1章 38話「嘆き」



「…………ん」


 ノアールが目を覚ますと、見慣れた天井が見えた。

 すぐに自分の部屋だと気付き、ゆっくりと上半身を起こす。

 どれくらい寝ていたのか。部屋の中は真っ暗で、窓の方が月明かりでほんのりと照らされている。

 体の痛みはなくなっている。目の痛みも、階段から落ちたときに打った肩や腕も、何ともない。ノアールは軽く肩を回しながら、どこにも違和感がないかを確認した。

 痛みのせいで何が起きたのかあまり覚えていない。何となくだがグリーゼオが誰かに対して怒鳴っていたのは聞こえていたが、いつの間に気を失っていたらしく、その後のことは何も分からない。


「……ゼオ、大丈夫かな」


 ノアールは布団に入り直し、ボソッと呟いた。

 朧気ではあるが、確かにグリーゼオは自分のことで誰かに怒っていた。ノアールは、早くグリーゼオに会って、大丈夫だと言ってあげたかった。

 いつも優しい彼が、今でも嫌な気持ちでいたら悲しい。少しでも安心させてあげられれば。そう思いながら、ノアールは眠りについた。



――――

――


「転校……?」


 翌朝。ベッドで軽い朝食を済ませたノアールに、ルーフスが告げた。

 陰口を言われる程度のことなら何とも思わなかったが、さすがに今回のようなことが今後も起きると学園生活に支障が出る。ノアールは仕方ないと肩を落とした。


「で、でも、ゼオは? ゼオは転校しても大丈夫なの?」

「ノアール……彼にも話したんだが……」


 言いにくそうにする父に、ノアールは心臓が痛いくらいドクンと脈打った。

 何度も迷惑をかけてきた。そうなることも覚悟はしていたつもりだった。


「そ、う、なんだ……」


 ノアールは布団をギュッと握りしめた。

 泣いたらいけない。父を困らせてしまう。溢れ出そうになる涙をグッと堪え、笑顔を浮かべようとした。


「っ、う」


 だけど、出来なかった。

 大きな瞳からボロボロと涙が零れ、嗚咽しか出てこなくなった。

 これ以上困らせたくないのに、何も喋れない。

 落ち着けようとルーフスがノアールの背中をトントンと優しく叩いてなだめてくれている。

 そばに居たミリエリも、心配そうに見ている。

 早く泣き止まなきゃ。そう思うのに、体が言うことを聞いてくれない。


 なんで、どうして。

 頭の中で、夢の中で聞いた声が響く。

 どうして、こんな目に遭わないといけないんだろう。黒い感情が、どんどん頭の中を埋めつくしていく。

 ツライ。痛い。悲しい。苦しい。

 何も悪いことなんかしてないのに。


「あ、ああぁ、あああああ!」


 ノアールの泣き叫ぶ声と共に、彼女の体が黒い炎が溢れ出した。

 慌てて離れたルーフスは、狼狽えるミリエリを引き離す。

 黒い炎はノアールの周囲にあるものを燃やし、炭化させていく。


「……これが、ノアールの炎か……」


 恐ろしいほど黒い炎に、ルーフスの足が竦む。

 このままでは、屋敷が燃え尽きてしまう。それ以前に、ノアールの体がどうなるか分からない。今度は髪や目の色が変わるだけで済まないかもしれない。

 早く対処しなければ。しかし、炎には近付けない。

 娘が苦しみ泣いているというのに、親である自分が何も出来ないなんて。


「……ミリエリ、あとの事は頼む」

「え……旦那様!?」


 ここで怯えていては、これから先もノアールのことを守ってやることは出来ない。ルーフスは死をも覚悟して、飛び込んでいこうと一歩足を前に出した。


 その瞬間。

 ポツリと、頬に雫が落ちてきた。



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