やっぱ海でしょ!

神崎 創

その1   今日の釣果

「あー、ちっとも釣れねぇなぁ。そろそろ、帰ろうかなぁ……」


 欠伸をかみ殺しながら、ぼやいた俺。

 岸壁から海に向かって伸びた釣竿はここ七時間ばかり、ぴくりとも動いていない。

 いや、動いてはいる。

 とはいっても、打ち寄せる波のせいなのだが……。

 気付けば時刻はもう、夕方。

 やる気をなくした太陽が、すでに水平線の向こうにとんずらしようとしている。

 さっきまで隣で一緒に釣っていた見知らぬおっさんも


「にーちゃん、まだ頑張るのかい? だったら、ポイント変えた方がいいよー」


 とか言い残して去っていった。

 一時間くらい前のことだっただろうか。よく覚えていない。眠かったから。

 このおっさんも俺が見ている限り、一回も当たりはなかったようだ。

 要するに、この埠頭は――ぜんぜん釣れない。

 まあ、俺が魚だったら、間違いなくこんな港には近寄りたくない。

 空き缶やらビニール袋やら木材やら、とにかくゴミというゴミが浮遊しまくっているのは百歩譲るとしても、水の色が明らかにおかしい。

 ウーロン茶、いや、カフェオレみたいな色あい。

 もちろん透明度ゼロ。

 この海は炭酸かとツッコミたくなる量の泡。

 つまり、足を滑らせれば「カフェオレソーダ」の海を泳ぐ羽目になる。無難に即死だな。

 ぐいっと振り返れば、対岸には赤と白が交互に塗られた煙突がタケノコのように何本も生えまくっていて、空に向かって煙を吐き出している。煙突の足元には、変なパイプが絡みついた建物が多数。

 まあ、見るからに工場地帯だ。

 あからさまにやっているようには見えないけど、多分それらが排水を見えないところで垂れ流しているのだろう。そうでもなければ、海がこんなにこ汚くなる筈がないじゃないか。よくまあ、環境保護団体とか政治家が何も言わないものだ。

 そういうところで朝から晩まで釣りをしている俺も俺だけどね。

 そりゃ電車とかに乗って遠くへ行けば、清流とか沖釣りとか、できる場所はたくさんある。

 あるんだけどね。

 ……そこまでしてやりたくない。

 正直、気分転換程度で良いんだよね。

 大物を釣り上げてやろうとかいう野心もないし。

 それに釣って帰ったところで、うちの親父も母親も残念ながら魚を捌くというスキルは持ち合わせていない。だから「なんたらの開き」とかいう商品以外の魚がうちの敷居をまたいだことはなかった。

 ともかくも、限界。

 俺は帰ることにした。

 五本出していた釣竿を一本一本片付けていき、最後の一本を引き上げようとしてリールを巻きにかかった時だった。


「……あ、あれ?」


 重い。

 竿の先がぐーっとしなっている。

 何かに引っ掛けたのだろうと思った。

 こういう埠頭で釣っていれば、引っ掛けることは普通にある。ゴミとか、海底の海草とか。

 ところが。

 糸が右へ左へと動いているじゃないですか!

 明らかに、何か「生き物」がかかっている感触がある。


「お、お、お……? もしかして、これは……?」


 最後の最後で当たったかと、俺は期待に胸を躍らせた。

 こうなりゃ、何が何でも釣ってやるしかない!

 バラしてたまるものか!

 俺が気合いを入れて巻けば巻くほど、抵抗が強くなっていくのがわかった。

 竿がもう、折れんばかりにU字に曲がっている。

 でも、心配はない。

 こういうこともあろうかと思って、最新の素材で出来た高い竿を買っていたのだ! ……いや、嘘です。友達のお父さんからもらいました。

 暗い岸壁で格闘すること数分。

 ようやく獲物を海面近くまで引き摺り上げたことに成功した俺。

 もはや、引きは弱くなっていた。


「よっしゃあ! もうちょい!」


 自分で自分を褒め称えつつ、最後の巻きにかかった。

 どんな獲物だろう?

