その3   あなたの知らない海の世界

 無礼な青魚系魚人・イワシャールに一撃お見舞いしたその後。


「ったくよー。くるんならピンポン押して玄関から来いってんだよなあ、まったく」


 俺はぶつぶつ言いながら、とりあえず割れた窓にダンボールを貼っつけておいた。それにしてもイワシャールのヤツ、あのバランスの悪い身体でどうやって二階まで登ってきたのだろう。

 窓の応急処置を終えると、ナーちゃんを風呂場に連れて行った。

 カフェオレソーダの海から水揚げされた彼女は可哀相なことになっていたからだ。

 後ろ向きにぺったと座らせてから、ぬるめのシャワーをかけてやった。

 目の前にいるのは、一糸まとわぬ姿の女の子。

 それが人魚だとはいえエロいったらないのだが、そうも言ってられない。変な汚染物質なんかにやられたら大変じゃないか。俺は自分で自分に「お前は今、環境保護団体の一員なんだ。これは自然保護で、重油の海から鳥を助けているのと同じなんだ」と、言い聞かせた。

 しばらく「じゃーっ」とやっていると、それまでじっとしていたナーちゃんが不意にこっちを向いた。

 ……何だか悲しそうな瞳、表情。

 俺は咄嗟に思った。 

 いくら口の利き方を知らないバカイワシとはいえ、彼女にとってはさぞかし大切なお知り合いだったに違いない。そいつを(有無を言わせた挙げ句)ぶっ飛ばしてしまったのだから、きっと悲しく思っているのだろう。人魚は心優しいって言うし。

 ごめん。

 渾身の蹴りを入れることはなかった。――せめて、グーで殴っておくんだった。

 心の中で謝った、その時。

 がばっ

 ナーちゃんが俺の首にしっかりと抱きついてきた!

 思わずフリーズしてしまった俺。

 びっくりして落としたシャワーのヘッドがひっくり返り、俺達にぬるーいお湯をぶっ掛けまくっている。服を着たままずぶ濡れになっていたが、それどころではない。

 首に腕を回したまま、俺の額に自分のそれをゆっくりと押し当ててきたナーちゃん。

 そのままキ――かと一瞬思ったが、違った。


『――達郎さま。私の声が聞こえていらっしゃいますか?』

「……!?」


 びびった。

 俺の頭の中に、彼女の透き通った美しい声がダイレクトに飛び込んできたのだ。

 これは一体どおいうこと!? てれぱしーってヤツ?

 わけがわからず混乱していると


『ふふ。びっくりさせてしまってごめんなさい。人魚族は額と額をあわせることで人間の方とお話しができるのです。――私に向かって、頭の中で話しかけるようにしてみてくださいな』


 頭の中で話しかける?

 よ、よーし……


『……あ、あ。こちら、海藤達郎。聞こえますか、どうぞ』


 ――我ながら、頭の悪い発言だ。

 が、ナーちゃんはくすりと笑って


『ええ、ちゃんと聞こえていますよ? あらためまして、私はブルーフィッシュ共和国のナタルシアと申します。よろしくお願いしますね、達郎さま』


 自己紹介してくれた。


『はあ……こちらこそ』

『さっき、私の側近のイワシャールがご無礼なことを申し上げたのでしょう? すごくお怒りのようだったので、とても気になっていたのです。申し訳ありません。私からお詫びいたします』

『……』


 思わず「まったくです。どういう教育をしているんだ!」とか言ってしまうところだった。

 しかしそうだったのか。

 それでナーちゃん、暗い顔をしていたのか。

 いえいえ、悪いのはあなたじゃありませんよ。全部あのブサイクイワシのせいですから。


『ところで……』


 彼女と会話する術を得た俺。質問が山ほどある。


『ブルーフィッシュ共和国の危機って、何? ぶっちゃけ、海の世界ってどうなっているの?』


 そう訊いてみると、ナーちゃんはまた悲しそうな顔をした。


『人間の方たちはご存知ないと思いますが、海の世界にはいくつかの勢力があります。平和を望む者達がいる一方で、他の勢力をやっつけて自分達が海の世界を支配しようと企んでいる勢力もあるのです』


 海底世界は今が戦国時代なのか?

