喫茶「非日常」
水月 梨沙
「非日常」への案内
たまらなく疲れていた俺の目に飛び込んできた、小さな店の看板。
『喫茶「非日常」』
日常に嫌気がさして自暴自棄になってる俺には、なんとも似合いの店名だ。
折しも喉が渇いているし、何気なく入ってみる事にする。
「いらっしゃいませ」
奥にいた中性的な顔立ちの店員が、声を掛けながら顔を上げて俺の方を見た。
「新規のお客様ですね、初めまして。この店は――」
「お客さん? メイが接客しても良い?」
店員の声を遮ったのは、店内にいた小さな女の子だ。
「すみません。まだ新人なので、お客様のお相手は任せられないと言っているのですが……」
「いや、構わないですよ」
中学生ぐらいに見えるが、どうやらあの子も店員らしい。
どうせコーヒーを一つ注文するぐらいなんだ、誰が相手でも関係ないだろう。そう思った俺に新人店員は、ニコニコしながらメニュー表を渡してきた。
「はいっ、どうぞ! 迷ったらメイがダイスで決めてあげても良いからね!」
ダイス?
不思議に思いつつもメニューを開くと、そこには飲み物の名前も食べ物の名前も書いていなかった。
「なんだこりゃ」
前菜、メインディツシュ、デザート……の代わりに、そこに並べられていたのは人間の情報だった。
性別、年齢、職業。その他にも台詞サンプルとして様々な言葉が列挙されている。
『わしに任せれば万事解決じゃ。心配するでない』
『オレは、お前の事……。いや、なんでもねぇよ!』
『アタシにだって、恥じらいはあるのよ? なーんて、本気にした?』
『我輩の言い付けが守れんならば仕置きが必要だな』
『ふふっ、お姉さんが助けてあげる』
ザッと流し見してみたが老若男女、様々なサンプルが書いてある。
ページを捲ると今度は『ファンタジー』『学校』『病院』という大きな項目。場所の一覧……だろうか。
「あのね、ここは色んなシチュエーションで日常を忘れるお店なんだよ」
「コンカフェみたいな?」
「こん……? うん、お狐様もいるよ!」
なるほど、普通の喫茶店では無かったという事か。
「お客さんは初めてだから、お試しコースが使えるし……だから、メイのダイスで決めない?」
そう言って彼女は巾着袋を取り出し、そこから沢山のサイコロを並べだした。俺の知っている6面のもの以外にも3面から多面サイコロまで、色も数字も実に種類が多い。
「ダイス、振りたいな~。メイのダイス~♪」
つまり、この子がサイコロで遊びたいというだけか。
「いいよ、好きにしても」
「えっ、本当に?」
別に子どもの遊びに付き合う趣味は無いが、断る気力も無いし適当にあしらう方が早いだろう。
そう判断した俺が頷くと、キラキラと瞳を輝かせながら女の子は奥の店員を見る。
店員の「よろしいのでしょうか?」という問いに苦笑いしつつ了承の意を伝えると、丁寧に頭を下げられた。
「それじゃ、いくね。せーのっ!」
色とりどりのダイスが宙を舞い、カランカランと音を立ててテーブルに転がる。その結果をメモした女の子は、書いた紙を店員に渡しに行った。
「かしこまりました。少々お待ち下さい」
店員が奥へと消える。……もしかして、あっちが厨房なのだろうか。そう考えると、今ので何らかのメニューが決まったのかもしれない。
「お試しコースは500円だけど、中身は普通のとおんなじだから楽しんでね!」
コーヒーにクッキーのセットだったとしても500円なら安い。それなら良いか、と思った俺に「こちらへどうぞ」と、店員から声が掛かった。
言われるままに向かうと、そこには一つの扉がある。
「あの……?」
「この中が、先程の結果の世界となっております。どうぞ気を楽にして、お楽しみ下さい」
「は、はぁ……」
そういえばコンカフェなんだったか。部屋ごとにコンセプトの違う内装、という感じなのか?
ぼんやりとそんな風に思いながら扉を開ける。
中に入ると、思いがけない広さの空間にテーブルとイスが二つ。片方には高校生ぐらいの女の子が座っていた。
先客はテーブルに置かれたティーセットから俺の方に目を向けると、
「ごきげんよう、お姉様」
と微笑む。
……お姉様?
俺の後ろにも客がいたのかと振り返ったが、そこには誰もいない。
それどころか、たった今『俺が通って来た扉』すらも無かった。
ギョッとして辺りを見回していると、先客がまた口を開く。
「どうされましたか?」
「いや、ここにドアが……」
言い掛けた俺は、自分の声に驚いて途中で言葉を失った。
いつもの俺の声じゃ無い。
聞き慣れない、女性の声がする。
「お姉様……?」
心配そうに俺へと近寄る先客が、こちらを見上げた。
何故だか分からない。しかしこの女の子は『俺の事をお姉様と呼んでいる』。
「あの、すいません」
違和感しか無い女性の声で、俺は質問した。
「俺が……お姉様って、どういう事ですか?」
「え……?」
そんなに怪訝そうにされても、俺の方が困惑してるんだから無駄だぞ。
黙って答えを待っていると、先客は言った。
「姉妹の契りを交わしたあの日から、わたくしはお姉様の妹ですわ。お忘れになりましたの?」
「いや忘れるというより……」
ツッコミを入れようとした俺が言葉を止めたのは、目の前の女の子が悲しそうに瞳へと涙を浮かべたからだ。
よく分からないなりにも、彼女は本気で俺を『お姉様』だと思っているらしい事だけは伝わって来る。
「ご、ごめんね? えっと……そう、俺、ちょっと記憶が無くて……」
しどろもどろに伝えると、女の子は驚きの表情を浮かべたが「そんな……お姉様、おいたわしい……」と、俺の手を取った。
そこで初めて気付いたが、これは俺の服じゃ無い。というか、そもそも俺の体もいつもと違う。声だけでは無くて指先に至るまで、まるで別人だ。
「ん?」
別人……?
その時、喫茶店の看板に「非日常」と書かれていた事やメニュー表の不可解な事柄、そして『ここは色んなシチュエーションで日常を忘れるお店』という言葉を思い出した。
まさかとは思うが、ここは相手だけでは無くて『自分も日常から離れる場所』なのか……?
そして本来はメニューを見ながら自由に決められる設定を、俺は新人店員のサイコロに委ねてしまった。その結果が、この『お姉様』という訳だ。
「こんな育ちの良さそうな妹とか、確かに『非日常』だな……」
仕組みが謎ではあるものの、どうせ俺の日常なんてロクでもないんだ。それなら試しに『妹』とティータイムを楽しんでみても良いのかもしれない。
そう考えた俺は、目の前の相手にぎこちないながらも笑顔を見せたのだった。
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