06.隣には王子様

 小屋に戻ってきた私たちは、一人ずつ順番に小屋を使って着替えをした。

 というか、あれは一体なんだったのだろうか。密かに私、ファーストキスだったのだけれども。

 別に、キスの責任をとってくれなどというつもりはないし、この程度で大騒ぎする奴だったのかと落胆されたくないので、なにも言うつもりはない。

 王子にとってはきっと……そう、色々と解放されてやってしまったことなのだろう。

 人はバカンスに行くと気分が解放されてあれやこれやをしてしまうと聞いたことがある。イライジャ様にとっての今の状況は、少し特殊ではあるがバカンスと同意義なのだ。色々と解放されて、本能のまま動いてしまった結果に違いない。

 ……今夜、私の操は保たれるのだろうか。不安になってきた。

 でもイライジャ様なら嫌じゃな……ごほん。なにを考えているのか、私は。

 もし仮にそうなったとしても、遊ばれているだけだ。決して思い違いをしてはいけない。


「さて、そろそろ寝るか」

「そうでございますね」


 今日は色々あって、体はくたくただ。食事も終わらせた後なので、眠気が襲ってくる。

 しかしベッドはあるけれど、それは長椅子を二つ寄せただけという代物だった。はっきり言って二つ合わせても、私が普段使っているシングルサイズのベッドとあまり変わらない。


「イライジャ様はこの二つを合わせてお使いくださいませ。私は床で寝られますから」

「ばかを言うな、床でなど寝させられるか。ベッドは狭いがちゃんと二つあるんだ。こっちを使うといい」

「しかし」

「どうしてもというならば、俺が床で寝る」

「……わかりました」


 この王子は本当にやりかねないので、私の方が折れることにする。

 妙な動悸を抱えながらベッドの端に腰を掛けると、私は意を決して振り向きながら伝えた。


「イライジャ様、私、イライジャ様を信用しておりますので……!」

「ぐう」

「寝るの早っ!」


 牽制する間もなくイライジャ様が眠ってしまっているのを見て、私はため息にも似た息を吐き出しながら、隣に寝転んだ。

 硬いベッド。マットなどなく、布を何枚か重ねてあるだけの粗末なもの。寝心地は最悪だけれど、私にもすぐに睡魔が襲ってきた。



 ──……。



 硬くて体が痛い。

 私は歩いていた。歩けば、痛みから解放されると信じて。

 だけど必死で歩いても、私の体は一向に痛みから解放されない。

 泣きそうになっていたら、一匹のかわいい犬が私の顔を覗いていた。

 私はその毛並みに手を通す。するりとした冷たくも柔らかい感触が心地いい。

 なんて素敵な毛並み。どこに触れてもつるつるすべすべとしていて最高だ。頬ずりなんかすると、犬のくせにぷるんぷるんしている。

 幸せ。ずっとこのまま抱きしめていたい──……。





「……クラリス」

「はわぁ、なんてしゅてきなおいぬしゃん……」

「俺は犬ではない」

「はっ!!」


 パチっと目を開けると、なぜかそこにはイライジャ様の姿が。

 というか私……イライジャ様の上に覆い被さっている?!


「な、なにをなさっているのですかーーッ!!!!」

「いや、それは俺のセリフだ」


 慌てて飛びのくと、イライジャ様の見事な腹筋が飛び込んできた。


「っちょ、どうして半裸なのですか!!」

「クラリスが俺を脱がせたんだが」


 まさかの! 私が! イライジャ様のお召し物を脱がしたなどと!!

 嘘であってほしい!!


「それは冗談でございましょうか!?」

「いや、事実だ」

「今すぐ腹を切ります!!」

「東方の騎士のような責任の取り方をするな、問題ない」

「しかし……っ」


 不敬などという騒ぎではないという事態に、私の額から冷や汗が流れる。

 最悪だ。こんな失態をしてしまうだなんて。私の人生は、今終わった。


「っぷ、っく、はは、あはははっ!」

「イライジャ……様……?」


 いきなり笑い始めたイライジャに、私は目をぱちぱちとしばたかせた。


「犬の夢を見ていたのか?」

「は、はい……」

「いきなり俺を脱がし始めて頬ずりしてくるものだから、夜伽でもしてくれるのかと思ってしまった!」


 そう言いながら、イライジャ様はお腹を抱えて笑っている。


「よよよ、よと……っ!?」

「残念、違ったようだな!」

「当たり前でございますっ」

「俺は、いつでもかまわぬぞ?」


 ななな、なにをおっしゃっているのか……!

 この王子様は、冗談なのか本気なのか、まったくわからない……。


「はははっ」


 バカンス気分は、本当にやめてもらいたいのですけれども。

 からかわれているのだと気づいた私は、朝からどっと疲れてしまったのだった。

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