ナイトレコードと宙二つ
世界の半分
*
結局、小説なんてものは妥協の産物だ。
誰も「無欠」な物なんて書けやしない。
自分の望む形と、完成した形はいつも違う。
どれも、未完成のまま―自分の書きたかった形にたどり着かないまま―放り出されて、死んでしまう。その亡骸は、欠けた宝石のような形をしている。その破片は飛び散り、数多重なり、山を作る。
捨てられた物語の骸の上。一人の少年が積み重なる死体の頂上に立った。その手に光るのは真っ白な笛だ。蛍のような淡い光を放ち、握る手に温かさを残してくれるそれは、少年のお気に入りだった。
口元に笛を持っていく。静かな呼吸の音が聞こえる。唄口に唇を
合わせる。笛の冷たさが、彼の意識をぴん、と張らせた。笛を吹くときはいつもそうだ。笛が触れた途端、彼の魂は身体を離れ、笛へと吸い込まれていく。その瞬間、どこに、どうやって力を入れれば美しい音が紡ぎ出されるのかが分かる。その感覚の通り指を動かす。
ひゅう、
あの日見た花火の上がる音にそっくりだ。そんなことを想いながら彼は笛を吹く。華奢な指と優しい息が混ざり合い出来た音が、虚空を舞っていく。そして繋がっていく。
音は光とよく似ている。いや、音は光と同じだ、と言っても間違っていない。なぜなら彼の笛から零れる音たちが、光となり放物線を描いているからだ。高い音は仄かな赤色。低い音は淡く澄んだ青色。
それぞれの光は物語の骸たちに憑りついて、欠けた断片の代わりになるのだ。光は物語の、物語は光の共有電子対となって闇の中を縁取る。少年は笛の音をさらに響かせる。
光と融合し、光輝く宝石になった物語たちは、光の軌跡を残してあちこちを飛び回る。
少年はそれを横目でみては穏やかな笑みを浮かべる——
「ほら、父さん、また一つ、作品ができたよ」
少年は言った。
「母さんも、見て。この赤いお話、きれいでしょ」
少年は言った。
「ほら、これ全部、ぼくが作ったんだよ」
少年は手に夕焼け色の宝石を握った。
「これ、おじいちゃんのところにも持っていくんだ」
少年はきらきら光る笑みを浮かべた。
「きっとこの星には、もっともっとたくさんできあがっていないお話があるんだ。ぼくの笛で全部完成させないと!」
虚空へ、闇へ、その言葉を放った。少年の深緑の目は、好奇心が塊となって映っていた。しかしそれはまた、好奇心という熱に浮かされた虚ろな目にも見えた。
「でも、みんなはなんで物語をさいごまで書かなかったんだろう。完成したらこんなにきれいなのに」
縦に笛を握り、ひとふり、ふたふり。すると宝石たちもその動きに合わせて少年の周りをまわった。まるで魔法使いになれたような気がした。
「完成させられなかったとしても、なんでここに来ないんだろう。きれいな宝石に囲まれるの、たのしいのに」
たのしいのに……
*
レコードは回っていた。刻一刻と迫りくる時間に。
回るレコードの上を駆ける私たちは「何か」追われているものだと錯覚する。そして逃げる。
しかし、私たちは何にも追われていない。追われているのではないかという恐怖自体がその「何か」を作り出している。「何か」の中身は結局空っぽなのだ。「何か」なんて存在しない。
レコードの上で怯え、震える人間。
*
「現実」と言う名の紐は根元に危険を孕んでいる。
現実を知る前の自分と、知った後の自分が乖離し、その乖離が軋轢を生み、私たちを潰してしまう。知らない方が幸せなことだってある。無知と無関心の末に「知らないがための自由」が存在する。
二つに切り分けられた果実を見て、ある人はおいしそうだと言い、ある人はまるで宇宙が二つに割れてしまったようだ、という。前者は知らないがための自由を手に入れた。後者は「知る」という行為によって、知らなければ得られたはずの自由と幸せを捨ててしまった。
そして私は、見事にその前者なのだ。
*
少年は目を覚ました。
「あぶない。あともう少しでねるところだった……」
彼は寝ていた。本人は半分起きていたつもりだったが、全くとしてそんなことはなかった。
「ねむいね……ねむい……」
彼の生きていた世界は、崩壊していた。
「自由を捨てた」人間たちの描く絵は、争いの色をしている。
彼らの筆が滑る音が、響き渡る。
重たい瞼を閉じた。
少年は眠りに落ちていく 落ちていく。
それは死への階段と同じだ。
レコードは回り続ける。その目に映るのは、常に「二つの宇宙」
沢山の「物語」たちが少年の周りを回っては、ひとつ、またひとつと消えていく。
それらがすべてなくなり、世界が闇に帰った頃、少年は死んだ。
ナイトレコードと宙二つ 世界の半分 @sekainohanbun17
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