1章 3話「兄」



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「あ、そうだ。次の休み、友達の家に行ってもいい?」


 夕食を済ませ、部屋に戻ろうと椅子から降りようとしたノアールから発せられた言葉に、家族みんなが動きを止めた。

 今まで学園で何があったのか聞いても特に何もなかったと言うだけだったノアールの口から友達と言う言葉が出てくるだけで驚きなのに、休みの日に遊びに行くというのだから開いた口も塞がらなくなるというものだ。


「お、おおおおおおともだち? ノアール、友達が出来たのか?」


 動揺して手に持っていたワイングラスにヒビが入るほど握り締めてしまった父、ルーフスに慌てて執事が駆け寄って割れたグラスを回収した。

 いつも冷静な兄、カイラスも目を丸くしている。数ヵ月前までだったら特に驚くこともなかったことだが、今のノアールは全くと言っていいほど誰とも関わり合おうとしない。

 一瞬ボーっとしていた母、ヴィオラはすぐ我に返り、ポンと手を合わせて笑顔を浮かべた。

 この数ヶ月で一気に人が変わったように大人びてしまった娘の口から友達という言葉が聞けた、それだけで喜ばしいことだ。


「勿論いいわよ。それで、お友達ってどんな子なの?」

「グリーゼオっていう、隣の席の子。お父様が学者さんなんだって。それで、彼の家にある古い本とかを見せてくれるって」

「彼!?」


 ずっと口をパクパクしていた父がテーブルを叩き割る勢いでドンと手を置いて立ち上がった。


「お、お友達って男なのか!?」

「そうだよ」

「お、おおおおお男の家に行くのか!?」

「友達の家に行くんだよ」

「だ、だが……」

「男の子だと何がいけないの?」


 ノアールはまだ六歳。友達の男の子の家に行っても問題はもちろんない。これは単に可愛い娘が心配な親心。だがいくら知識を身につけて大人びたとは言えノアールは子供。そんな親の複雑な心境など知る由もない。


「じ、じゃあせめてカイも一緒に」

「え、僕も?」


 急に話を振られ、カイラスは思わず声が裏返ってしまった。

 さすがに友達の家に行くだけなのに保護者が同行するのは過保護が過ぎるのではないだろうか。カイラスだって心配ではあるが、そこまでするのは気が引ける。

 しかし、ノアールは普通の子と少し違う。前世のこととなると周りが見えなくなってしまうところがあるため、周りに変な印象を与えかねない。


 兄や両親はノアールが前世のことを友人に話してしまったことを知らない。ようやく出来た友達に前世の記憶を持っていることを口走って変な子だと思われたらと心配している。


「……父様、さすがに僕が付いていくのはご友人に迷惑になるかもしれません。ノアールはただ友達の家に遊びに行くだけですから」

「そ、そうだが……」

「明日、僕がノアールのクラスに行って、その彼に挨拶してきますよ。それなら良いでしょう?」

「お兄様が?」

「うん。いや、いきなり教室に行くのは目立つかな……お昼、中庭で一緒に食べようか。その時に友達……グリーゼオ君って言ったかな。彼も呼んでくれる?」

「分かった。伝えておくね」

「父様も、それで良いですよね?」

「お、おお。カイがそう言うなら」


 ルーフスは数回頷き、椅子に座り直す。

 友達の家に行くだけなのになんでこんなに騒がれるのだろうと、ノアールは首を傾げながらオレンジジュースを飲み干した。


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——



「と言うことなんだけど、今日のお昼は中庭で食べない?」

「……なぁに、それ」


 朝、教室に入るなりいきなり兄に会ってほしいと言われ、グリーゼオは露骨に嫌そうな顔を浮かべた。


「私もよく分かんないんだけど、なんかお父様が男の子の家に遊びに行くの嫌がってて」

「ああ、なるほど? まぁ気持ちが分からなくもないな。お前、今まで友達の家とか言ったことないだろ」

「うん、ないよ」

「…………だろうな。親に学園でのこと話したりも?」

「しないね。だって話すようなこと何もないし」

「うん、なるほどな。心配にもなるよな、うん」

「何が?」


 納得するグリーゼオと、何も理解していないノアール。

 人付き合いを疎かにしてしまったせいで親が何を心配しているのか分からず、自分よりも他人であるグリーゼオの方が先に理解しているのも何故なのかよく分かっていない。


「……やっぱり私、変かな」


 自分の席に座り、ノアールはいつも通り図書館で借りてきた本を鞄から出して適当にページを捲った。

 浮いているのは分かってる。だけど優先順位を変えることはしたくない。だがそれで家族を心配させていいものなのか、ノアールは少しだけ心がモヤっとした。


「良いんじゃないの、ノアールにはノアールの生き方があるんだから。おれは今のお前だから気になって話しかけたようなもんだし」

「…………そっか。じゃあ、いっか」

「良いのかよ」

「うん。間違ったことしてるわけじゃないし」


 友達がいないことを悩んでいるのかと心配したが、あっという間に気持ちを切り替えてしまった。

 まだ話すようになってひと月にも満たない。この程度の関係値で彼女の思考を読むことは難しいようだ。彼女の兄に相談したらノアールの取扱説明書みたいなものを教えてくれないだろうか、なんてことをグリーゼオは思った。


「ノアのお兄さんってどんな人なの?」

「お兄様? あのね、凄い人だよ。頭も良いし、魔法の成績も良いんだから」


 ノアールは本から目線を外し、キラキラとした瞳でグリーゼオを見た。

 こんな目を見たのは初めてで、グリーゼオはドキッとした。ずっと無表情のままで感情を顔に出すことがなかったため、不意をつかれて焦ってしまう。


「そ、そうなんだ……」

「カイお兄様……カイラスって言うんだけど聞いたことない?」

「カイラス……カイラス・ディセンヴィオか! 中等部で学年首席で初等部の頃から成績優秀だって有名な人だろ。お前の名前見たとき、なんか知ってるような気がしてたけど……そういうことか」

「そんなに有名なんだ。さすがお兄様だなぁ」

「将来は王都の魔法学院に行くだろうって噂されてるけど、マジ?」

「お兄様は中央に行くつもりはなさそうだけど?」

「マジ? 勿体ないなー」

「薬学の勉強をしたいって話してたことはあったかな。だから中央より北にあるフィローゼ学院の方に興味持ってた」

「へぇ、ちゃんと目的があるなら王都にも興味ないか」


 グリーゼオは軽く息を吐いて椅子の背もたれにもたれかかると、授業が始まる鐘が聞こえた。

 ノアールは再び本に目を移し、授業も聞かず黙々と読書を止めない。注意することを諦めてしまった先生も特に気にすることなく、授業を続けた。



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