第9話 吸収の実践。



 それは一気に寝不足の頭もシャキっとするほどの衝撃だった。

 私が兄さんたちと比べられて卑屈になっていた青春時代は何だったの……?


「ヒューなら出来るの? 私の魔力、起こしてほしい! 使ってみたい!!」


縋り付くようにお願いをすると、興奮して飛びつかんばかりの私とは正反対に、ヒューはとても冷静だった。


「出来るんだけど、なんか厳重に寝かせてあるみたいだから、一回お兄さんに許可取ってからじゃないと正直怖い。何か大きな理由があるのかもしれないし、下手したら北部と南部で戦争になっても困るし……」

「戦争って、そんな大げさな……」

「いやいやいや、北部の現当主と宰相の有能っぷりと末姫の溺愛っぷりは色々疎い俺でも耳にしてるから」


「ええええええええ!なんか大きな誤解がきっとあるけど、でも兄さんたちは親代わりみたいなものだし恩もあるから、一回確認してみるね」

「うん、それがいいと思う。俺じゃなくても、北部の宰相もきっとできると思うし」


そう言って、ヒューは少し弱々しく笑いながら私の手を離し、アイスティーのコップを再度手にした。

入れた中の氷はまだ残っているようで、カランカランと小さな音をたてた。


 それを見て私もカップを手に取り、残りのアイスティーを飲み干した。



 昨日から目まぐるしく驚くことばかりが続いている。

 頭の中の処理能力が追い付くまでに時間がかかりそうな気がして、遠く視線をやるだけで今は精一杯だった。ふぅと大きく息を吐き出すと、隣に座るヒューも壁に大きく寄りかかったまま遠くを見ていた。


 その時、ふと風が通り抜けて、その中に覚えのある匂いが含まれているのに気が付いた。


「あ、雨が降るよ、もうすぐ」

「え! こんなに晴れてるのに……?」

「うん。ちょっと強めに降るよ」

「解るんだ……! すごいね」

「ふふ、九年前も同じような顔をして驚いてたね。……あ!」


フィーに九年前の話はヒューにしないと約束していたのを言ってから思い出した。

これは核心に触れる部分ではないけれど、約束は約束だ。迂闊だった。


「……ごめんなさい」


誤魔化すように謝ったけれど、きっと何も誤魔化せていないのは解っていた。



 ヒューは何も言わなかった。何も言わなかったけど、ただ私の右手に急にヒューの左手が触れて。長い指が何かを手繰るようにして、そっとそのまま繋がれた。

 さっきまでアイスティーのカップを持っていた指は少し冷たかった。


 私達は手を繋いだまま、お互いどこか遠くをただずっと見ていた。


 ヒューの指と手のひらは、とてもやわらかでつるんとしていた。

 私はそれに少し驚いて、何か話す言葉を一生懸命に探したりしたけれど。役立たずな寝不足の頭は働いてくれず、結局一言も発せないまま暫く時間が流れた。


 繋がれた右手から、この戸惑いがヒューに流れていかないかだけをただただ懸念した。

 ヒューは何も言わなかった。



 長い時間そうしていたような、一瞬だけだったかのような時をやり過ごしているうちに、空が一瞬で暗くなり大きな雨粒が辺りを濡らし始めた。


「本当だ、降ってきた!ニナ、すごいね!」


ヒューと私は手を繋いだまま、ボイラー室の屋根がある壁沿いに急いで移動して雨を避けた。


 大きな雨粒が屋根や地面を打ち付ける音、訓練生たちが慌てて室内に駆け込んでいく音が響いた。強く大きな雨粒は、屋根があれど足元を平気で濡らす程の勢いで打ち付けてきている。


 私は南部の濃い緑の大きな木々と調和するよう小さく詠唱をして、雨がこれ以上私たちを打ち付けてこないよう魔法でシールドを張った。


「俺は元々濡れているから大丈夫。ニナの方だけでいいよ」


ヒューはそう言ったけど、


「うん、でもそんなに変わらないから」


私はシールドの範囲を変えないまま続けると、ヒューは繋いでいた手を私の手首に移動させて手のひらで手首を包んだ。


 そうすると、徐々に身体の流れがスっと楽になっていくのが解った。

 右手から、まるで体内が透き通っていくような感じが溢れた。

 それはまるで体中だけが浮遊するような、でもいつもより役割をしっかりと正しく遂行しているような、とても不思議な感覚だった。知っているようで、知らない何かのようで。


 初めて実感をした、これがきっと【吸収】に調整をされる感覚なんだと気付いてヒューを見ると、緩く目を閉じて手のひらに集中しているように見えた。

 なんて綺麗な長いまつ毛。鼻筋も自然に閉じられた唇も美しくて、緩やかに見惚れたままでいた。


 この感覚は。

 ジェス兄さんが「古い足首の怪我のリハビリ」と称して、私にのせたラディ兄さんの魔力を整えてくれていた感覚と確かに少し似ている感じもした。リハビリで動きが整ったとずっと思っていたけれど、実感すると解る、あれは体内の流れを整えて貰っていたんだということ。

 ラディ兄さんにするのときっと同じように、私にもしてくれていたんだということ。


 それを知って、心が沸き立つのが解る。


 つい力を込めてギュっと押し出すようにしてしまいそうになる魔力の余分なところを、スッと一回引き取ってくれている感覚。確かに【吸収】だ、これは。これがそうなんだ……! と心が躍る。


 そして吸収してもらった分、そこに隙間ができて、さっきより魔力が楽に流れていくのが解る。魔力を使いながら委ねると、より実感する気がした。

 魔力を使っているのに、整ってなめらかになって身体が澄んでいく感覚。



 そして暫くすると、そこに徐々に一回【吸収】された魔力がじわりじわりと戻された。魔力が枯れそうになる乾いた感じと程遠い、潤うような満ちていく感覚があった。

 それはとても温かくて心地よくて。そして、ゆっくりともっともっと整えられていく。


 あ、これか。きっとこれなんだ。素直にそう思えた。

 兄さんたちのあの表情はきっとこれ。うん、あの穏やかな表情は、きっとこれだ。そうだ。



 私は思わず、繋いでいなかった左手もヒューに差し出した。片手でも充分感じるものがあったから、両手でやったらどうなるんだろうと心が欲張った。

 ヒューは大きく頷いて微笑んで、心から嬉しそうに私の左手首をとった。


 私はヒューのその表情がとても嬉しくてたまらなかった。


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