23.十三日目。嗅覚の優れた王子様

 温泉! 嬉しい!!

 温泉のある村まで来るのに、荷馬車で半日以上かかって、もう夕方だけれども。

 このいつまでも煙臭い体がきれいになるのなら、いくらでも疲れた体に鞭を打ちましょう。


「ようやく着いたな。大丈夫か、クラリ……元気そうだな」


 イライジャ様は私の顔を見て微笑まれた。

 そんなに嬉しそうな顔をしてしまっていたのでしょうか。


「ゆっくり入って来るといい。ここで待ち合わせをしよう」


 そう言って、イライジャ様はお金を払うと湯屋の中へと入っていった。

 村ではあるけれど、温泉が出るとあって観光客向けの宿やお店も立ち並んでいる。

 とにかく一刻も早く体と頭を洗いたい私は、さっそく温泉に入ることにした。


「ふうぅううう〜」


 極楽極楽と年寄りのように言ってしまいそうになり、大きく息を吐いて誤魔化した。

 タオルしか持っていなかった私に、同時に温泉に入ったお姉さんが石鹸を貸してくれた。遠慮なく、髪も体も洗わせてもらい、これで全身スッキリ。

 温泉独特の香りと柔らかで少し滑りのある泉質が、体をつるつるにしてくれている気がする。


「はー、極楽極楽……」


 っは! つい声を出して言ってしまった!

 石鹸を貸してくれたお姉さんが「ふふっ」と声を出して笑っている。

 私は恥ずかしくなって、ぱちゃんと肩まで温泉に浸かった。


「気持ちいいですもんね、声出ちゃいますよね」


 三十代前半であろうその人が、柔らかな笑顔を見せてくれる。


「はい、つい……お姉さんはご旅行ですか?」

「ええ、主人と一緒に。子どもも大きくなったから、久々に二人っきりの旅行なの。あなたは?」

「え?」


 あなたは、と言われて私は声を詰まらせた。

 友人と来た、と言ったなら、一緒にお風呂に入っていないのはおかしい。

 弟と……と誤魔化すのも、この年齢では苦しいだろう。


「わ、私は恋人と……」

「まぁ、素敵ね」


 お、思わず恋人と言ってしまった!

 嘘をついた後ろめたさから視線を外すも、お姉さんは気にしていないようだとホッと息を吐く。


 それにしても、天気が良くて助かった。

 湯に浸かりながら空を見上げると、もう薄暗くなってきている。

 お腹も空いてきたし、どこかで食べてから帰ることになるだろう。


 温泉を出て着替えていると、石鹸のお姉さんがまた声をかけてくれた。


「ふふ、良いものをあげるわ」

「なんですか?」

「このクリームを肌に塗ると、すべすべになるのよ」

「いいのですか? ありがとうございます」


 クリームを少し分けていただいて、肌に塗り込む。

 あれ、でもこの香り……どこかで嗅いだことがあるような。


「ふふ、これはね、月下の踊り子という香水と同じ成分でできているのよ。知ってる? 月下の踊り子」


 ちょ! よりによって、月下の踊り子クリームバージョン!!

 なんてものをくれるんですか!!!!


「あら、そのお顔はどんな効果か知っているようね?」

「ああああ、あの、お高いのでは……」

「気にしないで! あなたの夜が、素敵なものになりますように!」


 いえ、素敵なものにならなくて結構なのですが!?

 けれど、もうつけてしまったものを、石鹸のお姉さんの前で洗い落とすわけにもいかない。


「あ、ありがとうございます……」


 結局私は無難にお礼を言うに留まり、脱衣所を出た。


「クラリス、もういいのか?」


 イライジャ様がすぐに私を見つけ微笑んでくださって、恐縮する。


「お待たせしてしまったでしょうか!? 申し訳ございません」

「そなたをここで一人にさせるわけにはいかないからな」


 まさか、私を待たせまいと、早く出てくださったのですか?

 むしろ王子を一人で待たせる方がダメなのですが!!


「あら、その方があなたの恋人? 素敵な人ね」


 石鹸のお姉さん、余計なことを……イライジャ様が恋人と言われてびっくりしていらっしゃ……らない?

 えらく嬉しそうでございますね、イライジャ様!


「いい夜を。お先に」


 お姉さんは夫であろう人物と腕を組んで出て行った。

 いい夜をって……絶対そっちの意味で使いましたね!?


「今のご婦人は?」

「温泉で一緒になった方でございます。石鹸を貸していただいたので、少しお話をしまして」


 ふと顔を上げると、イライジャ様はいつもと違う雰囲気をまとっていた。乾き切らない御髪のせいか、温泉でさらに磨かれた美しい肌がそう見せるのか……。

 さらに少し意地悪く微笑まれてしまい、私の胸は動悸が始まる。


「それで俺のことを、恋人だと言ったのか? 嬉しいぞ」

「し、仕方なくでございますからね!」

「しかしあのご婦人の目には、ちゃんと恋人同士に見えたというわけだ」


 イライジャ様の手が伸びてきて、肩をぐいっと抱き寄せられる。

 っく、動悸がひどく……! これは湯に長く浸かり過ぎたのかもしれない。

 湯当たりを起こしていなければ良いのだけれど……。


「どうした? 具合が悪いのか?」

「いえ、大丈夫でございます」

「そなた……いい香りがするな」


 くんっと匂いを嗅がないでくださいまし!


「おや? この香りはどこかで……」


 き、気付かれてしまわれた?!

 違うのです、私はあの香水を持ってきては……いますけれども! 使っておりませんから!!


「さ、さぁ王子、早く帰りましょう!」

「いや、帰らぬが」

「えっ!?」

「そこの宿で食事を用意してもらっている」


 食事、ですよね!

 食べてから帰らなければ、お腹が空いてしまいますからね!


「泊まる手配もしておいた」


 用意が周到過ぎでは!?


「泊ま……っ、泊ま!?」

「もう暗いというのに、夜道を帰るつもりだったのか?」

「そ、そうでございますね……」


 もちろん、危険が及ばないように細心の注意を払う予定ではありましたが。


「しかし、同室というのはやはり……!」

「同室だと、俺がいつ言った?」


 ハッとして顔を上げる。

 言ってない……王子は同室だとは言ってない!!

 どうしてそんな勘違いをしてしまったというのか!!

 さすがイライジャ様。万が一を考えて、王子だとバレてしまった時のために同室では泊まらない、そういうことでございますね!


 それなら安心……と、食事をとった後に部屋へ行くと。


「同じ部屋ではありませんかーー!!」

「俺がいつ、別室だと言った?」


 悪い顔で笑われました……確かに言ってませんでしたけれども!!


「同室だと、そなたは帰ると言い出しそうだったのでな」


 見 事 に 騙 さ れ た の で す が …… !!



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