 いや、帝国主義とでもいうべきか。


『私達ブルーフィッシュ共和国は、か弱い魚達の集まりです。もし今、他の勢力に攻められたならば、あっという間に滅ぼされてしまうでしょう』


 そうでしょうね。

 イワシにサバにアジ、それにサンマとニシン。

 俺が知っているのはその程度だが、いずれも食物連鎖の底辺にいる魚ばっかりだ。


『私達や他の平和を望む者達は、海の世界だけでどうにか解決しようと努力してきました。でも最近、海の世界を支配しようとして、一部の人間と結託した勢力があることがわかりました。海の世界の者達にとって、人間の方の力は絶対的なものなのです。こうなってはもう、一刻の猶予もなりません。私達もまた、人間の方達の協力を得なければ、ブルーフィッシュ共和国はもちろん、海の世界は……』


 で、なんとかして人間の世界に来ようとしたところを俺が釣り上げてしまった、と。

 なんか、海の中も大変そう。

 権力欲にとりつかれるヤツってのは、何も人間だけじゃないんだなぁ。

 ご同情申し上げま――ん?

 ちょっと待て。


『その……人間である俺に、海の平和を守るために手を貸せ、と?』

『もちろん、お礼をしなくてはいけないのはわかっています。でも、私にできることといったら何もないのです。ですから、その、イワシャールも申し上げたと思いますが』


 急に恥じらいながら


『私自身でよろしければ……』


 おーい。

 いきなり身売りですか。

 人魚、心が広すぎ!

 もっと自分というものを大切にしてみないかー?


『あ、あのね……お礼とかどうとかこうとかいう以前に、人間ってこの世界に六十億人もいるんだよ? 俺のような非力な一市民に助けを求めたところで、海の世界に平和は永久に――』

『……私では、ご不足でしょうか?』


 きーっ!

 俺の話を聞け!

 ってか、空気読めよ!


『あのね、不足とか満足とかそういうハナシじゃなくってぇ、お礼するものがないから自分を差し出すとか、そおいうのはいかがなものかと……』

『お礼というだけのお話ではありません。――人魚族には掟があるのです。人間の男性に出会い、もしその方に心惹かれたならば、その方を夫として選びなさいと……』


 百歩譲って心惹かれるのはいいけどね。

 その男が生活力ゼロだったらどーする気だ? 夫婦揃って内職でもするのかよ。 

 人魚族の掟とやら、ずいぶんアバウト過ぎねぇ?


『でも……』


 ナーちゃんはにこっと無邪気そうに微笑んだ。


『私、達郎さまとならば喜んで掟に従います。こんなにも優しくて、勇気のある人間の方なのですもの……』


 えーと。

 詳しく具体的に伺いたい。

 このごく一般的な男子高校生である俺のどこをみて「優しくて勇気があるからダンナにしたい」とか思ったの?

 あなたを釣り上げてから経過した時間、一時間十六分と四十二秒。

 ぶっちゃけ、結婚決めるの早すぎじゃね?