 巻くスピードをゆーっくりと遅めながら、俺は海面を注視した。

 釣果はもう、ほとんどそこまで上がってきている。


「……いよっ!」


 気合をかけて引っ張った。

 ざぱっ

 獲物が海面から姿を見せた。


「……あれ?」


 目に飛び込んできたそれを見た瞬間、俺は勝利の喜びを忘れ、しばし呆然としていた。




「――たたたたたたた、た、達郎っ! そ、そ、そ、それ……」


 玄関先で、親父が腰を抜かしてひっくり返っている。

 口がぱくぱくしている。次の言葉が出てこないらしい。

 初めてみる親父のコケぶりが面白くはあるが、笑うに笑えない。

 その後ろから


「あら、達郎おかえりなさい。――まぁ、お友達? あらあら、連れてくるんなら連絡くれればよかったのに。夕飯の用意がねぇ」


 俺の母親登場。

 ――ちっとも驚いてねぇ。

 電波時計みたいに細かい性格の親父とは正反対の母親。一言で表現すればドのつく天然なんだな。

 仮に俺が幽霊とか妖怪を連れて帰ったところで、まったく同じリアクションをしただろう。


「たっ、ただい、ま……」


 ちょっとばつが悪そうに言った俺。

 それには理由がある。


「それにしても、綺麗なコねぇ。達郎のお友達にしては、ちょっともったいないみたい。……お名前は、何ていうの?」


 母親――ああ、幸子というのだが、幸子が傍まで近寄ってきてそんなことを言った。

 ほっとけ。

 余計なお世話だ。


「あのー、クラスメイトとか友達じゃないんだよね。――見て、わかんないかな?」


 わかるだろ、フツー!

 脳みそのネジが何本足りないんだか、うちの母親は。

 ――そう。

 誰だって、一目見りゃわかるだろう。

 現に、親父は一発で吹っ飛んだ。

 本日の、俺の釣果。

 今まさしく、両手に抱えている。

 ってか、正確には「お姫様だっこ」。

 間違いなく、大物であることに変わりはないのだが――大物というよりも変物だな。

 長く伸びた美しい髪。

 大きく済んだ瞳に小さくて形のよい、整った顔立ち。

 白く透き通った肌、スレンダーで色っぽさ全開のボディ。

 ――ただし、腰から先は七色に光る綺麗な鱗に覆われていて、先の方では半透明の大きなひれが「ぴちぴち、ぴちぴち」と跳ねていたりする。

 確か、人魚、とか言わなかったっけ? こういうの。

 なんとか童話に出てくるヤツ?

 その昔、幸子が寝る前に読んでくれたような記憶がある。俺が寝付く前に自分が寝てましたけどね、この母親は。

 人魚のコはちょっと怯えたような表情で、突然目の前に現れた俺の両親を見ている。まあ、人間界にもこんな変な生き物がいるんですよ。彼女に同情しつつ説明してやりたくなった。

 俺は幼稚園児でもわかるような質問を発したつもりだったが、幸子の頭上には明らかに「?」が点滅しており


「……なぁに? お友達じゃないの? そしたら……」


 困った顔で考え込みやがった。

 考えるところですか、そこ!

 が、彼女は数秒後、急にパッと明るい顔になり


「あらぁ、達郎ったら、イヤだわぁ。いつの間に、こんな素敵な女の子をつかまえちゃって。そうならそうと、お母さんにこっそり教えてくれればいいのに。向こうのご両親にも、きちんとご挨拶は済んだの?」


 恥かしそうにしてやがる。


「……はい?」


 何を勝手な妄想して独りで盛り上がっているんだ、この幸子は。

 そりゃあ、捕まえましたよ、ついさっき。

 だから、彼女のご両親にはまだ……って、そうじゃない!


「だーかーらー! 見てわかるでしょーに! 人魚なの、に、ん、ぎょ! お友達以上でも恋人未満でもないんだっつーの!」


 幸子のバカさ加減につい、イラっときた俺。

 叫んでしまった。

 すると!

