05.畑を耕す王子様
そうしてイライジャ様と密着したまま、一時間が過ぎた。
頬や目元にちゅっちゅと音を立ててくるのは、きっと暇だからだろう。そうに違いない。
早く王家の者が来てくれないと、私の脳は煮えたぎってしまいそうだと思っていたら、ようやく騎士団と馬車の姿が見えてきた。団長のチェスター様が、ジョージ様たちの住むの小屋の前で、馬から降りている。
「もう来たのか」
驚きと同時に少し寂しそうに見えるのは気のせいだろうか。
さすがチェスター様とダーシー様は有能です。私ももっと時間がかかると思っていました。
イライジャ様は私を抱きしめたまま、隙間から向こうの小屋を覗いている。私も同じように見てみると、チェスター様がジョージ様を肩に背負って出てきた。エミリィは自力で歩き、ジョージ様と同じ馬車に乗せられている。
全員が馬や馬車に乗ると、最後にチェスター様は私たちのいる方の小屋に向かってウィンクをしたあと、そのまま王都に向かって去っていった。
「さすがに気づかれていたな、チェスターには」
「そのようですね」
「それにしても早かったな。さすがはチェスターとダーシーだ。これでジョージの方は一安心だな」
「そうでございますね。……あの、そろそろ離れていただけませんでしょうか」
「……仕方ないな」
仕方ないとかではないのだけれども。
ともかくイライジャ様から解放された私は、狭い農具入れからようやく出ることができた。
遠くに繋いだ馬を連れてくると、食料や生活必需品を小屋に運び入れる。
昨日ジョージ様たちに持ってきていた食料もほとんど残っていたし、しばらくは持つだろう。
もし足らなくなれば、変装して街に買い出しに行けばいい。
「公務以外でこんなに城を空けるのは初めてだな。クラリスと一緒というのが嬉しい」
「光栄でございますが……ここにはなにもありませんし、どうイライジャ様を楽しませてよいものか……」
「気負うな。そなたがそばにいるだけで、俺は楽しいのだから」
「はぁ……」
こんなつまらぬ女がそばにいて楽しいなどとは、イライジャ様は娯楽を知らなさすぎるのでは。
かくいう私も、娯楽などとは縁遠い生活を送ってきているし、なにも楽しいことなど知らないのだけれど。
「昨日持ってきた野菜の苗が、そのままだな。どうだ、植えてみるか?」
「素人にできるものでしょうか?」
「わからん! でもまぁ、やってみよう。どうせ暇なんだ」
イライジャ様がウキウキとし始めてしまった。当然、止められるわけもないので、私も袖を捲って手伝う。
まずは枯れてしまった畑のものを引き抜き、慣れない農具で耕してみたけれど、それだけでもう汗だくになってしまった。
「これは思ったよりハードだな!」
そう言ってはいるけども、キラキラと嬉しそうな顔で笑っている。
「もう少しすると夕方になりますし、今日はこのくらいで終わりましょう。馬にも餌をやらねば……」
「では、川まで駆けるか」
「そうでございますね」
荷台から解放した二頭の馬にそれぞれ跨り、川に向かってしばらく走らせた。
着いたのは、川とは言えないほどの痩せこけた小川で、それでも周りにはいくらかの緑が目に入る。馬は小川で水を飲んだあと、草を食み始めた。
「ふあー、暑かった!」
ばしゃっと音がしたと思ったら、イライジャ様が川で寝転んでいて、私はぎょっとした。
「イライジャ様?! はしたのうございます!!」
「誰も見ていない」
「ですが……」
「クラリスもやってみろ。気持ちがいい」
浅い川なので、寝転んだところで体の半分しか浸かっていない。
人前で、しかも男性の前で素足を見せるのはどうかと思ったが、それでも川に浸かりたいという欲望には敵わなかった。
靴と靴下を脱いでパンツの裾を膝まで上げると、恐る恐る川に足を入れてみる。
「あ……気持ちいい……」
ほっと息が漏れるようにそう言うと、イライジャ様が寝転んだままペチャペチャと水面を叩いた。ここに来いということだろうか。
隣まで移動すると、そこに膝をつけて私はイライジャ様を見下ろした。
「寝転べば、もっと気持ちいいぞ」
「いえ、服が濡れてしまいますし」
「着替えを持ってきているだろう」
「それはそうですが」
「なら気にするな。俺しか見ていない」
それが一番問題なのだが、イライジャ様に気にした様子はない。私が自意識過剰なだけなのだろうか。
どうしようか渋っていたら、イライジャ様の手がグンッと伸びてきて私は肩口を抱きかかえられた。
「え?」
その言葉を発するのが精一杯で、直後にはパチャンという水音が耳元で響く。
背中が冷たい! だけれど気持ちがいい……!
「どうだ、気持ちがいいだろう!」
隣を見ると、私を押し倒した張本人であるイライジャ様が、楽しそうに口を大きく開けて笑っている。
その腕は私の方に伸びていて、頭を打たないようにしてくれていたのだとわかった。
空を見ると、青い空に初夏らしい雲がもくもくとしていて、煌めく太陽が眩しくも美しい。
「ええ、気持ちようございます」
「はは、あはははは!!」
テンション高く笑っているイライジャ様。楽しそうな声を聞くと、私もふふっと笑みが漏れてしまった。
イライジャ様は自由奔放でよく笑っているお方ではあるけれども、畑仕事をしたり、川にいきなり入るなんて、王族として常軌を逸した行動を取ることは一切なかった。
こんな風に幸せそうに笑っている姿は、初めて見たかもしれない。王都から離れることで、気分が解放的になったのだろうか。
「クラリス!」
「はい」
「そなたは本当にかわいらしい」
「はい?」
怪訝な目を向けると、イライジャ様はザッと水から頭を上げられた。そしてあっと思うまもなく、私に迫ってきて──
「!!!???」
私は一気に混乱に陥った。
イライジャ様の唇が私の唇に当たっているのだから!!
しかも長い! 人工呼吸ですか? 溺れておりませんが、私は!
なにが起こっているのですか、これは──!?
しばらくして、ようやくゆっくりと離れていくイライジャ様。なぜこんなことになったのか理解できず、私は目を丸めたままイライジャ様を見る。
「っぷ、はは、あはははははは!!」
いや、ちょっとテンション高すぎ、気分が解放されすぎではありませんか?
イライジャ様が楽しいようでなによりではあるのですが……。
今のキスは、一体なんだったのですかー!!
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます