第8話 二日目。


 水の訓練場に入ると、今日もヒューはプールの中で訓練生を指導していた。水の中にいても、背の高い黒髪はとてもよく目立つ。


 私は邪魔にならないように少し離れたボイラー室のところでその様子を見ていた。

 正直、昨日のヒューとの話があれもこれも衝撃すぎて、書き残そうと纏めていたら深夜になっていて。夕飯も完全に食べるタイミングを逃した。でもそんなことは些細なことで、限られた滞在時間、明日話したら次の機会は無いかもしれない。そう思うと寝る時間さえも惜しかった。


 とはいえ、午前中の商談も無下にするわけにはいかず寝不足の頭をフル回転させ、集中力を絞り出して挑んだ。折角先方にも時間を戴き、出張に出して貰ったので無碍にはできなかった。

 そんな私にこの南部の日差しは容赦なさすぎて、本気でくらくらする頭を必死で支えた。


 私はせめて少しでも日陰に入ろうと、昨日ヒューに手を引かれて降りた階段へ向かった。その時、



「あ、来てくれたんだ。ありがとう! ちょっと待ってて、もう終わるから」


 後ろから声をかけてくれたのは、さっき水の中に居た背の高い黒髪の人。

 今日もとても綺麗な顔立ちでキラキラしていた。滴る水の粒の全てを従えているかのようで、かき上げる前髪からキラキラと水滴が落ちた。そしてふわりと微笑むから。全く、なんて人だ。


「うん。ゆっくりで大丈夫」


 私はそのキラキラに圧倒されていることに気付かれないよう、まるで余裕があるかのように微笑み返す。何の意地だ。

 そんな私の返事にヒューは安心したような顔で頷いて、くるりと後ろを向いて駆け足でプールの方に戻った。

 私は一人、階段を降りきって昨日座ったボイラー室入り口の前に長椅子に座った。



「お待たせ。アイスティーだけど飲む?」


 それから暫くして、タオルを頭からかぶったヒューがアウトドアで使うような銀色のコップを二つ持って現れた。


「お疲れ様! ありがとう! 嬉しい、喉乾いていたの」


 コップを受け取ろうと両手を出すと、急にヒューは慌ててそのコップを引っ込めようとした。


「あ! 洗ってはあるけどこんなコップじゃ失礼だよね、北の末姫様に」

「……そんなの気にしないし、北部じゃ私を姫扱いする人なんていないぐらい本家のはみ出し者だから大丈夫! それより暑いから飲みたい! ちょうだい?」


 そう言うと、ヒューは渋々コップを再度差し出してくれた。


 私はお礼を兼ねて、二つのコップに右と左それぞれの手をかざし、兄さんの魔力を使って氷を数粒入れた。カランカランと私の手から出した氷は、金属のコップの中で良い音を響かせた。

 

 私は受け取ったコップをくるくると回してアイスティーと氷を馴染ませてから、ゆっくり喉へ流し込んだ。生き返る。


「美味しい! ありがとう!!」

「どういたしまして。こちらも氷をありがとう! 流石、北部の水の魔法使いだね」

「ふふ。あ、南部では温かいから氷の魔法はあんまり使わない……?」

「溶けるのが早いからどうしてもね。……あぁ、冷たくて美味しい!」



 アイスティーを半分ほど飲むと、ヒューは自分のコップを椅子の端に置いて


「魔力をみせてもらってもいい?」


 真剣な顔でそう聞いてくるので、私もコップを椅子の端に置いて両手を前に出した。


「ありがとう」


 ヒューは微笑んで、すぐに私の手をとり緩く目を伏せた。

 まるでそれは私の魔力を大切に想ってくれているようにも思えて、少しむず痒くもなった。


 もしかしたら、ジェス兄さんがラディ兄さんの首筋に触れる時もこんな感じでこんな気持ちなのだろうか。

 もしそうだとしたら。今このヒューと私の状況が、ジェス兄さんとラディ兄さんの無条件で信頼し合っているような状況とは少し違うことを急にすごく残念に思った。

 ヒューにとってはまだ私は二日目。

 私は邪念を払うように目を閉じて、なるべく心が無になるよう努めた。



「ん? ニナ、なんか寝不足だったりする?」


 魔力をみる為に手首をつかんだヒューが急に聞くので。「あ……、ちょっと枕が変わって寝付けなかったのかな」私はそう言って誤魔化した。


「魔力をみると、そういうことまで解っちゃうんだ……」

「集中するとね。勿論、魔力の状態だけをみる訓練もしたし、感情や思考を読んだり流れこんでこないようにも訓練を重ねたよ。感情までもみちゃうと、お互いにとってロクなことにならないから」

「そうなんだ、努力したんだね。……ねぇ、これ私もできるようになる?  私も魔力がないじゃない?  すぐには無理だとしても、訓練すれば出来るようになる?」


 昨日聞いたヒューの話を纏めていて、一番聞きたいと思ったのがこれだ。



 ずっと優秀な兄がいるくせに、魔力なし魔力なしと散々言われてきた。でも魔力がないからこそを出来ることがあるなら、私の可能性は広がるかもしれない。どれはとても私をドキドキさせた。

 だからこそ期待を込めて、ヒューの瞳を覗きこんだ。


 ヒューは私の手をキュっと更に強く握って、何かを確認するように暫く目を閉じてから言った。


「【放出】の訓練を受けてそれが出来るようになった人は【吸収】を体得するのは難しいみたい。……ってそれを試したの姉さんだけだからやってみないと解らないけど。ニナは魔力はお兄さんのでも【放出】に慣れちゃってるよね」

「そっかぁ。そう思うと私って中途半端だよね、色々と……」


 折角できることが増えそうだと思った矢先、夢に破れて気持ちがしょんぼりした。

 そんな私に、ヒューは私が驚くことを突然告げてきた。


「……あのさ、昨日言うか迷ったんだけど、ニナ、自分の魔力あるよ。奥に眠らせてある」

「え……?」

「俺ならそれを起こして使えるようにしてあげられるけど……、たぶんお兄さんたちが何らかの意図があってニナの魔力を眠らせているかもしれないよね」


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