第14回 バロン西とオリンピック馬術

 少し、いやだいぶ遅れましたが、今年のパリオリンピックで、92年ぶりに「日本が馬術でメダル獲得」という話がありました。


 その92年前の1932年に、ロサンゼルスオリンピックの馬術で金メダルを取った人物が、今回の主人公。


 西にし竹一たけいち(1902~1945)

 通称、「バロン西」。


 アニメ「ガールズ&パンツァー」の西絹代の元ネタと言われ、知ってる人は知ってると思いますが。


 ちなみに、今年のパリオリンピックでは総合馬術の団体で日本が銅メダルを取ってますが、西竹一は個人馬術で金メダルを獲得しています。


 東京生まれの西は、当時、帝国陸軍の花形だった騎兵を選択し、陸軍騎兵少尉として任官してます。


 その後、1930年に、ロサンゼルスオリンピックに備えるため、半年間の休養を取り、アメリカとヨーロッパに向かいます。


 イタリアで、彼は運命とも言える出会いをします。


 それが「ウラヌス」と呼ばれる馬で、6500イタリアリラ(当時の換算レートで、6500イタリアリラ=100英ポンド=1000日本円)で購入。

 その後、ヨーロッパ各地の馬術大会で活躍してます。


 1932年の習志野ならしの騎兵第16連隊附陸軍騎兵中尉時代、ロサンゼルスオリンピック、馬術大障害飛越競技にて金メダリストとなります。これはアジア諸国として初めての、日本勢として唯一のオリンピック馬術競技で金メダルを獲得した記録です。


 当時、人種差別で排斥されていた在米日本人や日系アメリカ人の間で人気を集め、上流階級の名士が集まる社交界では「バロン(※男爵のこと)西」と呼ばれ、ロサンゼルス市名誉市民にもなっています。


 1933年8月には陸軍騎兵大尉に進級、陸軍騎兵学校の教官となります。


 続く、1936年(昭和11年)のベルリンオリンピックにも参加しますが、元競走馬のアスコットと共に出場した総合馬術競技では12位、ウラヌスと臨んだ障害飛越競技では20位といずれもメダルには届きませんでした。


 時代は、騎兵を必要としない、戦車戦へと移行していきます。


 そんな中、1943年8月、西は陸軍中佐に昇進、また戦車兵として1944年3月には戦車第26連隊の連隊長を拝命、満州国北部(北満)防衛の任に就いています。


 そして、ご存じの方も多いと思いますが。


 その最期は、1945年の硫黄島。

 映画「硫黄島からの手紙」でも描かれてました。(演じたのは、伊原剛志さん)


 硫黄島守備隊として小笠原兵団直轄(栗林忠道陸軍中将配下)の戦車第26連隊の指揮を執ることとなります。


 激戦となった硫黄島で西は、戦車第26連隊を率いて、正確な射撃を行い、アメリカ軍を苦しめています。戦力が減る中、懸命に戦い続けますが、最期は戦死。


 アメリカ軍は、西の存在を知っていたようで、「バロン西、出て来なさい」と投降を促したというエピソードもありますが、真偽は不明です。


 享年42歳没。戦死により陸軍大佐に進級。亡くなった西の後を追うように、死の一週間後の3月末、陸軍獣医学校に居た、愛馬、ウラヌスも死亡しています。


 西は、至って鷹揚、天真爛漫でサッパリし、明るかったと生前に交流のあった人々は証言しています。また、当時からスマートな美男子として有名だったそうで、当時の日本人としては175cmの高身長だったそうです。


 趣味は乗馬だけでなく、射撃やカメラ、バイク(ハーレーダビッドソン)、自動車(クライスラーの高級輸入車)、特にオープンカーを好んでいたそうです。


 ということで、92年ぶりのオリンピック馬術メダルの件についてでした。


 余談ですが、「ガルパン」の西も、確かバイクに乗ってるというエピソードがあったかと思うので、そこから取ったのでしょう。

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