第8話『翼先輩のいう事を俺は疑いませんよ』

高校も二年目となり、俺は野球部で思いもよらない人物と再会していた。


「お久しぶりです。とは言っても一年ぶりですけど」


「和樹? 倉敷に進学したと思ったけど、山海に来たのか!?」


「えぇ。倉敷に行ったんじゃ、大野先輩と決着がつけられないでしょう? ま。僕が来たからには地区予選だろうが、甲子園だろうが、優勝間違いなしですよ」


相変わらず自信満々な和樹に笑いながら、他の新入生とも挨拶をする。


思っていたよりも多くの人が入ってくれたようで、今年こそという気になる。


そして俺たちは夏の甲子園に向けて、日々猛練習を重ねるのだった。




そんなある日。


俺はいつもの様に保健室で筋トレをしながら、ベッドに座っている翼先輩と話をしていた。


そして、この日は珍しく翼先輩の方から、野球の話を振ってきて、俺は少し驚きながらもそれに返すのだった。


「そういえば、そろそろ甲子園の予選が始まるんじゃなかったかな」


「……っ、そうですね。再来週辺りから始まりますよ」


「大野少年が行った倉敷高校とはいつ当たるんだい?」


「勝ち続ければ、来月頃ですね」


「そうか。なら、提案なんだが、来月はウチで過ごさないか?」


「それじゃ俺試合出れませんよ。あ。もしかして負けるって思ってます?」


「いや、君は勝つさ。大野少年との試合まではね」


「……」


「でも、その試合だけは絶対に出ちゃいけない」


「理由を、聞いても良いですか?」


「言いたくない」


「翼先輩」


「分かった。白状するよ。実はその日がボクの命日になりそうでね。最期の瞬間くらい、君と過ごしたいんだ。駄目かい?」


俺は翼先輩を真っすぐに見ながら、何故翼先輩が嘘を吐くのか、そして何を隠しているのか考えた。


しかし、分からない。


俺は翼先輩では無いのだから、当然なのだが、それが悔しくもあった。


「翼先輩。それが本当なら俺も考えますけどね。出来れば、本当の事が知りたいです」


「どうしても、聞きたいのかい?」


「えぇ。翼先輩の事なら何でも知りたいです」


「ふ、ふふ。君は、本当に真っすぐだね。そんな目で見られたら、ボクは自分が情けなくて、泣きたくなるよ」


翼先輩は緩やかに首を振りながら涙を流す。


それはいつかの日と同じ様に、俺の心に火を灯す様な美しさがあった。


しかし、今それに見惚れている事は出来ないのだ。


「翼先輩。俺は知りたいんです。あなたを恐れさせている。それは何ですか?」


「……だ」


微かに、消えそうな声で呟いた声だったが、聞こえず、俺は再び言葉を発するまで待つ。


そして、その時はすぐに訪れた。


「君は、地区大会決勝の日に、し、死ぬんだ」


「……なるほど」


「あんまり驚かないんだね」


「いえ、驚いてはいますよ。どうやって知ったんだろうかとか」


「それは、その。ボクはさ。実はちょっと先の未来が見えるんだよ」


「そうだったんですね」


「随分とあっさり信じるじゃないか」


「翼先輩のいう事を俺は疑いませんよ」


「はぁ。君を見ていると、自分が酷く惨めで汚い人間に見えてくるよ」


「翼先輩は綺麗ですよ?」


「……全く泣きたくなるね」


「先輩?」


「まぁ良いよ。ところでさ。君はずいぶんと落ち着いてるね。怖くないのかい?」


「俺はずっと覚悟をしていましたからね」


「自分が死ぬのを、かい?」


「違いますよ。いつ、あなたを、失うだろうか。と、ずっと考えていました」


俺は静まり返った保健室で、確かに聞こえる様に翼先輩へ告げた。


俺がずっと感じていた恐怖を。


でも、多分それは翼先輩も同じだったのだろう。


きっとずっと、知っていたのだ。俺の死を。


「そうか。君とボクは同じ気持ちを抱えていたんだね。でも、それなら分かるだろう? ボクは何をしてでも君に生きていて欲しいんだ。そして、出来るなら、最後までボクと一緒にいて欲しい」


