1章 8話「約束」




 数時間が経ち、ノアールは読み終わった本をテーブルに置いて腕をグッと上に伸ばした。

 窓から見える空が茜色に染まりつつある。そろそろ迎えが来るはずだとノアールはまだまだ読み足りないという気持ちを抑えて立ち上がった。


「今日はありがとう、ゼオ」

「いいえ。おれも片付けが出来て助かったよ」

「また、来ても良い?」

「もちろん。機会があったら父さんとも話してみるか? 文献にはない話とか聞けるかもしれないし」

「うん、ぜひ!」


 ノアールは何度も頷く。言葉では書ききれないリアルな話を聞けるかもしれない。ノアールは目をキラキラと輝かせた。

 露骨に嬉しそうな顔をするノアールに、グリーゼオもつられて口角が上がる。


 出逢ったときはこんな風にノアールが笑うところを見れるとは思わなかった。教室では気難しい顔で難しい本を読んでいる変な女の子としか見ていなかった。それが今はこうして彼女の唯一の友達になった。

 ノアールのこんな表情を家族以外は知らないんだと思うと、少しだけ優越感がある。


「それじゃあ、また明日ね」


 外に出ると迎えの馬車が待っていた。ノアールはグリーゼオに手を振って、屋敷へと帰っていった。

 小さくなっていく馬車を見送り、グリーゼオはグッと腕を伸ばしてひと息つく。今日は重たい本を沢山運んだせいか体中が痛い。もう少し運動しないと駄目だなと思いながら、彼も家の中へと戻った。



———

————



「お嬢様、とても嬉しそうなお顔されていますね」

「わかる?」


 帰りの馬車の中、ミリエリがニコニコしているノアールの様子にふふっと笑みを零しながら言った。

 ノアールはミリエリの隣に座り、足をフラフラと揺らしながら今日あったことを話した。初めて見る文献などが沢山あり、新しい知識を得ることが出来て楽しかったと笑顔で話すノアールにミリエリも嬉しくなる。

 ミリエリはノアールの乳母の娘で、彼女が生まれたときから一緒にいるメイドだ。専属になったのは2年ほど前からだが、付き合いは長く姉妹のような関係でもある。

 だから初めて出来た友達と良い時間を過ごせたことが自分のことのように嬉しく感じていた。


「ねぇねぇミリエリ、北の方に大きな遺跡があるんだって。何千年も前からあるって書いてあったの」

「そんな昔からあるんですか。千年以上前とか想像できませんね」

「ねー。私もその時代のものにあまりピンとこなかったから、前世の私がいたのはその時代じゃないのかなって」

「そうなんですね。お嬢様の探しものが早く見つかるといいですね」

「うん」

「でもお嬢様、無理だけはしないでくださいね。昨日も遅くまで本を読んでいらしたでしょう?」

「げ、バレてる」

「テーブルランプ、没収しちゃいますよ」

「ごめんなさい、気を付けるから……」


 両手を合わせて申し訳なさそうな顔をするノアールに、ミリエリは「ふう」と小さく息を吐いて頭を撫でた。

 小さい頃から夜更かしをするのが癖になってほしくないから今の内に厳しく言った方が良いと思っているが、この顔を見るとつい甘やかしてしまう。


「仕方ないですね」

「ありがとう、ミリエリ!」

「でも、あまり酷いと本当に没収しますからね。もうお嬢様のお部屋に一冊も本を置きません。全部書斎に置いて、夜は鍵かけてもいらいます」

「そ、それは困る!」

「それじゃあ約束ですよ、遅くまで起きない。ちゃんと就寝時間を守ること。良いですか?」

「うん。約束ね」


 そう言って前に出したノアールの小指に、ミリエリも指を出して絡めた。


「ふふっ、指切りするの久しぶりだね」

「そういえば、そうですね。お嬢様が小さい頃に指切りのことを知ったとき、すぐに約束約束って指切りをしたがりましたよね」

「そ、そうだったっけ?」

「ええ、そうですよ。明日はおやつにタルト出してね、約束だよーとか。みんなでかくれんぼしようね、とか」

「何となく覚えてる……うう、恥ずかしい……」

「可愛かったですよ。あの頃に比べたら、お嬢様の手も大きくなりましたね」

「本当? 成長してる?」


 ワクワクした表情を浮かべるノアールに、ミリエリはクスクスと笑みを零しながら右手の親指と人差し指でこれくらいと4〜5センチほどの大きさを示した。


「そんなに小さくないよ!」

「そうでしたっけ? お嬢様、小さすぎていつも探すのが大変でしたよ」

「もー! そんなに小さくないもん!」

「ふふっ。でも、本当に大きくなられましたね。髪も随分と伸びましたし」

「うん! お母様みたいでしょ?」


 ノアールは後ろに下ろした髪を指で漉いた。

 母譲りの白銀の髪はノアールの自慢だ。母、ヴィオラのようになりたいとずっと伸ばしている。毎日ミリエリに手入れをしてもらっているおかげで、サラサラの綺麗な髪質を保っている。


「ええ。奥様の幼少時の肖像画を見ると、お嬢様とそっくりですよね」

「本当? ノアールも大きくなったらお母様みたいになれるかな」

「きっとなれますよ」


 一人称が自分の名前に戻ったノアールに、ミリエリはクスッと笑った。

 前世のことがあってから急に大人びてしまったと少し寂しく思うこともあったが、こうして話しているときは年相応に戻る。まだまだ手のかかる可愛いお嬢様のまま。ミリエリは微笑みながらノアールの頭を撫でた。


「きっとデビュタントを迎えたら、沢山の方からお声がかかるでしょうね」

「うーん、興味ないなぁ……私、高等部を卒業したら街を出るかもしれないし」

「お嬢様……」


 ノアールが望むことをさせてあげたい。だが、危険なことをしてほしくはない。ミリエリは前世の自分を探すために旅に出て行ってしまうノアールを想像して悲しくなった。

 いつか社交界デビューするとき、どんなドレスを着せようかと考えたときもあった。気が早いわよと言いながら、ヴィオラともその話で盛り上がったことだってあった。

 だけどそれは、もしかしたら叶わないのかもしれない。


「……お嬢様。もし、もし本当に旅に出ることがあっても……必ず帰ってきてくださいね」

「ミリエリ……」

「そうしたら……そのとき、必ずお屋敷でパーティをしましょう。私、お嬢様に似合うドレスを用意しますから」

「うん。大丈夫だよ、家族を心配させたりしないって約束したもん。ミリエリだって私の大事な家族なんだから」

「お嬢様……じゃあ、もう一度指切りしましょうか」

「うん!」


 二人は小指を絡ませ、笑顔を浮かべた。

 まだ先のことは何も分からない。前世のことも、旅に出るかどうかも、何もかもが不透明なままだ。

 それでもただ一つ確かなことは、大事な家族がいること。自分を心配してくれる人がたくさんいること。

 そんな人たちを悲しませないようにする。ノアールはミリエリと繋いだ小指に、それを誓った。



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