29.十九日目。闇の子と王子様
まったく、イライジャ様はなぜ!
いきなり走り出してしまわれたのか!!
必死に追いかけていると、王子はやはりと言うべきか、闇の子を追っているようだった。というかもう追いついている。
男の子はまた因縁をつけられるのかとビクビクしていた。
人目につかないように細い路地に連れ込んでいて、ますます怯えさせているのですが!?
「なんですか……殴るなら早くしてください。仕事に遅れると怒られる……」
私が追いつくと、彼はそんなことをイライジャ様に告げていた。
イライジャ様の顔は曇り、しかしその後すぐに膝を折って少年の視線に合わせている。
陛下がいらっしゃったなら、それはもう激怒した光景だろう。『下賤の者を前に膝をつくな』と。
けれど私は咎めることなく、二人を見守った。
「殴りはしない。大変な人生を送っているのもわかっている。だが、救おうとしている者の手は拒むな」
「救おうと? そんな奴、いるわけない。闇の子の僕なんかに──」
「いや、いる」
王子の言葉に、少年は吸い込まれるように瞳を覗いている。
イライジャ様のエメラルド色の瞳は、誰をも魅了する力を持っていて、知らぬうちに引き寄せられてしまうのだ。
「いるって、誰が……」
「さっきのは兄か? 弟か? 血を分けた彼がいるだろう」
「なっ」
少年の顔が険しくなる。明らかな反発心が見て取れた。
「光の子が、闇の子を救うわけないじゃないか……いつも僕を見下して、勝手に憐れんで……っ」
「ならなぜ、パンを渡そうとしていたと思う」
「僕に死なれたら、便利な下僕がいなくなるからだ」
吐き捨てるような言葉に、イライジャ様は澱みひとつない瞳を向けられた。
「違う。同じ顔をした自分の分身のような兄弟が苦しんでいるのを見て、しかしどうしようもできず……光の子もまた、苦しんでいる」
光の子もまた、苦しんで──王子の心の中を見たような気がして、私の胸もズンと重くなった。
「そんな苦しみなんて、僕に比べたら……!」
「ああ、君たちは光の子よりも数段つらい思いをしているだろう。ただ、助けたいと思う光の子の心を否定しないでくれ。それは必ず、君を救う一助となる」
思い当たることがあったのか。少年はぎゅっとくちびるを噛んで、瞳を潤ませている。
イライジャ様の強い言葉が、彼の心に届いたのだ。
「大丈夫だ。こんな制度は近いうちに廃止される」
「……本当に……?」
「ああ、約束する。それまでは兄弟で共に耐え抜いてくれ。君たちなら、できる」
「……うん……っ」
ぽとぽと涙を流し始めた少年の頭を、優しく撫でてあげているイライジャ様。
本当に、一刻も早くこんな制度は廃止されなければ。イライジャ様も心を強く固めていることだろう。
「なにしてるんだ!」
私の後ろから、子どもの声がして振り返る。先ほどの光の子だ。
「いえ、私たちはなにも……」
「早くどこかに行ってよ、握手してやるから。僕は光の子だよ!」
ちらりとイライジャ様の方を確認すると、小さく首肯している。
私は彼と握手してもらって少し離れると、イライジャ様も握手をしていた。
「ありがとう。君のような子が光の子で良かった」
「さっさと向こうに行ってよ。戻ってきたら承知しないからな」
不遜な態度を取られたイライジャ様は、なぜか少し嬉しそうに笑っていらっしゃって。
「行こう、クラリス。大丈夫だ」
私は肩を取られて、少年たちを後にした。
しばらく歩いてから後ろを振り返ってみると、少年がパンを受け取っている姿が確認できる。
すべての光の子が今のような子ではないだろうけれど。もう手遅れになってしまった闇の子もたくさんいるのだろうけれど。
「あの子らのためにも俺は、政権を手に入れ早く改革を進めなければならぬな」
ジョージ様以外の闇の子と接触したのは、初めてのはずだ。思うところは当然お有りだっただろう。
強い決意を感じ取った私は、イライジャ様に頷いてみせた。
「すべての闇の子と……そして、光の子のために。イライジャ様ならやり遂げられます」
「ああ。この国のすべての双子が、ありのままの姿で生きられるように」
双子で格差など生まれない国に。
それを実現したいと願い、実現できる立場におられるのはイライジャ様だけ。
「イライジャ様の治める国は、きっと笑顔の絶えない素晴らしい国でしょう」
「そうなるよう、尽力するつもりだ。そなたも力を貸してくれ」
未来の展望に期待しかない瞳で覗かれてしまい、私は返事の代わりににっこりと微笑み返した。
私がいなくても王子は平気ですよ、という意味を込めて。
嬉しそうに笑い返してくれるイライジャ様に、罪悪感を感じながら。
あの双子たちのためにも、早くイライジャ様には玉座に就いてほしい。
そんな思いとは裏腹に、今という日が一生続いてほしいとも願ってしまう。
どうしようもない矛盾を抱えたまま、一日は終わりを迎える。
大事に少しずつ使っていた月下の踊り子は、今日も艶やかな香りで私たちを誘惑して──
そして、瓶は空となったのだった。
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