第32話 赤い魚。
荷物を纏めて、方々に再度挨拶をしてヒューと屋敷を出た。南のご当主様と次期当主様が笑顔で見送ってくださった。
ただ元の場所に帰るだけなのに、新しい朝みたいな色の空だった。
眩しくて、今日も暑くなりそうだと思った。
ボーグ家の馬車を出して貰ったので、それにヒューと乗り込む。
ヒューは私の向かいに座り、当たり前のように私の手を取って手首に手のひらで包んだ。私の体内の魔力がふわりと微笑むように整えられて落ち着いていくのがわかった。この人はずるい。こうやって刻み付けてくるんだ、そう思って私に集中したままのヒューの閉じられた瞳を見つめ続けた。
暫くそのままでいた後に、ゆっくり瞳をあけたヒューは
「ねぇ、列車の時間までまだあるよね? 水族館に行かない?」
私の手首を包んだまま、微笑んでそう言った。
魔法で管理されているという大きな水槽の中で、色鮮やかな魚たちが舞うように泳ぐ。
水槽に囲まれた少しひんやりとするような空間の中で、色鮮やかさと色とりどりな感じが南部らしくて嬉しくなった。どの魚も鮮やかな緑の藻に映えて、花のように美しかった。
なめらかに、ひらひらと魚たちが泳いでいる。
水槽の前で魚たちに見惚れていると、嬉しそうなヒューがそっと私の隣にきて手を繋いだ。
私はただ、ヒューがとても嬉しそうなのが嬉しくて繋がれた手にそっと力を込めた。時が止まる感じがするってこの事なのかもと思った。
目の前の魚たちは、変わらずずっと泳ぎ続けていた。
「この南部の魚たちって、あの海にいる魚たちだよね……?」
「そうだね。ゆっくり泳いでいるとたまに見かけるよ」
「そうなんだ! 見てみたかったな……」
「実際に見たら、帰りたくなくなっちゃうよ、綺麗で」
ふふっとヒューが笑った。私は何も言えなかった。
売店で赤い魚のキーホルダーをお揃いで買った。ヒューの瞳の色みたいな赤だった。
ひとしきり遊んで馬車に再び乗り込むと、ヒューははらはらと涙を流して私を見た。最終日に一緒に居たらきっとヒューは泣くだろうなと思っていた私は黙ってハンカチを渡した。それは想像していたよりも、胸にささる涙だった。
ヒューはハンカチにゆっくり手を伸ばして、そのまま私を縋り付くように抱き締めた。
「ごめんね、困らせるつもりはないんだけど……、でもでも……! 毎日じゃなくてもいい、思い出して。覚えていて、忘れないで。お願い……」
もしかしたら一時の勘違いみたいな熱かもしれない。そんな思いがどこかにあるのは私だけじゃなかったのかもしれない。 こんなに若くて綺麗なのに。私なんかに捕らわれたままでいい人じゃないのに。そう思う気持ちも捨てきれない。
でも弱々しく震えるその願いも、それに反して抱き締める腕の強さも、今は疑いたくなくて。
「うん。預けた通信機に明日連絡するから。待ってて…?」
私がそう聞くと、ヒューは身体を離して瞬きを一つ、大粒の涙を目から頬に流れるままにして私を見つめたまま頷いた。
それから落ちてきたキスは、半分だけ涙の味がした。
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