泥だらけの空 1.帰郷

えぞゑびす

第1話

「世界が雲に包まれてから本日で3年になります。気温の低下は横ばいになりましたが、依然エネルギー問題は継続しております。日本人口は15%減少し、新潟では故障していた15番目のジェネレーターの修理が完了しコロニーが本格的に再稼働しました。光食雲PC|Phototropic Cloudと名付けられた黒い雲に関する研究では、その流動性について特定の傾向が見られると発表がなされ、進展が切望されています。本日はPC研究の有識者である――」


 ラジオから流れるニュースを聴き流しながら、作業用ハーネスを身につけ、薄手のジャケットの上からダウンを羽織り、最後に安全靴を履く。右手で工具箱を抱え、左には長い柄のついたツルハシを握しめる。

 建てられて間もない廊下には、水分を含んだ砂泥の跡が残っている。居住区画を抜け、屋根に設けられたアクリル製の窓越しに星空を仰ぎ見る。白い息を吐きながら北へと歩を進めると、やがて資源開発局の建屋が姿を現した。

 


 ここ第十三コロニー"夕張"は食料自給率とエネルギー自給率の双方で100%を目指して設計されたコロニーだ。居住者は与えられた仕事をすることで食事にありつける。SF小説さながらの管理下生活ではあるが、それでも道内から400万人以上が集まり居住している。目の前の資源開発局は彼らの生活を支えるための資源を収集・管理するための施設で、ジュンの職場である。


 職員証をかざして建物に入ると同時に受付で声を荒げる女性が目に留まった。

「だからどうしてアキラが戻ってこないわけ!?昨日の仕事の事情を聞かせてほしいと言ってるの!」

「アキラさんは他の班員と一緒に採掘業務だったようです。今しがた連絡が入りましたが、時間ギリギリまで作業を進めると言って残ったと...」

「じゃあ事故に遭ったかもしれないってことでしょ!誰か捜索に行けないの!?」


 受付のやり取りを横目に、馴染みの守衛へ挨拶をする。

「おはようゴロウさん。朝から賑やかだけど、事情知ってる?」

「ジュン君かぁ、おはよう。聞いたままだよ、昨日からカツヤ君が行方知れずらしい。結婚したら色々入り用になるからってしょっちゅう残業してたんだけどね。入出記録からも帰ってきた様子がないんだ」

「担当のエリアと雪崩の報告は?」

道道どうどうから少し山に登ったところだから、あぁ君の持ち場に近いね。雪崩の報告はないし、地震も気温変化もない。お天道様はぁ隠れたまんまだ」

「うーん、帰り道の遭難じゃないとすれば山道内、でもアキラ君が迷子になるかな?仕事は丁寧な方だったんだけれど」


 捜索隊を派遣することにも問題があった。各班には樹木資源と鉱物資源のノルマが課せられているのだ。特に樹木資源は、長期間の曇天で腐敗が進む前に採取しなければならず、多くの人手が割かれている。人類が利用できる材木や燃料の確保が急務だからだ。

 捜索隊は有志で構成されるが、捜索中もノルマは免除されない。ノルマ未達成は厳しい減給につながるため、誰もが助けに行きたくても、そんな余裕はないのが現状だった。

 木を伐りに行った人間が行方不明になるのは珍しい。林業には常に事故の危険がつきものだが、姿が見えなくなるというのは尋常ではない。

 そして、その行方不明者はジュンのよく知る後輩であった。


「ハジメさん、アキラ君の班員は?」

 受付の女性は取り乱す女性に手を添えながらジュンに答える。

「今朝に数時間ほど探していたようです。これ以上は彼らもなかなか厳しい状況で、捜索には出られないと...」

「それじゃあ今日の僕の担当範囲とアキラ君の担当を教えてもらえますか?」

 受付に寄って声をかけると二人そろって顔をジュンに向けた。

「承知しました。すぐに用意しますから少しお待ちください」

 そう言って受付嬢は裏へ下がっていった。


「捜索、してくださるんですか?」

 眼を真っ赤に腫らしながら、すがるように肩を掴まれる。

「今日1日だけですし、班員を巻き込むわけにも行きませんので私一人だけです。よろしいですね」

「すみません。気が動転しちゃっていて...。ありがとうごさまいます。」

 女性は肩を掴む手を離し、深く頭を下げた。

「アキラはこの辛いコロニー生活で出会い、結婚した夫なんです。あの人がいないと私は......。どうかよろしくお願いいたします。」

 目の前の女性は、頭を深く垂れたまま震える声で訴えかけた。

 3年前なら、こんな状況で捜索隊を派遣するのは当然のことだった。ヘリコプターを飛ばすこともできただろう。しかし今は違う。明言されずとも実態として、コロニーの住民の命は、捜索のための燃料や人員を割くほどの価値がないとされている。