 幸子よりも人魚の彼女がびっくりしたらしい。びくっと震えてから怯えた瞳で俺の方をじっと見つめ始めた。

 こうして明かりの下でよくよく見れば、すっごい美人。

 年の頃は俺とそんなに変わらないだろうか。――ってか、人魚の歳なんてわかりませんけどね。

 怯えた表情が、なんとも可愛い。

 人間と人魚の関係を飛び越えてつい、憐憫の情を覚えてしまったよ。


「あ……ごめん、何でもないから」


 つい謝っていた。

 言葉が通じたのかどうか、彼女はきょとんとしてから表情を緩めてくれた。


「とっ、とにかく!」


 この腰抜け親父と天然幸子を相手に玄関先で激論をかましても始まらない。俺はそう思い


「風呂沸かしてくれ、風呂! 話はあと、あと!」


 不倫していて堂々と自宅に帰ってきた夫のような台詞を吐きつつ、俺はどかどかと二階に上がっていった。

 そんな俺を下から親父が呆然と、幸子がにこにこしながら見送ってやがる。


「あのコもそういう歳になったのねぇ。大きくなったわぁ」


 妙な感心をしている幸子の声が聞こえてきた。

 ――やかましいわ。




 自分の部屋に戻った俺。

 まずは人魚のコをゆっくりと床の上に下ろしてやった。

 彼女は辺りを見回すでもなく、じっと俺の方ばかり見ている。

 そんなに穴が開くほど見るなよ。

 取って食ったりしないよ。増して襲ったり――しても仕方がないのか? この場合。

 それはともかく。

 海から釣ったとはいえ、半分は人間の形をしているのだ。

 人間的なおもてなしをしておくのが人道的な判断というものだろう。細かい話はあとからだ。

 カフェオレソーダの海から水揚げされた彼女、体中が汚れてしまっている。

 風呂が沸くまでは、とりあえずお茶でも飲んでいてもらって――ああ、ちがうちがう!

 彼女は怪我をしているではないか。

 左腕の肘のあたりが痛々しく傷ついている。まあ、俺が放り込んだ釣り針に引っかかってしまったせいなんですけどね。

 病院に連れて行った方がいいのか? 

 ――いや、今日は日曜日だ。そして、いきなり人魚を病院に搬送するのは色んな意味で問題がある。応急処置でもしてやるか。

 薬箱を持ってきた俺は、彼女の傍に腰を下ろし


「ちょっと見せてみ。今、手当てするから」


 言いながら、左腕に触れた。

 イヤがるかと思ったが、意外にも彼女は素直に従ってくれた。

 傷口に消毒液をつけると、さすがに痛そう。ちょっと泣きそうな顔で俺を見た。

 人魚でも痛いのか。


「ああ、ごめんごめん。でも、もう大丈夫だから」


 田舎にいる親切なオジサンみたいに独り言を言いながら、ガーゼを当てて包帯を巻いてやった。


「よし。とりあえず、これでいいぞ」


 不思議そうな顔で、左腕に巻かれた包帯を眺めている人魚のコ。

 俺は薬箱を閉じて立ち上がろうとした。

 その時。

 ガシャーン――

 突然窓ガラスが派手に割れ、外から何者かが飛び込んできた!


「うおっ!」


 これにはびびった。

 まったく意味の不明な奇声を発してしまった俺。

 さっきの親父よろしく腰を抜かしつつも、そちらの方を見やれば――


「姫様! ご無事でございましたか!」

 

 俺は我が目を疑っていた。

 ええと……こういうのを何と表現すればいいのだろう?

 そこには、魚がいた。

 魚。

 アジとかサバとかサンマとか、そういう光り物系なヤツ。青魚ともいう?

 が、タダの魚じゃない。

 突然変異かと思われる位でっかい青魚に「にょっ」って腕と足が生えているではありませんか! 着ぐるみとかでありそうだが、ヤツが果たして着ぐるみなのかどうか、判断しているだけの心理的余裕など俺にはなかった。

 完璧ブサイクとしか形容詞が当てはまらないアジ野郎は右手に原始人みたいなヤリを持っている。木の棒に尖った石を括り付けただけの、あれだ。

 そのヤリ先を俺につき付け


「よくも姫様をさらったな、この人間め! この超美形最強万能護衛隊長、イワシャール様が相手になってやる!」


 はい。

 とりあえずヤツの名前と種類はわかりました。

 アジでもサバでもない。

 イワシだったか。アジ野郎呼ばわりして失礼いたしました。

 言われてみれば、何となく弱そうだ。

 っていうかこのイワシ、もしかして今……自分のことを「超美形」とかほざいた?

 俺の聞き違いだろうか。

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