顔を上げていく。


 「三度みたび問う。何故顔を下げるのか、我らの祖国を護るのは我々軍人だ!我らは祖国を脅かす敵軍を排除し、胸を張り帰還するのだ!その為の退却だ!その為の一歩なのだ。」


 この時にはもう、兵士らの顔には「負け」という文字はなかったように思える。それほどのかわりようであった。


 最後にヘイトはこう締めくくる。


 「そして、諸兵各一人一人が戦友であり、英雄だ! さぁ、戦友英雄諸君...行くぞ!」


 「「おぉぉ!」 」

 

 敵軍には届かない迄も、最初の頃よりは打って変わって士気は向上する。





 ヘイトの隊はハウスヴェルト中佐の隊とそれほど距離が離れていなかったため、あまり時間をかけずに到着する。


 到着してすぐに、ハス曹長を伴い、ハウスヴェルト中佐が居る陣幕のもとに伺おうとすると、二人の護衛兵に睨まれるように止められ。


 「何者だ、」


 「リッケンハイム王国陸軍所属、ヘイト・バークマン少尉であります。そして、こちらが、ハス・ノーマン曹長であります。」


 と答える。それを聞いた二人の護衛兵は、表情を改め、また問う。


 「して、要件は。」


 「はっ! ハウスヴェルト中佐殿に意見具申に参りました。」


 「少し、待て」


 そう答えると、一人の護衛兵が陣幕に入り、数分後、戻ってくると。


 「ハウスヴェルト中佐殿が中でお待ちだ。」


 「ありがとうございます。」と言うと、二人は陣幕の中に入る。


 そこには、二人の尉官と一人の佐官がいた。二人の尉官の内、一人の尉官は、智に長け、俯瞰して物事を推し進めるといった印象を受け、もう一人は、智勇兼備の将と、いった印象をヘイトは感じた。


 佐官はもちろんハウスヴェルト中佐であった。ヘイトは中佐の印象はというと、他の人物にはないがあるのではないかと思わせる雰囲気を感じた。


 ヘイトとハス曹長は、佐官らに敬礼し、ヘイトが代表して言う。

 

 「ヘイト・バークマン少尉! 意見具申に参りました。」


 すると、ハウスヴェルト中佐らは答礼し、中佐は口を開く。


 「ハウスヴェルト中佐だ、して、その意見の内容は。」


 「はっ! 一旦、隊を整えロック中将閣下のもとへ向かい、退却し、陣を張り、自軍が有利となる場所で再度もう一度決戦してはいかがでしょう。」


 ハウスヴェルト中佐は頷きながらヘイトの話を聞き、ヘイトが話終わると、右隣にいた智に長け、俯瞰して物事を推し進めるとヘイトが感じた人物に問うた。


 「ロイ大尉、君の意見は、」


 「私自身も、ヘイト中尉の意見に賛同いたします。このまま、議論を繰り返していても、ただ時間を浪費するだけですので。」


 ハウスヴェルト中佐はその返答に頷き、続けて、左隣にいた智勇兼備の将とヘイトが感じた人物に問う。


 「アンダーヴァルト中尉、君の意見は。」

 

 「聞かずとも分かっているでしょうに、賛成ですよ。」


 「ならば、意見は合致した。な―」


 「ならば」と言おうとした瞬間、外が騒がしくなった。何が起きたのかを確認するたに、ハウスヴェルト中佐ら五人は、外に向かう。


 そこには、急いできたのだろう、息も絶え絶えの状態の兵士がいた。兵士は「伝令.....伝令...」と、緊張した声音で言葉を紡ぐ。


 「ロック中将閣下が.....戦死...致しました。」


 絶句。その一言で言い表せる状況であった。『敗北』。この事実を、兵士たちは忍耐力で士気を保っていた。だが、『戦死』の報を聞いた兵士はダムが決壊するかのように、忍耐力が水に流され、士気が地に堕ちていく。


 伝令は息を整え、次の言葉を紡ぐ。


 「そして、次席指揮官ノックス少将閣下が指揮を執っています。」


 そう言うと、伝令は懐から紙を取りだし、ハウスヴェルト中佐に渡す。


 「これは?」


 「ノックス少将閣下が、各隊に宛てた手紙です。」


 ハウスヴェルト中佐は手紙を一読すると。手紙を懐にしまい、皆の方に向かって指示を出す。


 「これより、南西の方角に位置する、カウストに退却する。各隊準備を整え、整い次第出発する。」


 この言葉を聞いた兵士らは、士気が低下していながらも、自身の職務を全うする。その甲斐もあってか、数刻もすると各隊は準備を整え終わっていた。


 そして、彼らはこの場を離れて、カウストに向かう。



 この退却をもってこの戦いはいったん終結する。


 後の世でこの地の名を取り「ラウラスの戦い」と呼ばれる戦いはリッケンハイム王国軍の敗北という形で幕を閉じる。

 

 

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後書き


 皆様、長文でしたが、観て頂きありがとうございます。

 少しでも、面白い。続きが気になると思って頂けたら幸いです。

 では、次は第二話でお会いしましょう。

by klema

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