第19話 ステラside  散歩

杖を突いてだったが、ウィルは歩けるようになった。

ゆっくり彼の後ろからついて行く。


だいぶ筋肉が落ちたのか、体が一回り小さくなったように見えた。

それでも、生きていてくれたことに感謝する。

万が一彼が転んだりした時に助けられるように、注意して距離をとっていた。



「君に礼を言わなければならない。遅くなったが、ママミアを連れてきてくれて感謝している」


「ここまで回復されたことを喜ばしく思います」


「執務も手伝ってくれているようだが、無理はするな。私も少しずつだが公務に戻れるだろう」


「承知しました」


レンガが敷かれた庭園は朝の匂いがした。

ウィルとこうやって、宮殿の庭を散歩をしたのは初めてだ。彼が仕事に復帰すれば、こんな時間を過ごす事はないかもしれない。そう思うと、今、この瞬間を大切にしようと思った。

彼が生きていてくれて本当によかった。


私は、彼を愛している。


あらためて自分の気持ちを確信すると目頭が熱くなった。


その後、話は続かなかった。ただ静かに彼の後について行く。



「ステラ、毎朝散歩をするよう医師から言われている。明日から当分の間、散歩に付き合ってくれ。その方が君を知る事ができるだろう」


「承知しました」




それからウィルと二人でいる時間ができた。散歩をする三十分間だけだが、少しずつ会話をするようになった。


道の脇にスズランが咲いている。

湿った半日蔭を好む春の訪れを報せる花だ。


「スズランですね。風に揺れて可愛らしい」


「ああ。植えている訳ではないだろう。ここは客人が入らない、自然のままの場所があるからな」


小さな鈴のような白い花を下げるように咲かせる。彼はスズランを見て微笑んだ。


体は時間をかければ元通りになるとママミアが言った。

けれど、記憶は脳の問題だから分からないと診断した。


彼女は言った事を違えない。


ウィルの記憶はもう戻らないのかもしれない。




「宮殿の者たちは皆、失った二年間の話しをしてくれるが、君は以前の話をしない。何故なんだ?」


「今の殿下と以前の殿下は違いますが、どちらもウィリアム殿下です。これから王太子として過ごしていかれるにあたって、過去が必要かどうかはわかりません。この国の事を一番に考えられる殿下は、未来をみなければならないでしょう」


「過去は重要ではないと?」


「そうですね……今の状況が問題ないのであれば、重要ではないのかもしれません」


「……君との関係は、とても良好だったと聞いている。だからそうしていくべきだと思っている」


「ええ」


「しかし、実感がないのだ」


悲しい……

けれど、表情には出さずに私は頷いた。


「だから、君には申し訳ないが、私は今の感情でしか動く事ができない。互いに思い合っていたと言われても実感がないのでどうしようもない。同じ気持ちを持つための努力はしたいと思う。しかし、人から聞く二年間の自分は、まるで別人のように感じている」


私は彼に、確かに愛されていた。

けれどその気持ちを、今のウィルに押し付けるわけにはいかないだろう。


私が彼を愛していることを知られ、今の彼の重荷にはなりたくない。



「殿下は、お世継ぎにも恵まれました。このまま記憶が戻らなくても問題はないと思います。今はお身体のことだけ考えて下さい」


いつもの林道を抜け、シンメトリーにきれいに刈られた植木を通り過ぎると宮殿の入り口に着く。

これで散歩は終わる。


「わかった。ではまた、明日」


「はい」





毎朝ウィルと散歩をし、一週間だ過ぎた。



「今日はもう杖を持たずに歩こうと思う。執務室で仕事を行う」


「承知しました。歩く距離も随分長くなりましたね。お顔の色も良くなっってきたように思います」


「ああ。筋肉をつけるトレーニングをしている。だいぶ体力が戻ってきた」


「大変喜ばしいです」


ウィルは頷いた。


「君の助けがなければ、ここまで早く回復する事はなかっただろう」


実際私がした事と言えば散歩くらいだ。


「ママミアが偉大だったという事ですね」


冗談っぽく笑う。


「ママミアも凄いのだが、君が私の代わりに執務を手伝ってくれ助かった。国王や王妃の話も聞いて、重臣たちとも渡り合っていた事を知っている。ここまで治療に専念できたのはステラがいてくれたおかげだ。感謝している」


「ありがたいお言葉です」


「明日から通常の生活に戻していこうと思う。もう、夜遅くまで仕事をしなくても良い。ゆっくりと休んでくれ」


「それでは……散歩は、終わりでしょうか?」


「ああ。朝はそのまま仕事をする。これから、午前中に散歩する時間はないだろう」


寂しく思った。

もう、ウィルと二人で話をする機会はこのまま訪れないだろう。



「何かありましたら、いつでもお声がけ下さい」


「今まで、かなり苦労しただろう。ジェイから君を労うように言われた」


「ありがとうございます」


「何か望みのものがあれば、褒美を……いや、宝石とかドレスなどを贈ろうかと思うが」


プレゼントを贈れと言われたのかしら。

そういう事にまで気を回さなければならないジェイが気の毒だなと思った。


けれど、今なら望みを言えば叶えてくれるだろう。



「殿下、それでしたらお願いがあるのですが」


「なんだ?何でも言えばよい」


「殿下は私に、隠れ家の離宮を好きなように使えと言って下さいました」


「ああ。そうらしいな」


「我儘なお願いになるかもしれませんが、私は食事を王宮ではなく離宮で摂りたいと思っています」


「食事とは……宮殿の食事に問題があるのか?我が国の料理は口に合わないか」


「そういう訳ではないのですが……いえ、そうです。私の連れてきた料理人に、食事を作ってもらおうと思っています」


「三食すべてか?」


「はい。離宮には小さな厨房がありますので、そこで私の食事は作らせようと思います」


「ならば、王宮の料理人に、コースレッドの食事を作らせればよいだろう。君の連れてきた者に教えてもらえば作る事ができる」


「殿下。先程なんでも望みを言えばよいと言って下さいました。ですから、お願いいたしました」


ウィルは少しムッとした。

ボルナットの料理が口に合わないと言われて良い気がしないのは当たり前だ。


ああ言えばこう言うと思われているだろう。彼は忘れてしまっているが、私はそういう性格だ。


けれど、正直に理由を告げるわけにはいかない。



「晩餐会や会食などは参加させて頂きます。あくまでも、個人的に摂っている食事に限ってのことです」


「よいだろう。君の望みを叶えよう」



ナージャに避妊薬入りのお茶を飲まされてから、宮殿で口に入れる食べ物に拒否反応が出た。

信用できる者が作った料理でないと口にできない。


そして、この宮殿で誰が信用できるのか私には分からなかった。



「わかった。それを許可する。だが交換条件として、君は今夜から夫婦の寝室で休むように」



「え?」


夫婦の寝室で休む……


ウィルはそう告げると、一人で王宮の中に入って行ってしまった。



反論する隙を与えず、会話は終了された。



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