 ってか、無理矢理自分で自分を納得させようとしていませんか、アナタ? まだ独り身を焦らなくちゃいけない歳でもないでしょーに(多分)。


『あのあのあの、なんで俺が優しいと……?』

『それはですね――』


 彼女が言うのを聞いて、そういえばと思い出した。

 岸壁でナーちゃんを釣り上げてしまった俺は釣り針を外してやると


「ごめんな、釣ってしまって。もう大丈夫だから、海へお帰り」


 そう、促した。

 キャッチアンドリリース。

 が、ナーちゃんはじっと俺を見つめたまま、海に帰ろうとはしなかったのだ。

 さすがに、あのひどくこ汚い海に飛び込む勇気はなかったかもしれないが――。


『達郎さまは、人魚の私にとても優しい目をしてくださいました。あの時思ったのです。私が長くお傍においていただくのは、この方の他にはいないと……』


 ナーちゃんはそっと俺にもたれかかってきた。

 どうやら俺、目で人魚を殺してしまったらしい。全くの事故ですけどね。すぐそこにケガしたかわいい女の子がいたら優しい目をするだろーがよ、普通。

 どうりで海に帰っていかないワケだよ。

 ――これは参った。

 どうすりゃいいんだよ。

 脱衣場でナーちゃんに俺のTシャツを着せてやりながら、途方に暮れる思いだった。

 同級生の春香ちゃんと大分いいところまできているっていうのに。あとはタイミングをみて告るだけなんだ。絶対彼女は「うん」と言ってくれるはず。

 けど、こんなザマを見られたら――何もかもぶち壊しだ。

 人魚なんか釣ってしまった俺にも責任があるんだろうけど。

 でも、今のナーちゃんに向かって「ダメ、ゴメン」とは口が裂けても言えない……。

 



 すっかりキレイになったナーちゃんを抱えて居間に戻った俺を、また新たな事態が待ち受けていた。


「あー腹減った。今日の晩メシはな――お、親父!?」

「たっ、たたたたたたたたたたた達郎! こっ、これ、これ! 何とかしなさい!」


 親父、腰が抜けるの本日二度目。

 部屋の隅に追い詰められ、なぜか鯛に取り囲まれているという不思議な光景。

 そう――鯛。

 鯛、鯛、鯛、鯛。

 もちろん、タダの鯛ではない。

 イワシャールのように、両腕、両脚を完備した奴らである。

 とはいえ、さすがは鯛。イワシよりもガタイがいい……って、決して駄洒落ではない。重量感のある肉厚ボディに、隆々とした筋肉のついた腕や脚。なぜそこだけがマッチョなのかは謎である。

 厄介なのは、奴らが手にしている得物。

 例の「聖なるポセイドンのヤリ」などというオモチャの類ではない。刃が「うにーっ」っと反り返っているばかでかい刀だった。青竜刀とかいう武器に近いかも知れない。

 救いなのはそのどれも「さっき沈没船から持ってきました」的に錆びまくっていて切れ味感ゼロなことだが――それでも、あれで「ガン」とかやられたら、病院送りは間違いないだろう。

 親父――海藤舟一、四十四歳――を包んでいたマッチョ鯛の連中は、入ってきた俺達に気がついた。


「おい、あれ……ナタルシアじゃねぇか?」

「うおっ! 間違いねぇ!」


 俺に「お姫様だっこ」されているナーちゃんは怯えた表情で


『……あの者達はレッドバックという勢力の一味です! 私を捕まえにきたのですわ』


 心持ち、俺の首に回されている腕に力がこもった。

 なるほど、レッドバックね。

 確かに奴ら、背中が「赤い」魚だ。

 すると、仲間は金目とかメバルの類か? キロあたりの卸値が跳ね上がったよ。エビとかカニとかタコの連中はどうなんだろう。

 それはともかく、対立勢力の襲撃だ。

 ナーちゃん、まさに大ピンチ! ついでに俺も大ピンチ!

 とそこへ、キッチンで夕食の用意をしていた幸子がやってきて 


「あら、達郎。この方達もあなたのお友達かしら? お父さんと仲良くお話したいみたいなんだけど……」


 ――待てぃ。

 これのどこが「仲良く」だ!?

 アブナイ得物を突きつけられているのが見えないのか?

 ってか、それより幸子!

 あんたの亭主、大ピンチなんだぞ! 鼻歌うたいながら料理なんかしてないで、助けてやんなさいよ! 聖剣・出刃包丁の一本くらいあるでしょーに! おかずを一品増やせるんだぞ!

