第5話 知ってる。


 暫くして、ヒューが小さな白い箱を手にして戻ってくる。

 私の目の前まで来ると、その白い箱の底にあるネジをカリカリと何周か巻いて、ボイラー室の壁の窪みの穴に箱の蓋を開けて立てかける。すると金属が奏でる音が流れ出した。


 それはだいぶ年期の入ったオルゴールだった。

 中では白い小さな踊り子が不器用そうにくるくると回ってる。



「このオルゴール、曲が終わると踊る人形の頭上に文字が浮き出てくるから。それを見逃さないようにちゃんと見てて。何て出てきたか聞くから。手、触るね」

「あ、はい」


 私は拳を緩く握ったまま前に出していた腕を更にヒューの近くへ出すと、ヒューは向かいから私の手首に手のひらが触れるよう、包みこむように握った。

 温かくて大きな手のひらが、私の手首にゆっくり体温を伝えてくる。



 実は、包まれたのが手首で少しだけ安心した。

 手のひらを重ね合わせたら、きっと手汗が気になったに違いない。


 本当はそのまま近くにきたヒューの顔をずっと見ていたかった。

 九年前とは違っているところを1つ1つ探したかった。

 全部を目に焼き付けたかった。


 でもそうすると顔が赤くなるんだろうなと容易に想像できて、私は腕だけ前に出し顔は横にしてオルゴールの人形を見つめ続けた。

 人形の頭上に浮かび出るという文字が、どうやって出てくるのか、いつ出てくるのか、それはどういうことなのかそれにも興味があった。


 この年期の入ったオルゴールに、どんな仕掛けがあるんだろう。



 不思議に思いながらオルゴールを見つめ続けていると、あっという間に奏でられる曲がゆっくりになっていき、中で踊る踊り子の回転もぐんぐん遅く拙くなっていった。

 必死に目をこらして浮かび上がるという文字を探していると、


「……うん。知ってる、大丈夫。信じる」


 急に弾むような声で、目の前のヒューが私を覗きこみながらそう言った。


 それはとても安心できるやわらかな声で。私の両手首を熱く握りながら優しく微笑むから、私はひたすら驚いた。

 ヒューの手のひらが、さっきよりも格段に優しい。


 そして震えあがるほどの冷たかった瞳が、急にやわらかい熱を帯びた。


 水に濡れて束を作る前髪すら、やわらかくなったように見えた。

 だからヒューの顔がとてもよく見えるようになった。

 まるで氷が一瞬で溶けたようだと思った。


 そしてその表情を見たら、九年前のあの時のヒューがこの人で間違いないと確信できた。

 うん、私が探していた人だ。あの時のヒューと同じだ。嬉しい。



「え? 今ので解ったの? どういう能力なの? それ誰にでもできることなの? あ!! オルゴールの文字! ごめんなさい、驚いて見るの忘れ……、あぁ、どうしよう!」


 気が付くと、オルゴールも踊り子も完全に止まっていた。


 私はアタフタしながらヒューに謝ると、ヒューは私の手首を包んだまま更に笑みを深くして


「ははっ、大丈夫! ごめんね、それ本当は文字なんて出ないんだ。そっちに集中していて貰った方が余計な感情が俺に流れ込んでこなくて楽なの。……まさか、全く疑わずに見ていてくれるなんて」


 そう言って今度は大きな声で笑った。


 私はこの展開についていけないまま、そんなヒューを呆然とただ見つめ続けた。

 少し遠くの大きなヤシの葉擦れの音と、頬の横をかすめる風が私の火照っている頬を少しだけ落ち着かせてくれた。



「こっち。来て」


 ヒューはパタンと白いオルゴールの蓋を閉じて小脇に抱え、当たり前のように私の右手を取って、ボイラー室の脇にある十段ほどの階段をかけ足で降りた。


 私は驚きの連続を隠せないまま、よたよたと連れていかれるまま足を動かした。



 半地下のようなボイラー室の入り口の前までくると、そこにあった木製の簡易的なベンチに座ってと促され腰掛ける。

 ここは日差しが完全にボイラー室で遮られ日陰になっていて、さっきの場所よりとても涼しい。



「……今更なんだけど、えっと、名前なんだっけ?」

「ニナです、ニナ・メルニック。ニナって呼んでください」


「うん、ニナ。ごめんね、ちゃんと覚えていなくて。俺はヒュー・ボーグ。南の分家の長男。ヒューでいいよ」


 言われてみると、ホルヴァートさんと同じ南部の香りが微かに感じられた。

 南部の本家と近しい親戚筋なんだろうと容易に想像できた。

 そういえば九年前はまだ南部の香りなんて知らなかったっけ。



 私が座った簡易ベンチの横にヒューも腰掛け、さっきと同じようにヒューは再度私の手首に手のひらをあてた。

 何かを読みこむように暫く無言が続き、それから言った。


「あのさ、ニナ、他の人の水の魔力をのせてるよね…? 誰かの魔力をのせて貰ってるよね…? これって身内の人の?」

「……あ、あ、えっと」


 そんなことまで解るんだ……と、驚きを隠せず言いよどむ。



「あーーー、あぁ! これってもしかして北の本家の機密事項? ……じゃあ言えないか。うん、いいよ。ニナは北部だっけ、あぁ、当代一の水使いの当主っていうお兄さんか」


 あ、当てられちゃった。その通り。でも兄からは口外しないよう言われている。

 魔力は一般的に、人に分けられないことになっているから。


 表情に出ないように気を付けながら無言を貫くと、ヒューは「うーーーーん」と少し唸ってから続けた。



「あーーーー、うん。解った。このニナにのせられている魔力がすごく整っていて。とても綺麗なの。これ、俺なんか知ってるんだよね。……九年前もきっとそう思ったと思う。あぁ、記憶が無いのが悔しいな」


 まるでとてつもなく尊いことのように、まるで憧れを目の前にしたかのようにヒューが私に言うから。

 嬉しくて口元が緩んだ。


 確かにうちの兄たちは、身内の私からしてもとてもすごくて素敵なのと大声で叫びそうになった。



「それとさ、これって。この魔力の持ち主じゃない人がニナの魔力を整えてるよね……? あ! ねぇ、北のご当主って確か双子だよね? ご当主の片割れってもしかして魔力なし?」


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