「翼先輩、俺は……逃げませんよ」


「……っ、光佑君!! 分かってくれよ! ボクは、君に、生きていて欲しいんだ。世界を救う為の生贄なんかになって欲しくないんだ!!」


「分かってますよ。分かっているから立ち向かうんです」


「分からない。分からないよ」


先輩は顔を手で覆いながら涙を流してしまう。


俺は先輩を泣かしておきたくなくて、顔を覆っているその手を握り、精一杯の励ましを心に込めて笑う。


しかし、そんな俺を見ても、先輩は涙を流すだけだった。


「先輩、俺はね。先輩にも生きていて欲しいんですよ。いつまでも、ずっと」


「でも、ボクの体はもう駄目なんだ。それに家族にだって迷惑がかかる」


「なら俺が先輩のお世話をしますよ。させてください!」


「そんな事出来ないよ。君には君の未来があるじゃないか。ボクはもう良いんだよ。たまに、思い出してくれればそれで……」


「本当に良いんですか?」


「っ」


「たまに思い出せばそれで良いんですか? 先輩の居ない場所で、俺が知らない誰かと笑って過ごしていても、先輩はそれで満足なんですか!?」


「……だよ」


先輩の中でずっと我慢していた感情が少しずつ零れてくる。


まるで氷が解ける様に。ゆっくりと。


「いや、だよ。やだ。ボクをずっと覚えていてよ。ボクの事だけを思っていてよ。ボクの居ない世界で……」


「翼先輩」


俺は翼先輩を抱きしめながら、安心させる様にその背中を軽く叩く。


そして先輩の慟哭を受け止めた。


「生きましょう。翼先輩。汚くても良い。苦しい事は分け合って、嬉しい事は分かち合って一緒に居ましょうよ。俺はどこまでだって共に先輩と歩みたいんです」


「……うん」


「だから先輩、見ててください。俺は先輩に届けますから。例え何処に居ても。必ず。この想いを」


「うん。うん!」


涙をボロボロと流しながら、頷く翼先輩に俺は安心して、息を吐いた。


そして心を決めた。


先輩に生きていて貰う為に、例え何があろうと生き残る。


その上で、先輩の病気が治るまで戦い続ける。ただそれだけだ。


だから、まずは希望を示す。




俺は先輩と話した日から今まで以上に体を鍛え、より勝利を確実なものにしていった。


先輩は体を治す為に、病院に入院する事になった。


そして病室に置いてある少し大きなテレビを嬉しそうに指さして、これで君の活躍が見られるね。と笑っていた。


この光を絶やさぬ様に、俺は戦い続ける。


一回戦、二回戦と勝ちを重ね、その度に先輩の所へと報告に行く。


先輩は俺が行くたびに、「見ていたよ」とか。「今回も格好良かったね」等の言葉をかけてくれ、その度に俺は温かい気持ちが胸の奥に広がっていくのを感じた。


それから互いに何でもない事を話して、面会時間のギリギリまで病室で翼先輩と過ごした。


特別な事は無いけれど、それでも満たされた日々だった。


そして、遂に迎えた決勝の日。


俺は試合の前に、病院へ来ていた。


この日が近づくたびに、翼先輩はずっと不安そうにしていたから、安心させる為に来たのだ。


しかし、互いにあの事には触れずにとりとめもない話をしていた。


触れてしまえば張り詰めた何かが壊れてしまいそうな気がしたからだ。


だが、時間はどんな風に過ごしていても、平等に過ぎてしまう。


やがて、俺は出かけなくてはいけない時間になってしまった。


「翼先輩。俺、そろそろ行きますね」


「……うん」


「また試合が終わったら来ますから」


「……うん」


「じゃあ」


「ねぇ」


「……はい」


「試合になんて行かないで、ここに居てって言ったら、君は頷いてくれるかい?」


「翼先輩。ごめんなさい。それは出来ないんです」


「どうしても?」


「はい。だって、もうこの試合は俺だけのものじゃない。チームメイトのみんなも、家族も、晄弘だって、待ち望んでいた物なんです。逃げる訳にはいかない」


「……分かったよ。じゃあ試合が終わったら、一緒に」


「はい。では行ってきます」


「うん。またね」


俺は先輩に頭を下げて、病院を出た。


既に和樹たちはバスで試合会場に向かったみたいで、俺も今向かっているとメッセージを送っておいた。


この病院は偶然にも試合会場から近く、ここから走っていけるのだ。


時間はまだ余裕があるが、ウォーミングアップも兼ねて、走りながら向かう事にした。


桜の並木道を走りながら、これから始まる晄弘との試合に気持ちを集中させてゆく。


そんな張り詰めた空気を纏いながら走っていた俺は、道の先の交差点で待っている二人の女の子に何となく気が付いて、その姿が気になった。


何故かはわからない。ただ、酷く心に引っかかったのだ。


そして、その理由はすぐに分かった。


女の子たちの死角からやけに速度の速い車が突っ込んでくるのが見えたからだ。


「危ない!!!」


俺は声を出しながら全力で走る。


女の子たちは俺の声に気づき、すぐ車の存在に気付いたが、驚き硬直しているのか動く事が出来ていない様だった。


このままでは轢かれてしまう。


俺はそう考えて、二人を抱きしめ、車に背を向けた。


直後、背中に強い衝撃を受けた俺は空に投げ出されていた。


激しい痛みと、意識を失いそうな衝撃。


そんな中でも腕の中に居る二人だけは絶対に離さないと抱きしめ、体を強く地面に打ち付けながら地面の上を転がってゆく。


途中までは意識を保っていた俺だったが、勢いよく転がっていた体が何かにぶつかった衝撃で、意識が遠くなり、そのまま意識を失った。


「いか、なきゃ」


試合会場はまだ遠く。


どれだけ手を伸ばそうとも、未だ届かぬ場所にあった。

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