第19話 たぶんみんなの誤算

 縁側に、ドライヤーの節電モードの音が響き渡る。

 いくら魔族の体が丈夫でも、髪と服についた天ぷら油のべたつきはいかんともしがたく、ひばりも同じく汚れてしまったので、まとめて一緒に風呂に入ってもらったのだ。

 ただ今エンリギーニは、豪奢なドレスの下に着ていたシュミーズとドロワース一丁という涼しい格好で、ひばりにドライヤーをかけてもらっている。


「ねえ、エンリちゃん。ぐらぐらしないで、ちゃんと真っ直ぐ座ってて」

「……んー」


 縁側に座る彼女は返事はするものの、声はむにゃむにゃとろけて上の空だ。かなり眠たくなっているようで、ひばりはだめだわこりゃと嘆息した。

 横では伊吹があぐらをかいて、キーホルダーの『修理』をしている。


「どう、直りそう?」

「なんとか元の形に近いぐらいには。ごめん、俺修復の魔法は苦手なんだよ……」

「私は伊吹が魔法使ってることが、素直に驚きだよ……」


 彼がやっているのは壊れた品の時間軸を戻す魔法らしいが、見た目は両の手の平の間でキーホルダーが光りながらくるくる回っているだけだ。新手の手品と言われれば、納得してしまいそうな感じである。


「そういう魔法って、いつからできるようになったの?」

「向こう行ってから、かな。なんかチャンネルが合った感じで、一回覚えたら忘れようがないんだよ」

「ねえ、ねえ。もしかしてその魔法とか使ったら、私がお皿割った時に修理できたりする?」

「真っ二つならいいけど、それ以上は厳しいなあ……」

「意外と不便だね」


 喋りながらも乾かす手だけは動かし続けていたが、エンリギーニの体がついに大きく傾いた。座布団に座ったままこてんと横倒しになり、そのまま実に器用な姿勢で寝息をたてはじめた。


「……あーあ、寝ちゃったよ」

「ずいぶん懐かれたもんだね」

 人ごとのように笑っているので、つい悪戯心がわいた。


「一番懐かれたのは誰? 『お母様』」

「う、それは……」


 真面目な伊吹は、露骨に答えに窮してしまった。


「……なんだかなあ……せめて父親ならわかるんだけど……いやでも、それはそれで問題か……」

「あのさー、伊吹。私、ちょっとだけ思ったんだけど。エンリちゃんって、確か卵で生まれたって言ってたよね」

「言ったね」

「で、たぶん生まれて一番初めに見たのが、伊吹……」

「──ひばり、まさか」


 そう。そのまさかだ。ひばりは人差し指を立ててうなずいた。


「鳥の刷り込みインプリンティング


 エンリギーニは生まれたての、心の一番柔らかいところに刷り込まれた伊吹という存在を、ずっと親のように頼ってきたのではないだろうか。

 伊吹はまだ信じられないようだ。


「俺、産みの親の敵だよ?」

「それでもだよ。エンリちゃんにとってはお母さん的存在なの、伊吹が」


 持って生まれた本能には逆らえない。何より伊吹も、エンリギーニが魔王の特性を引き継がないよう、ずっと優しさをもって接していたようではないか。


「……参ったな……」


 伊吹は嘆息交じりに立ち上がると、あらためてエンリギーニの頭側に移動した。

 しゃがんでその、あどけない寝顔をのぞき込む。


「そうか。俺は君の親鳥になってたのか、知らないうちに」


その声は染みいるほどに穏やかで、生まれる前から見守ってきたという言葉に偽りはないのだと思った。

 寝ているエンリギーニが顔をしかめて、薄目を開けた。


「イブキ……?」

「わかったよエンリ。これから先も、俺は君のお母様だ。誰と結婚しても俺は君のことを大事にするし、卵の殻を取ってあげた事実は揺らがない。約束だ」


 エンリギーニの小さな手を取り、小指と小指を絡める。指切りげんまん、ということらしい。


「これは?」

「約束のおまじない。魔法みたいなものだよ」


 伊吹に指切りをしてもらったエンリギーニは嬉しそうに目を細めていて、見ているひばりまで温かい気持ちで見守ってしまった。

 よかったね、エンリちゃんと思う。

 大好きな伊吹『お母様』から、こんなに素敵な言葉を貰えたのだ。


「──おーい、イブキー! 奥さんもー!」


 庭にいるアロイスたちが、ひばりたちを呼んだ。


「ガガボ・ゴルドバ氏、帰還なりー」


 そうだいけない、彼を忘れていた。

 エンリギーニの守り役ガガボには、エンリギーニの着替えを取りに、いったん異世界に行ってもらっていたのだ。これはこれで大変な役目である。

 古井戸から出てきたガガボの姿を見て、エンリギーニは「そろそろ時間か」と起き上がった。

 寝ぼけた感じは、もはやない。


「ヒバリよ。貴様にも世話をかけたな。イブキの弁当の秘密がちょっとわかったぞ」

「とんでもない。私も楽しかった」


 初めは大人同士でもぎこちなかった魔族サイドと人類サイドだが、パーティーでたこ焼きをつついているうちに、少しずつ打ち解けたのではないだろうか。


「どうだ、ひばり。いっそ私の嫁にならないか?」


 いきなり恭しく手を取られて、一瞬何がなんだかわからなかった。


「……は、はああ!?」

「いきなり何を言うんだ君は!」


 ひばりどころか、伊吹まで泡を食って突っ込んだ。


「嫁って、だめだよ。エンリちゃん女の子でしょう!」

「それは子孫が残せぬという心配か? 魔王バラベスは一人で私を産んだし、私もその時が来たらたぶん一人で産むぞ。魔族は単性で殖えるからの」


 いわく、その外見的特徴は性差ではなく個性であり、生殖も単体で行うものらしい。

 エンリギーニは可憐を極めた外見で、無邪気に微笑む。


「だからイブキは私を導くお母様で、ヒバリは嫁にする。毎日楽しい。これで解決だ」

「なんの解決にもなってないと思う……」


 伊吹はと言えば、『取引先の社長の娘』とも言える存在に妻を盗られる事態を想像したようで、「やばい。上層部になんて説明する。どうなるんだ……」と白目をむいている。しっかりしろ夫と肩を揺さぶりたかった。

 仕方ないから、自分で説得するしかない。

 左手の結婚指輪を見せつけつつ、我は既婚者なりと力説する。 


「だからね、これ見て。私もう結婚済みなの。伊吹の妻!」

「いっそ世界を股にかけるのはどうだろう」

「そんな重婚嫌!」


 さきほど打ち解けたと自分で言ったが、謹んで訂正する。やっぱり異世界、違いが多すぎて訳わからない!

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