 が、幸子は俺達に向かって


「急だけど、今晩はすき焼きにしちゃった。達郎の大事な人もお見えになっていることだしね。たくさん食べてもらってね」


 嬉しそうにキッチンへ戻って行ってしまった。

 はい、そこ!

 カン違いしっぱなしですから!

 大体、人魚がすき焼きなんか食うかよ! いい加減に気がつきなさいよ!

 ――とかツッこんでいる場合ではない。

 マッチョ鯛の一味はさっと素早く横一列に展開しつつびしっ! とポーズをキめ


「我々は武術に優れた鯛で組織された『THE・武・鯛』だ」


 左から二番目の鯛野郎が得意そうに説明した。

 部隊のもじりかよ。マジ笑えねぇ……。

 そもそも「THE」って冠詞がついている意味は? ネーミングしたのはどこのどいつだ? 俺には「鯛戦隊マッチョフォー」にしか見えないんですけど……。

 ツッコんでる場合じゃないのにツッコミどころが多すぎて対応しきれない。


「そこのヘッポコ人間! ケガをしたくなければ、大人しくナタルシアをこっちに渡してもらおう!」 

「うおーっ!」

「うおうおーっ!」


 意味不明(恐らく魚→うおーだろうが)の奇声を発するなり、マッチョフォーはいきなりこっちに向かって跳ねてきた。

 活きがいいねぇ――とかボケている余裕はない。

 咄嗟にナーちゃんを庇おうとした俺。

 彼女は俺の体にきゅーっとしがみついている。

 その時だった。

 サッと俺の目の前を過ぎった影がある。

 あっと思う間もなかった。

 カン! キン! カカカン!

 得物同士のぶつかり合う音が響いたかと思いきや


「……う、おっ」


 一呼吸ののち、踊りかかってきたマッチョフォー達は、次々と床に倒れ伏した。


「……?」


 俺達とマッチョフォー達との間合いに、誰かいる。

 どうやら、この人がマッチョフォーから俺達を守ってくれたらしい。

 いつの間にやってきたのだろうかと思っていると


「……はじめまして、勇気ある人間の方」


 ふわさっ、と青色に輝く美しい髪がなびき、その人が振り向いた。

 完璧に整っていてクールながらも柔和な印象を与える顔立ち。切れ長ではあるがその青い目が限りなく優しい。すらりとして美しい体型。胸と腰下だけを、これまた装飾がついたブルーのコスチュームで包んでいてセクシー。――こういうキャラ、オンラインRPGにいるかも知れない。

 彼女は両手にクリアブルーの拳銃を握っている。美人二丁拳銃使いですか!

 見事なクイックドロウをキメつつそれを太ももにつけたガンホルダーに納めると、


「私はブルーフィッシュ共和国護衛隊長の葵と申します。ナタルシアがお世話になります」


 名乗りながら俺ににっこりと微笑みかけてきた。

 あれ?

 あのバカイワシも確か「護衛隊長」とか名乗ってなかったか?

 まあいいだろう。どっちがモノホンの隊長さんかは一目瞭然というものである。

 葵さんを一目見たナーちゃんはパッと破顔一笑、嬉しそうな顔になった。

 が、葵さんはふうっと大きく一つため息をつき


「まったく、姫様ときたら」


 仕方なさそうな笑みを浮かべた。


「人間世界へ出るなら出ると、一言教えてくださればいいものを。レッドバックの連中や海獣組の者達に捕まったらどうするのですか? たまたま、こうして心優しい人間の方に出会えたから良かったですが」


 たしなめられ、ごめんなさい、というようにしゅんとしているナーちゃん。

 

「あ、あのさ。涙の再会を果たしているところ、誠に申し訳ないのだが」

「はい。どうなさいましたか?」

「……まずは俺にメシを食わせてくれ」


 俺の腹が、海鳴りのように鳴っている。

 鯛を見て鯛茶(鯛の漬けを乗せたお茶漬けのことであるが)を想像してしまい、一気に空腹感が増長されたためであることは言うまでもない。

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