 かつて倫理的に成熟しつつあった日本社会が、このような非情な判断を容認せざるを得ないほどに困窮しているのだ。


「お待たせいたしました。87班の皆さんの担当範囲はこちらです。アキラさんの担当範囲はこの地図なんですが、班員の方々からの情報を基にもう少し範囲を絞って印をつけてあります。」

「ありがとうございます。申し訳ないんですが、ハジメさんから87ハチナナの皆んなに伝えておいていただけますか?」

「承りました。お気をつけて」


 *


 ジュンは、しばらく雪の降っていない踏み固められた上り坂を黙々と進んでいった。雲が昇る前のこの時間、人類に残された数少ない自然光である星空が頭上に広がっている。

 救急セットとミニスキーを背負い、静寂の中を歩き続けること約1時間。ようやく目的の山道に辿り着いた。さらに45分ほど進むと、山谷君が担当していたエリアに到着する。

 そこで、山谷君とその班員が休憩に使ったと思われる小型コンテナを発見した。ジュンはこの場所を中心に捜索を開始することにした。


「アキラくーん!どこだー!」

 閑散とした坑道の中で名前を呼ぶ声が響く。

「たぶんこの辺のやつが昨晩の成果物だと思うんだがなぁ。綺麗にまとまっているし、帰り支度もほとんど済んだ道具が置いてある。一体どこに...」

 ここらの山道は、風は樹木に防がれているが寒さは厳しく生物もいない。また風が吹き込むことはあっても、足跡が消えるようなことはまずない。どこかにはぐれたのなら痕跡は残っているはずだ。



――数時間後。

 結局、人や事故の痕跡は見つからず開発局への帰路につく。

 雪山を踏み締めながら手ぶらで帰ることに気まずさを感じていたとき、来る時には死角になっていたのだろうか、踏み固められた一帯から外れて進む一本の細道が見つかった。

「ここを通ったのか。アキラくーん!いるかー!」

 かき分けられた雪道をなぞって進む。


 しかし、ヒト一人が掻き分けてできたその道は、10分ほど進むんだところでぱったりと途切れていた。周囲を見渡すもほかに足跡はなく、異様に固い雪面が広がっている。ジュンはその上を踏み込んでみるが、くっきりと足跡が残る。雪質が違う一帯と言えど、この雪面の上を歩いたら痕跡が残るだろう。

 アキラは何のためにこの道を進んできたのだろうか。ジュンは疑問の答えを探すが、結局見つからず終いであった。


 *


「というのが報告です。お力になれず申し訳ない」

 資源開発局の一室で僕はアキラ君の恋人である――アカリさんというらしい――女性とハジメさんへ見たままを伝えた。


「いえ、ジュンさんにはご協力いただいて感謝しかありません。ただどうしてアキラは...どこに行っちゃったんでしょう!」

 目に涙を溜めて俯いているアカリさんを見てやるせない思いになりながらも、僕は心のどこかで不思議な現象に遭遇した高揚を感じていた。


「今回の件は遭難ではなく、失踪という形で報告させていただきます。もう少しだけ詳しい状況を伺いたいのですがよろしいですか」

 ハジメさんが書類を携えながらまっすぐこちらを見てくる。

「構いませんよ」

「では、足跡が途絶えた地点にはアキラさんの私物などは特になかったのですね?」

「はい。作業用具は置いてありましたが、よこに逸れた足跡の近くには何も。足跡もアキラ君のものかは定かではないです」

「分かりました。他に足跡が途切れたあたりで何か変わったものはありませんでしたか?」


 ハジメさんの問いを受けて、少し考える。途切れた足跡以外の不自然な痕跡は...

「そういえば1つだけ。周りの雪がですね、溶けて固まった後みたいに表層が凍っていたんです。あの辺の雪質はずっと同じでしたから、違和感はありましたね」

「分かりました。以上で結構です。ご協力ありがとうございました」


 ハジメさんは終始事務的な対応でこの調書をとる。普段は感情の起伏が見えやすいタイプの受付嬢が、つとめてそのような態度で。ジュンは晴れぬ心のまま部屋を後にした。

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